京都一周トレイル 安楽寺・楼門の滝・大文字山・日向大神宮

このコースは京都一周トレイル東山コースの一部を歩くものです。真如堂前バス停(Google Mapで経路を確認)からスタートし、安楽寺を見学。谷沿いの道を登って楼門の滝を過ぎ、大文字山に登り、日向大神宮へと下ります。岐路の最寄り駅は地下鉄東西線蹴上駅です。なおこのルートは大文字山の山頂には行きますが、大文字焼きを含みません。

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このコースの行程

白川通りにある真如堂前バス停で下車します。真如堂前と言いつつも、真如堂(真正極楽寺)まではちょっと距離があります。

安楽寺

まずは安楽寺に立ち寄ります。安楽寺は、浄土宗の寺院で、住蓮山安楽寺といいます。鎌倉時代に法然の弟子の住蓮と安楽という二人の僧が、念仏道場として草庵を作ったのが起こりです。銀閣寺近くの法然院はこの草庵の跡に建てたとされています。ただ、安楽寺と法然院は特に関係を持っていないように思えます…。どちらも浄土宗の単立寺院のようです。

安楽寺の公開は春と秋の時期に限られます(スケジュール確認はこちら)。

安楽寺には悲しい由来があります。安楽寺のホームページから引用します。安楽寺では、係の人からこの話を聞くことができます。

後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫は、法然上人や住蓮と安楽両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち)(現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原(東本願寺近く)で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。
その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。

http://anrakuji-kyoto.com/anrakuji.html

後鳥羽上皇自身はこの後1221年に承久の乱で鎌倉幕府に敗れ、隠岐に島流しになっています。新古今和歌集を編纂するなど多彩な人ですが、どうも血気盛んだったようですね。

安楽寺からは少し道を戻り、霊鑑寺(非公開)の山門の前から東方向、山に向かう道に入ります。しばらくは車道ですが、やがて道標に従って山道に入ります。ところどころには山の中に石垣などが残り、かつて建物があちらこちらに建っていたことを伺わせます。このルートは如意古道と呼ばれ、かつては最短で京と近江を結ぶ道だったそうです。

やがて楼門の滝。このあたりにかつて如意寺の楼門があったので、楼門の滝と呼ばれているそうです。思ったよりも小さな滝でした。

楼門の滝
楼門の滝

滝の脇にも石段があり、「明らかにこの辺りには何かあったんだな」と思って登っていくと、樹林の中に石碑が。「俊寛僧都忠誠の碑」とあります。平安末期、ここには俊寛の鹿谷山荘があったそうです。平家物語にある鹿ヶ谷事件の舞台です。1177年、ここにあった山荘を俊寛が提供し、西光法師、藤原成親、成経親子、平康頼らが平家打倒の謀議を行いました。謀議は密告により発覚し、俊寛は鬼界ヶ島に流され、その地で一生を終えました。

俊寛僧都忠誠の碑
俊寛僧都忠誠の碑

谷に沿ってさらに登り続けると、尾根に出ます。ここが如意越えでしょうか。尾根沿いには明らかな土塁が。大文字山の山頂一帯には、かつて如意ヶ嶽城という城がありました。如意ヶ嶽という山は大文字山とは別で、近くにありますから、なぜ大文字山にある城を如意ヶ嶽城と呼ぶのかはわかりません。

如意ヶ嶽城は応仁の乱の時、東軍の多賀高忠が築城したとされています。その後戦国時代まで、如意越えを押さえるための要衝として使われていたようです。大文字山山頂に登るまでいたるところに土塁、堀切、廓の跡、土橋などの遺構が残っています。城跡に関する案内板は皆無なので、ほとんどの人は気づかないようです。

大文字山山頂からは京都の街並みが一望できます。

大文字山からの眺望
大文字山からの眺望

大文字山からは登って来た道を戻り、如意越えからさらに先の尾根へと進みます。ここからは若干の起伏はあるものの、日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)に向かっておおむね下り坂が続きます。途中でルートは二手に分かれますが、天の岩戸の方へ向かいました。天の岩戸は山肌に掘られた小さな洞窟ですが、日向大神宮には天照大御神が祀られていますので、多分その関係でしょうか。

日向大神宮の天の岩戸
日向大神宮の天の岩戸

日向大神宮の由緒はこちらを参照してください

日向大神宮から下っていくと、琵琶湖疎水の施設に出ます。

義経地蔵

琵琶湖疎水のインクラインの一角にあるのが、義経地蔵。平安末期に奥州へ向かう牛若丸(源義経)が、平家一門の関ヶ原与一の一行に水を蹴上げられて怒り、従者ともども切り捨てたとか。蹴上という地名はここから生まれたとか。地蔵は切り捨てられた一行を哀れんだ地元民が供養のためにまつったとか。時はまだ平家の世だったはずなので、牛若丸がそんな騒ぎを起こすとは思えないのですが、ストーリーはそういうことになっています。ちなみに関ヶ原与一は、関ヶ原周辺では水利に貢献があったとして、与一宮まで作られている人です。

義経地蔵
義経地蔵

義経地蔵からは、地下鉄東西線蹴上駅へ向かい、ゴールです。

ランチ

弁当を持参してください。朝早くから登れば、ランチの時間帯に降りてくることも可能です。

持ち物・服装

ルートのほとんどは山道で、軽いとは言え登山になります。ハイキング用の靴か、軽登山靴がお勧めです。街歩きの服装そのままではお勧めできません。

途中に売店も自販機もありませんから、お茶などの水分を持っていくことを忘れずに。

Post Author: ガイドマスター