宮路山 紅葉の名所宮路越え(ハイキング・コース)

宮路山は愛知県豊川市の旧東海道赤坂宿の南にある山です。江戸時代以降の東海道は宮路山の北側の谷あいの平坦地を通っていますが、それ以前は宮路山の山頂を通る山道で、宮路越えと呼ばれていたそうです。この旧道は鎌倉街道としても使われていました。702年に持統天皇がこの地を訪れたという説もあります。

宮路山の山頂部一帯は、昔から紅葉の名所と知られ、いろいろな文学や歴史書にも登場します。平安時代中期には既に、三河の国の名所として宮路山は知られていたようです。宮路山は多くの歌にも詠まれています。

更級日記
宮路の山といふ所超ゆるほど、十月つごもりなるに、紅葉散らでさかりなり。
嵐こそ吹き来ざりけれ宮路山 まだもみぢ葉の散らで残れる

十六夜日記
待ちけりな 昔も越えし宮路山 同じ時雨のめぐりあふ世を

また源平盛衰記によると、平安時代末期に太政大臣の藤原師長が平清盛によって尾張に流され、その時に宮路山を訪れて琴を奏でたとか。

このハイキング・コースは名鉄名電長沢駅を起点に、旧宮路越えと思われるあたりから宮路山に登り、東海道赤坂宿を経て名鉄名電赤坂駅に至るものです。(名電長沢駅までの経路をGoogle Mapで検索

逆コースも無論可能ですが、登りが急になるので、長沢側から登ることをお勧めします。

このコースのマップはこちら

コースの見どころ

名電長沢駅で降りたら、まず、あまり知られていない二つの城跡を訪ねます。長沢城跡と、登屋ヶ根城跡です。この他にも近隣に岩略寺城跡がありますが、岩略寺城跡は斜面の上にあるので取材時はパスしました。

長沢城

まず長沢城です。15世紀半ばに三河の松平宗家の松平信光の子、松平親則が築いたとされています。ここから長沢松平家が始まりました。その後代々、長沢松平家は居城を松平城とし、後に徳川家康に仕えました。松平政忠は桶狭間の戦いで討ち死。その子、松平康忠は姉川の戦い長篠の戦いに参戦。さらに本能寺の変のは家康の伊賀越えに同伴。さらに小牧・長久手の戦いに参戦しています。この活躍で、徳川十六神将の一人に数えられています。

長沢城は丘陵の上に造られた、幅200mもある大規模な城だったようですが、国道一号線で丘陵が分断され、さらに宅地化などが進んで、現在は堀や土塁の一部が残るのみ、見る影もありません。

長沢城跡の碑
長沢城跡の碑

登屋ヶ根城

登屋ヶ根城は、13世紀末に番場太郎致由が築城、あるいは室町時代初期に今川一族の関口刑部が築城したと言われていますが、確かなことはわかりません。関口刑部の墓は、城跡近くに残っています。1561年に今川方の糟谷善兵衛と小原藤五郎が城に立て篭ったものの家康方の松平信一に敗れたそうです。後に家康の重臣となる本田忠勝(本多平八郎)も参戦していたとか。

登屋ヶ根城は、主郭跡にラブホテルが建ってしまって、荒らされてはいますが、周囲には土塁や堀がかなりよく残っていて、見ごたえがあります。

登屋ヶ根城跡のある丘陵の突端を鋭角に回り込むと、長い石垣が見えてきます。城壁でも棚田でもないし、何かと思いましたが、これは長沢フロノ下の猪垣と呼ばれており、江戸時代中期に造られたものです。その頃も野生動物の被害に困っていたわけですね。周囲は235mもあります。

次第に道は谷あいに入っていきますが、そこにあるのが枡井戸。聖徳太子がかつてこの道を通った時に水を所望した場所だとか。聖徳太子とか持統天皇とかがこの道を通ったことになっていますが、記録ではなく伝説・伝承でしょうね。

枡井戸
枡井戸

さらに道を進むと、古い石像とか、岩の下の洞窟に何かが祀られていたりとか、ここが歴史のある道であることを感じさせるものがちらほら。基本的に林道歩きですが、林道東霧山線というそうです。

道は渓谷沿いを進みます。植林地はそれなりに手を入れてあるようですが、こんな渓流ぎりぎりまで植林地にするのは保護上まずいでしょうね。

渓流沿いの道
渓流沿いの道

やがて、登山者用の駐車場があり、そこから登山道が始まります。

しばらく登っていくと、見晴らし台のようなところに出ますが、そこがコアブラツツジ自生地。コアブラツツジというのはドウダンツツジの仲間ですが、宮路山が紅葉で有名なのはモミジではなく、このコアブラツツジの紅葉が美しいからだそうです。

ここからは宮路山山頂まで一登り。途中眺望が少し開ける場所があったり、季節の花が咲いていたり。

山頂に着くと、三河湾の方の展望が開けます。左奥は豊橋方面。

宮路山からの眺望
宮路山からの眺望

宮路山の山頂に貼石碑が立っています。この石碑は、持統天皇がこの地を訪問したのを記念して、大正時代に立てられたとか。碑が立っている大きな台石は、藤原師長が宮路山を訪れた時にこの岩の上でことを奏でたとか。かつては谷にあった岩をどうやらここまで持ち上げたようです。

宮路山山頂の石碑
宮路山山頂の石碑

宮路山山頂から少し下ると宮道天神社奥の院。奥の院という名ですが、ここが宮道天神社の本殿だそうです。かつてはここを街道が通っていましたから、街道沿いに本殿があったということのようです。また、この地は壬申の乱の折に、大海人皇子と行動を共にした草壁皇子が宮路山山頂付近で守備にあたっていたそうで、草壁皇子もこの神社の祭神の一人になっています。詳しくはこちらを参照。ただし、草壁皇子は壬申の乱の時には11歳のはずですから…

奥の院からはひたすらに下ります。山道は急に細くなり、石が滑りやすいところもあります。途中壊れた鳥居なども通り過ぎ、野生動物除けの柵の扉を開ければ車道に出ます。

そのすぐ先にあるのが宮道天神社。ここにあるのは本殿ではなく、拝殿なのだそうです。拝殿の天井には絵が描かれ、周りには絵馬が飾られているそうですが、中を見ることはできません。

宮道天神社拝殿
宮道天神社拝殿

宮道天神社から少し歩けばすぐに東海道赤坂宿に出ます。名鉄名電赤坂駅までは5分ほどです。

集合場所

名鉄名電長沢駅が集合場所、出発点になります。

行程とコースタイム

このコースは名鉄名電長沢駅から歩き始め、3時間ほどです。舗装道路と山道が半々くらいです。

昼食

10時くらいまでに歩き始めれば、宮路山を登って午後1時くらいまでには麓の赤坂宿に降りてこられるので、東海道赤坂宿周辺や、国道1号線沿いにある飲食店が利用できます。取材の日は赤坂宿にあるうなぎ屋でランチにしました。

トイレ

林道の終点の駐車場に公衆トイレがあります。山道を歩いている間はトイレはありません。下山後は道脇に公衆トイレがあります。

持ち物と服装

軽登山です。靴は軽登山靴かハイキングシューズをお勧めします。

ハイキング適期

コアブラツツジが花をつける5月初めか、紅葉の頃をお勧めします。

近隣の見どころ

赤坂宿から東海道を名鉄国府駅まで歩くコースをお勧めします。時間的に十分組み合わせることができます。あるいは、御油の松並木だけを見学に加えることも良いかと思います。

電車を利用すれば、豊川稲荷を参拝することも可能です。