新緑の頃 を訪ねるハイキング・コース ウォーキング・コース

京都一周トレイル 西芳寺(苔寺)・松尾山・嵐山

このハイキング・コースは、京都一周トレイルの京都西山ルートの内、苔寺(西芳寺)から松尾山に登り、嵐山に至るルートです。

阪急嵐山線の松尾大社駅あるいは周辺のバス停を起点に(Google Mapで松尾大社までの経路を確認)、お酒の神様として名高い松尾大社に立ち寄ります。鈴虫寺として知られる華厳寺も通りますが、特に祝祭日は行列ができるような人気で、時間待ちとなる可能性が大ですので、行程に含んでおらず、通過するだけです。苔寺は拝観には事前予約が必要(予約はこちらから)で、場合によっては1ヶ月以上前に予約しないと見学できません。ですからこちらも前を通過するだけで、ハイキングの行程には含んでいません。

このハイキング・コースの地図を参照

京都一周トレイル 西芳寺(苔寺)・嵐山コースの行程

松尾大社

まずは松尾大社(まつのおたいしゃ)からスタートします。

松尾大社
松尾大社

松尾大社(公式ホームページはこちら)は、太古の昔から松尾山山頂近くにある磐座に、地域の神が祀られていたことを由来とします。その後、5世紀に新羅から秦氏が渡来し、松尾大社周辺に定着したようです。秦氏は水利を工夫して産業を興し、酒造りが得意だったとされていて、それが現在も松尾大社が酒の神様とされる由緒になったようです。701年に現在の場所に神殿を造営し、その後秦氏の子孫が明治の始めまで神官を務めたそうです。平安時代になると、桓武天皇は松尾大社と賀茂神社とを皇城鎮護の社と定めたそうです。

松尾大社の本殿は、室町時代の1397年に再建されたもので、重要文化財です。ただし、塀に囲まれた奥まったところに位置するので、全体を見ることはできません。

松尾大社本殿
松尾大社本殿

松尾大社にはお酒の資料館が併設されています。見学は無料です。

松尾大社のお酒の資料館
松尾大社のお酒の資料館

松尾大社から出て、松尾山の山すそを南へしばらく進むと月読神社があります。ここは松尾大社の摂社ですが、延喜式にも登場する古い神社です。元々は壱岐氏が壱岐島で海上の神としていたそうで、秦氏と共にこの地に来たのではないかとされています。由来についてはこちらを参照してください

月読神社
月読神社

月読神社からさらに南下すると、鈴虫寺として知られる華厳寺。説法が人気だそうで、行列ができていましたので境内の参拝もパス。

鈴虫寺
鈴虫寺

続いて、苔寺として有名で、世界遺産の一部にもなっている西芳寺。ここは拝観には要予約です。

苔寺 西芳寺
苔寺 西芳寺

西芳寺から谷沿いに進むと「山の神さん」。山作業の安全を祈る民間信仰でしょうか。

山の神さん
山の神さん

この後すぐにハイキング・コースの案内板があり、松尾山への登山道に入ります。登りはじめは竹林ですが、すぐに広葉樹の低木の間を進む道に変わります。

松尾山山頂近くには、古墳の石室が。このあたりは、松尾山古墳群があるようで、相当数の古墳があるとか。素人が歩いていて気が付くことはあまりありませんが。やはり秦氏と関係があるのでしょうか。

松尾山古墳群
松尾山古墳群

続いては山城の土橋のような遺構。調べてみたら、松尾山の山頂の向こう側に、嵐山城という城があったそうです。応仁の乱の頃1497年に築かれ、山城国の守護代官であった香西元長が使用したとか。1507年にはすでに廃城になったようですが、その後細川晴元が使った可能性があるとか。さすが京都。周辺の山の中まで歴史があちらこちらに残っていますね。

嵐山城の土橋?
嵐山城の土橋?

松尾山山頂は樹林に囲まれていますが、少し脇に出ると、嵐山や嵯峨野方面が良く見えます。

ここから嵐山まではずっと下り道です。道はよく整備されており、迷うところもありません。最期はひょこっと車道に出ます。

車道に出たら、渡月橋に向かう途中にあるのが智福山法輪寺(通称、虚空蔵法輪寺)。やはり秦氏に関連する葛野井宮が古墳時代にはあったようで、寺院としては713年に行基が創建したとされる古刹です。空海日蓮もこの寺院で修業したとか。平安時代には清少納言が枕草子の中で、代表的な寺院として法輪寺を挙げているそうです。渡月橋もかつては法輪寺橋と呼ばれていたとか。法輪寺の由緒についてはこちらを参照してください

智福山 法輪寺
智福山 法輪寺

お約束の渡月橋。この川の水利水運に秦氏が関わっていたわけですね。後はお好みの交通機関を選んで帰路、ということになります。

渡月橋からの風景
渡月橋からの風景

持ち物

このハイキング・コースは、軽登山を含みますので、ハイキングシューズあるいは軽登山靴をお勧めします。服装は軽い登山用のものをご用意ください。

ランチ

一旦山道に入ると、飲食店等は一切ありません。弁当を持参するか、苔寺周辺か嵐山周辺のレストランを利用することになります。

Post Author: ガイドマスター

京都一周トレイル 安楽寺・楼門の滝・大文字山・日向大神宮

このコースは京都一周トレイル東山コースの一部を歩くものです。真如堂前バス停(Google Mapで経路を確認)からスタートし、安楽寺を見学。谷沿いの道を登って楼門の滝を過ぎ、大文字山に登り、日向大神宮へと下ります。岐路の最寄り駅は地下鉄東西線蹴上駅です。なおこのルートは大文字山の山頂には行きますが、大文字焼きを含みません。

このコースの地図はこちら

このコースの行程

白川通りにある真如堂前バス停で下車します。真如堂前と言いつつも、真如堂(真正極楽寺)まではちょっと距離があります。

安楽寺

まずは安楽寺に立ち寄ります。安楽寺は、浄土宗の寺院で、住蓮山安楽寺といいます。鎌倉時代に法然の弟子の住蓮と安楽という二人の僧が、念仏道場として草庵を作ったのが起こりです。銀閣寺近くの法然院はこの草庵の跡に建てたとされています。ただ、安楽寺と法然院は特に関係を持っていないように思えます…。どちらも浄土宗の単立寺院のようです。

安楽寺の公開は春と秋の時期に限られます(スケジュール確認はこちら)。

安楽寺には悲しい由来があります。安楽寺のホームページから引用します。安楽寺では、係の人からこの話を聞くことができます。

後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫は、法然上人や住蓮と安楽両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち)(現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原(東本願寺近く)で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。
その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。

http://anrakuji-kyoto.com/anrakuji.html

後鳥羽上皇自身はこの後1221年に承久の乱で鎌倉幕府に敗れ、隠岐に島流しになっています。新古今和歌集を編纂するなど多彩な人ですが、どうも血気盛んだったようですね。

安楽寺からは少し道を戻り、霊鑑寺(非公開)の山門の前から東方向、山に向かう道に入ります。しばらくは車道ですが、やがて道標に従って山道に入ります。ところどころには山の中に石垣などが残り、かつて建物があちらこちらに建っていたことを伺わせます。このルートは如意古道と呼ばれ、かつては最短で京と近江を結ぶ道だったそうです。

やがて楼門の滝。このあたりにかつて如意寺の楼門があったので、楼門の滝と呼ばれているそうです。思ったよりも小さな滝でした。

楼門の滝
楼門の滝

滝の脇にも石段があり、「明らかにこの辺りには何かあったんだな」と思って登っていくと、樹林の中に石碑が。「俊寛僧都忠誠の碑」とあります。平安末期、ここには俊寛の鹿谷山荘があったそうです。平家物語にある鹿ヶ谷事件の舞台です。1177年、ここにあった山荘を俊寛が提供し、西光法師、藤原成親、成経親子、平康頼らが平家打倒の謀議を行いました。謀議は密告により発覚し、俊寛は鬼界ヶ島に流され、その地で一生を終えました。

俊寛僧都忠誠の碑
俊寛僧都忠誠の碑

谷に沿ってさらに登り続けると、尾根に出ます。ここが如意越えでしょうか。尾根沿いには明らかな土塁が。大文字山の山頂一帯には、かつて如意ヶ嶽城という城がありました。如意ヶ嶽という山は大文字山とは別で、近くにありますから、なぜ大文字山にある城を如意ヶ嶽城と呼ぶのかはわかりません。

如意ヶ嶽城は応仁の乱の時、東軍の多賀高忠が築城したとされています。その後戦国時代まで、如意越えを押さえるための要衝として使われていたようです。大文字山山頂に登るまでいたるところに土塁、堀切、廓の跡、土橋などの遺構が残っています。城跡に関する案内板は皆無なので、ほとんどの人は気づかないようです。

大文字山山頂からは京都の街並みが一望できます。

大文字山からの眺望
大文字山からの眺望

大文字山からは登って来た道を戻り、如意越えからさらに先の尾根へと進みます。ここからは若干の起伏はあるものの、日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)に向かっておおむね下り坂が続きます。途中でルートは二手に分かれますが、天の岩戸の方へ向かいました。天の岩戸は山肌に掘られた小さな洞窟ですが、日向大神宮には天照大御神が祀られていますので、多分その関係でしょうか。

日向大神宮の天の岩戸
日向大神宮の天の岩戸

日向大神宮の由緒はこちらを参照してください

日向大神宮から下っていくと、琵琶湖疎水の施設に出ます。

義経地蔵

琵琶湖疎水のインクラインの一角にあるのが、義経地蔵。平安末期に奥州へ向かう牛若丸(源義経)が、平家一門の関ヶ原与一の一行に水を蹴上げられて怒り、従者ともども切り捨てたとか。蹴上という地名はここから生まれたとか。地蔵は切り捨てられた一行を哀れんだ地元民が供養のためにまつったとか。時はまだ平家の世だったはずなので、牛若丸がそんな騒ぎを起こすとは思えないのですが、ストーリーはそういうことになっています。ちなみに関ヶ原与一は、関ヶ原周辺では水利に貢献があったとして、与一宮まで作られている人です。

義経地蔵
義経地蔵

義経地蔵からは、地下鉄東西線蹴上駅へ向かい、ゴールです。

ランチ

弁当を持参してください。朝早くから登れば、ランチの時間帯に降りてくることも可能です。

持ち物・服装

ルートのほとんどは山道で、軽いとは言え登山になります。ハイキング用の靴か、軽登山靴がお勧めです。街歩きの服装そのままではお勧めできません。

途中に売店も自販機もありませんから、お茶などの水分を持っていくことを忘れずに。

Post Author: ガイドマスター

京都ウォーキング 醍醐寺

醍醐寺は、京都の伏見区にある世界遺産に指定された寺院です。真言宗醍醐派の総本山となっています。豊臣秀吉がおこなった「醍醐の花見」で有名な寺院です。国宝や重要文化財を含み、15万点もの寺宝を所蔵している、驚くべき寺院です。京都の中心街からは少し離れていますので、すごい寺院であるにもかかわらず、訪問者は限られています。(醍醐寺の公式ページはこちら

京都市などが立てた醍醐寺の案内は以下です。

醍醐寺は伽藍が上と西麓の平地とに分かれており、 山上伽藍は貞観16年 (874)に、平地伽藍は延喜4年 (904) に整備が始められたと伝えます。そのたびたび火災にあい、16世紀末から17世紀初頭にかけて現在みられる姿に復興されました。山上伽藍の薬師堂は、保安5年(1124)に再建されたもので、平安時代初期の礼堂をもたない仏堂の規模・ 様式を伝えています。 また鎖守社清宮拝殿は、永享6年(1434)に再建された懸造の建物で、意匠的には住宅風に仕上げられています。いっぽう平地伽藍のうち、天暦5年(951)に建立された五重塔は、年代が明らかな建物としては京都における現存最古のもので、その外観は雄大で安定感があり、また初層内部に両界マンダラを描く点に密教寺院としての特色がみられます。 金堂は、慶長5年(1600) に紀州満願寺の金堂を移築したもので、平安時代末期の仏堂の様式を残しています。三宝院の表書院は、豊臣秀吉による慶長3年の花見に際して増改築されたもので、寝殿造りの様式が取り入れられており、またこの横に広がる庭園も秀吉が直接指示して造らせた豪華なもので、池泉回遊式と枯山水が折衷されています。

現地の案内板

また、今回は取材の都合で訪れることができませんでしたが、山の上には醍醐寺発祥となった上醍醐があり、醍醐水が今でも湧き出ています。下醍醐の醍醐寺を見学するだけでも時間がかかりますし、上醍醐までは下醍醐から片道約1時間。上醍醐にも国宝や重要文化財の建築物がありますから、下醍醐・上醍醐両方をじっくり見ようと思うと、1日の行程になってしまいます。(地図をご覧ください

このガイドは、取材の都合で下醍醐のみを取り上げていますが、時間があれば上醍醐にも出かけたいと思っています。

醍醐寺の最寄り駅は、地下鉄東西線の醍醐駅です。醍醐駅からは東にまっすぐのびる歩道を通るのが近道です。

まず迎えてくれるのが醍醐寺総門。奈良街道に面しています。

醍醐寺総門
醍醐寺総門

総門をくぐった左側に受付(拝観券売り場)があります。醍醐寺の拝観券は、伽藍エリア、霊宝館エリア、三宝院エリアの三つに分かれていますが、すべてを周ることをお勧めします。

三宝院

まず受付の脇から入るのが三宝院です。三宝院は1115年の創建で、醍醐寺座主が居住する本坊となっていました。現在の施設は1598年の豊臣秀吉による醍醐の花見を契機に整備されました。庭園は秀吉が基本設計をしたそうで特別史跡です。

三宝院の建物はほとんどが重要文化財。表書院は国宝です。重要文化財の本堂は通常非公開ですが、ここにある弥勒菩薩座像(これも重要文化財)は鎌倉時代、快慶の作です。

三宝院
三宝院

美しい庭園。三宝院は建物内部の撮影ができません。

三宝院の庭園
三宝院の庭園

庭園の池の対岸にある四角い石(藤戸石)とその両側の石は、極楽浄土の阿弥陀三尊を表しているそうです。藤戸石はその経歴から「天下人が所有する石」と呼ばれているそうです。元は源平合戦のおりに現在の倉敷市藤戸町にあったものを、足利義満が現在の金閣寺に取り寄せ、足利義政の時に銀閣寺に移され、12代足利義晴の時に細川高国に譲られ、織田信長が15代足利義昭の二条御所に移し、豊臣秀吉がまず聚楽第に、その後三宝院へと持ってきたそうです。

そして、築山の上にある小さな社は豊臣秀吉を祀るものだとか。後に徳川の世になってしまったため、三宝院ゆかりの秀吉を大々的に表に出すことをはばかり、ひっそりと小さな社に祀ったそうです。

三宝院の庭園
三宝院の庭園

三宝院の奥の方にある建物の、賓客が座る位置から見ると、このように藤戸石が直線状に見られる仕組みになっています。

藤戸石
藤戸石

三宝院の唐門は、1599年のもので、国宝。黒漆で塗られ、菊と五七の桐の紋が両側に付けられています。

醍醐寺三宝院唐門
醍醐寺三宝院唐門

醍醐寺霊宝館

霊宝館は醍醐寺が所有する10万点以上の文化財(内、国宝や重要文化財が7万5千点!)の保存と展示を行う施設です。国宝の薬師三尊像、重要文化財の五大明王像をはじめ、多くの文化財が公開されています。内部は撮影禁止です。

醍醐寺霊宝館
醍醐寺霊宝館

醍醐寺伽藍

醍醐寺の伽藍(下伽藍)の入り口は仁王門です。

醍醐寺仁王門
醍醐寺仁王門

平安末期の様式を残す優美な醍醐寺金堂は、豊臣秀吉が紀州の湯浅から移築させたもの。国宝です。

醍醐寺金堂
醍醐寺金堂

そして、現存する木造建築の中では最も古いと言われる五重塔。無骨ですが趣があります。これも国宝。951年の完成です。

醍醐寺五重塔
醍醐寺五重塔

清瀧宮本殿は、ほとんどの人が注意を払わずに通過していますが、重要文化財です。

醍醐寺清瀧宮本殿
醍醐寺清瀧宮本殿

この日の取材はここで時間切れとなりました。上醍醐はまたいずれ出直して取材したいと思います。

ランチ

醍醐寺には境内にも複数のレストランがあります。醐山料理雨月茶屋(和食)、阿闍梨寮「寿庵」(和食・和カフェ)、フレンチカフェ ル・クロ スゥ ル スリジェ ~桜の樹の下で~の三軒です。取材時には雨月茶屋は閉まっていました。寿庵は伽藍エリアの内部にありますから、入場料を払わないと入れません。

取材の日は総門を出た奈良街道沿いにある、甘味・手打ち蕎麦 しも村を利用しました。ニシン蕎麦がお勧めです。

近隣の見どころ

醍醐寺は京都の他の社寺とは離れたところにあります。また、多くの見どころや文化財があり、特に上醍醐まで足を延ばすと丸一日必要になると思います。

下醍醐だけの見学にとどめて、他の見どころと組み合わせるのであれば、最寄りの地下鉄東西線沿線にある南禅寺からのコース(蹴上駅)や、知恩院からのコース(東山駅)、二条城(二条城前駅)などがお勧めです。

Post Author: ガイドマスター

中山道 妻籠宿から馬籠宿(ハイキング・コース)

このコースはJR南木曽駅をスタートして中山道をたどり、妻籠宿から馬籠宿までを歩くハイキング・コースです。車道を離れて昔ながらの街道が残っている部分が多く、妻籠宿、馬籠宿という昔の風情が再現された二つの宿場もあることで、人気のハイキング・コースとなっています。

多くの方は、妻籠宿・馬籠宿の間を歩くだけですが、妻籠宿とJR南木曽駅の間も歩いて楽しい区間ですので、歩くことをお勧めします。

馬籠・妻籠のハイキングマップはこちら


このハイキング・コースは、馬籠宿から歩き始める方が下り坂が多くなって体力的には楽です。そのため多くの方は馬籠宿から妻籠宿へと歩きます。ただ、妻籠宿最寄りのJR南木曽駅からの列車の本数は時間帯によってかなり限られます。馬籠宿からJR中津川駅へと向かうバスは、平日でも1時間に1本あり、中津川駅からは名古屋方面に向けてかなりの本数の列車が出ていますので、交通の便を考えると妻籠宿から歩き始める方が良いです。

コースの見どころ

JR南木曽駅を出たら、しばらく中央線に沿って南下します。基本的に妻籠宿までは車道を歩きます。道が樹林の中に入っていく手前にはSL公園。かつて中央線で使われていた蒸気機関車D51が展示されています。

D51
D51

SL公園の脇で、JR南木曽駅からの道が旧中山道に合流します。写真手前を進むと妻籠宿。右奥へ進むと三留野宿に至ります。

SL公園
SL公園

街道の脇には風情のある家並みが。この辺り、風情のある家並みがあるのは、宿場跡だけではないですね。

しばらく歩くとかぶと観音。かぶと観音は、1180年に源義仲(木曽義仲)が京に上る時に、自分の兜の観音像をここに祀ったのが由来とされています。木曽義仲が腰かけたという石などもあります。かつては巴御前が袖で薙ぎ払った「袖振りの松」もありましたが、枯れてしまったそうです。

かぶと観音
かぶと観音

のんびりとした山村風景の中を歩いて行くと、やがて上久保一里塚。両側に塚が残っています。

上久保一里塚
上久保一里塚

その先には良寛の歌碑。良寛は江戸時代の僧侶ですが、中山道木曽路を通った時に2首詠んでいるそうです。この碑にあるのは「木曽路にて この暮れの もの悲しきに わかくさの 妻よびたてて 小牡鹿鳴くも」です。

良寛碑
良寛碑

しばらく進むと「蛇石」(へんびいし)と書かれた道標。蛇石がどこにあるのかわからず通り過ぎてしまいましたが、この道標から妻籠方面に少し進んだ左側にある大きな石のことだそうで、かつては案内の札もあったとか。今もあるのかもしれませんが、全く気が付かずに通り過ぎてしまいました。

蛇石道標
蛇石道標

ほぼ廃屋と化したしろやま茶屋跡を通り過ぎると、妻籠城跡への分岐。妻籠城は一説には木曽義仲の築城とありますが、多分伝説でしょう。実際には誰が築城したのか不明ですが、室町中期までには城があったそうです。戦国時代の城主は木曾義昌で、木曽氏は木曽義仲の直系を自称していたとか。木曾義昌は当初甲斐の武田に付いていたものの1582年に織田信長に寝返り。1584年の小牧・長久手の戦いでは当初徳川家康に付いていたものの、豊臣秀吉に寝返り。妻籠城を攻撃した徳川方の菅沼定利、保科正直、諏訪頼忠らを撃退したそうです。

妻籠城には、土橋や廓の跡などが比較的よく残されています。

やがて妻籠宿の入り口に差し掛かると道の両側に熊谷家住宅と鯉ヶ岩。熊谷家住宅は19世紀初頭に建てられた建物の一部だそうで、中が見えるようになっています。鯉ヶ岩は木曾義昌の武将がここで恋を語ったという伝説があるとか。

口留番所跡からはいよいよ妻籠宿の中心に入ります。

取材の日はおもてというお店でランチにしました。蕎麦を出す似たようなお店がたくさんありますが、ここはマイタケやタラの芽(季節限定)の天婦羅があるので。タラの芽の天婦羅たっぷり出ました。

おもての天ざる
おもての天ざる

妻籠宿のはずれには大きな藁馬があり、白い藤がきれいです。

妻籠宿の藁馬
妻籠宿の藁馬

さてここからが、このコースの佳境、妻籠宿と馬籠宿との間の中山道をたどるハイキング・コースです。ただ、このコースは「中山道歩き」の中ではお勧めということであって、「ハイキング・コース」として超お勧めというわけでは特にありません。

コースの入り口はこんな感じ。妻籠宿への観光客用の駐車場の脇に旧中山道が通っています。

妻籠宿から中山道歩きスタート
妻籠宿から中山道歩きスタート

しばらく歩くと「石柱道標」の案内板。明治の中頃まで中山道が使われていたことを記すものですが、肝心の道標が見当たらず。きょろきょろしていると、道のわきではなく、近くの民家の庭と思われるところに立っていました。「西京東京」という表現が面白いですね。

石柱道標
石柱道標

気持ちよく歩いていると大妻籠の集落。

道は樹林に入り、上り坂を進んでいくと牛頭観音。馬頭観音はよく見かけますが、牛頭観音は中山道でもここだけで、旧坂を荷車を引いて登った黒牛を弔うものだとか。腕が六本(六臂)は馬頭観音の特徴のようですから、馬頭観音の頭の上に牛の頭を載せたのでしょうか。

中山道牛頭観音
中山道牛頭観音

やがて倉科祖霊社。祀られているのは松本城主小笠原貞慶の重臣、倉科七郎左衛門の霊とあります。七郎左衛門は、豊臣秀吉のもとに使いに行き、その帰りに馬籠峠で対立する土豪たちに襲撃されて、討死したとか。

倉科祖霊社
倉科祖霊社

やがて道端に庚申塚と馬頭観音像(多分)。この先で中山道は路肩崩壊で通行止めになっていて、男滝女滝を経由する道が付けられていました。

続いて巨大な椹(サワラ)、木曽五木の一つです。推定樹齢300年。枝が途中から立ち上がっているものは神居木と呼ばれ、山の神や天狗の居場所とされてきたとか。

サワラの大木
サワラの大木

やがて一石栃の白木改番所跡。尾張藩が木曽から運び出される木材を監視したところです。隣には一石栃立場茶屋があり、地元の人たちがお茶をふるまってくれます。かつてはここにも集落があったそうですが、現在残っているのは江戸後期に建てられ、茶屋として使われている牧野家住宅だけだそうです。

ここから一登りすると馬籠峠。峠には茶屋があります。長い登りもここまで。ここから馬籠宿までは下り坂です。

馬籠峠
馬籠峠

しばらく下ると十返舎一九の狂歌碑。「渋皮の 剥けし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」とあります。十返舎一九は1811年に中山道を旅して、「木曽街道膝栗毛」を書いたそうです。

十返舎一九の歌碑
十返舎一九の歌碑

さらにどんどん下ると、恵那山方面の風景が開け、馬籠宿の上の展望台に出ます。道祖神が多いのは木曽路の特徴だと思いますが、実は馬籠は2005年に長野県から岐阜県中津川市へと越県して編入されています。地元の方の話だと、子どもたちの進学問題が背景にあり、近くの中津川市の高校へ進学できるように岐阜県に移ったとか。反対したのが長野県の学校の先生たちで、「島崎藤村の故郷が岐阜県に移るのは認められない」が理由だったそうです。

道を下っていくと馬籠宿。かつてはさびれ、忘れ去られた山村と化していたそうですが、地元の人たちの努力で新たな観光地としてよみがえったそうです。島崎藤村の生まれ故郷、「夜明け前」の舞台で、藤村の記念館もあります。

馬籠宿のバス停は、馬籠宿を下りきった、馬籠宿した入り口のすぐ近くにあり、ここからJR中津川駅へとバスで出られます。

集合場所

JR南木曽駅が集合場所、出発点になります。帰路は馬籠宿からJR中津川駅へのバスを利用します。

行程とコースタイム

このコースはJR南木曽駅から歩き始め、見学を含めて6時間ほどです。舗装道路と緩い山道が混在したルートです。

昼食

時間的には、妻籠宿で早目のランチを取ることになるかと思います。飲食店は馬籠宿にも数多く、また、街道の途中にも数軒の飲食店があります。

トイレ

道中ところどころに公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きではありませんので、ハイキング用の服装をお勧めします。靴はハイキングシューズかスニーカーが良いです。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

Post Author: ガイドマスター

米原から西円寺、息長。古代から中世の近江を訪ねる(ハイキング・コース)

このコースは、米原駅から北国街道を進み、廃道になった道で尾根を越えて西円寺の集落に入ります。そこから、古代は息長氏が、中世においては京極氏や浅井氏の配下の土豪・武将たちが治めていたであろう、農村地帯を歩きます。いくつかの城跡を訪れ、いくつかの古墳と古代からの神社を訪れます。

このコースのマップはこちら


コースの見どころ

米原駅東口(近江鉄道の駅がある方)を出ると、米原湊の記念碑。かつてここに湊があったと思いをはせながら、少し東の旧北国街道に向かいます。米原駅から北国街道を経て米原高校に至るまでの案内はこちらを参照してください。

さて、米原高校手前の交差点まで来たら、米原高校の背後にある尾根に取り付きます。国土地理院の地図では道があることになっていますが、どうやら道が崩れたらしくて、車道からの入り口が廃道になったのか、位置が変わったのか、わかりません。

国土地理院地図
米原高校付近の国土地理院地図

仕方なく強引に斜面を登ったらものの5分で道が見つかりました。この道は、米原高校の脇から、尾根を越えて西円寺の集落に向かう道です。かつては林道として使われていたのでしょうか。幅2mほどもある良い道が、米原高校背後の尾根を通っています。

米原高校から西円寺へ続く道
米原高校から西円寺へ続く道

道はやがて西円寺を馬蹄形に取り囲む尾根筋の峠を越えて、西円寺集落へと下っていきます。この峠は西円寺砦の堀切ではないか、という説もあるようですが、はっきりわかりません。

また、正直、山登りや山城に興味のない方は、この道をたどって西円寺集落へ向かうことをお勧めします。取材の時はGoogle Mapに記しのある西円寺砦を確認しようと、西円寺山の頂上へと向かいました。ところが頂上に着くまでにはほぼ踏み跡もなく、また頂上を越えて山城の跡を探してみましたが、若干広くなって郭かなと思わせるところがある以外は山城に多い土塁や堀切も見当たらず、明確な山城の証拠は見つかりませんでした。最後には道のない斜面を適当に下って集落に出ました。藪漕ぎが必要なうえに、ダニまで出ますので、よほど興味のある方以外にはお勧めしません。

西円寺山
西円寺山

西円寺砦は、室町時代から戦国時代に京極氏、後に浅井氏に仕えた今井氏の奥城と言われています。西円寺集落最奥に西園寺という黄檗宗の寺院があります。取材の時には見つけられませんでしたが、ここには今井氏最後の3代の墓石があります。記録によると今井氏14代今井秀俊は1533年に六角定頼浅井亮政の争いに巻き込まれて切腹。15代今井定清は浅井長政に従い、1561年に磯野員昌と共に六角方の太尾山城を攻撃した時に討死。その子、今井秀形は豊臣秀吉に従い1583年に伊勢で討死し、今井氏は途絶えたそうです。

大雄山西園寺は、14世紀後半に京極氏の根本被官(筆頭家老)であった今井氏4代今井遠俊が開いたものだそうです。かつては延暦寺に従う天台宗の寺院として栄えていたそうですが、1575年頃に、織田信長が延暦寺を焼いた折に攻撃を受けて焼失。その後、江戸時代になって黄檗宗の寺院として再興されました。中国風の山門の両側に龍の像があります。

西園寺の山門
西園寺の山門

ただ、西園寺の一帯はかつて今井氏の居館があったともされており、寺院の周囲には土塁などの遺構も確認できます。西園寺が今井氏の菩提寺であったことを考えると、寺院の敷地と館が一体化していたのかもしれませんね。

西園寺の土塁
西園寺の土塁

西園寺には玉泉亭という庭園があります。彦根城玄宮園を作った作庭師たちが、西園寺の裏にある近江稲荷の堂が造られた時に、西園寺に逗留して玉泉亭を作ったとされています。もう少し手入れしたら、観光客を呼べるかもしれませんが…

西園寺の玉泉亭
西園寺の玉泉亭

西園寺には他にも由緒のあるものがあり、背後の山も含めてゆっくり探索すると発見があるでしょう。また西円寺集落周辺にも他の遺跡や古墳などがあるとされていますが、位置などは調べても全く分かりませんでした。

西円寺集落から国道21号線の下をくぐって北上します。あたりは美しい田園風景です。

しばらく北上すると、天野川につき当り、橋を渡ります。この辺りは1571年に起きた箕浦の合戦の現場のようです。箕浦の合戦では、南に進出してきた浅井長政の配下の浅井井規の軍勢と、横山城にいた豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)、鎌刃城主の堀秀村らが挑み、浅井勢を撃退しました。川の向こうが箕浦の集落です。

箕浦のあたりは戦国時代にはたびたび戦場になっていたようで、1531年には六角定頼浅井亮政との間に箕浦合戦が起きています。

箕浦の合戦の天野川
箕浦の合戦の天野川

天野川の対岸、箕浦の集落のあたりには箕浦城がありました。箕浦城は当初今井氏の居城でしたが、1570年の姉川の戦いで浅井方の今井氏は破れ、1571年に堀秀村らが入城していたそうで、そのまま箕浦の合戦に繋がっています。集落内の水路は堀跡だと言われており、また付近の水田の中には居館跡とされる土壇が残っています。

箕浦の集落からは、近江はにわ館へ向かいます。ここは米原市立近江図書館が入っており、玄関を入ると近くの古墳で発掘された埴輪が数体展示されています。石見型埴輪は珍しいものだそうです。はにわ館という名前ですが、展示はこの数体だけです。

はにわ館を出て北陸自動車道に少し南下したところに塚の越古墳があります。この古墳は元々前方後円墳だったようで、石見型埴輪も出土しており、このあたり一帯の息長古墳群の中でも重要なものであったと考えられています。ただし中世に砦として使われたために、原形をとどめないほど破壊されてしまっています。

塚の越古墳
塚の越古墳

北陸自動車道を越えて東に向かって歩いて行くと、息長小学校や息長郵便局があります。息長氏は古事記・日本書紀に登場する有力豪族で、奈良時代までにはこの辺り一帯を治めていたと考えられています。継体天皇が息長氏の出身という説もあるそうです。

その息長郵便局の北側辺り一帯が能登瀬城のようですが、現在は宅地になっています。現存する水路が堀の跡とされていますが、それ以外の遺構は見ることはできないようです。能登瀬城は京極氏に仕えていた堀秀村ら堀氏の居城でした。今もこの地域には「堀」姓の人が住んでいるとか。

北側から尾根が下りてきていますが、そこが息長氏の祖を祀ったという山津照神社の鳥居です。「延喜式神名帳」にも出てくる古社です。現在の祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)です。

山津照神社の鳥居
山津照神社の鳥居

石段を上がるとそこにあるのは善性寺。この寺の本堂から背後の尾根にはかつて青木城と呼ばれる青木氏の館があったとか。青木氏は山津照神社の別当だったとされていますが、それ以上のことはあまりわからないとか。

善性寺
善性寺

広々とした山津照神社の参道を歩いて行くと、山津照神社古墳。前方後円墳です。明治時代に神社の参道の拡張工事で発見されたとか。鏡や須恵器など数多くの遺物が出土したそうです。

息長氏の祖を祀る山津照神社の拝殿と本殿。

山津照神社からは、山すその青木神社の方に下ります。青木神社からは、水田地帯を突っ切って、天野川を渡り、醒ヶ井駅へと向かいます。

集合場所

JR米原駅東口が集合場所、出発点になります。ゴールはJR醒ヶ井駅です。

行程とコースタイム

このコースはJR米原駅から歩き始め、見学を含めて4時間ほどです。一部に山道があります。

昼食

歩行時間は4時間ほどですので、早めに米原駅周辺で昼食を取ってから出発することも可能です。米原駅周辺ならば、Cafe du MBF をお勧めしています。コースの途中には飲食店はあまりありませんが、息長郵便局に近い能登瀬にある丸善おくむら公式サイトはこちら)をお勧めします。人数が多い場合は安いファーストフード店ではありませんので、どちらの店も予約をしておいたほうが良いです。

丸善おくむらの「にぎわいランチ」
丸善おくむらの「にぎわいランチ」

トイレ

米原駅にあります。道中ははにわ館の中にトイレがあります。

持ち物と服装

ハイキングの服装をお勧めします。靴はハイキングシューズかスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

米原駅から駅東側にある太尾山城を巡るコースが2時間弱ですから、体力がある人であれば十分組み合わせることができます。

米原駅を西側に出て善光寺岩屋善光堂を訪ねてからこのコースに繋げるのもお勧めです。最寄りの国道はある国は危険ですので、ちょっと距離は伸びます。

息長から、かぶと山まで足を延ばすこともできます。こちらも+2時間ほどです。

Post Author: ガイドマスター