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桑実寺、観音寺城跡から近江商人の里、五個荘(ハイキング・コース)

    このハイキング・コースは、山歩きと街歩きが楽しめるコースです。JR安土駅からスタートし、歴史のある桑実寺(くわのみでら)からかつて南近江を支配した佐々木氏・六角氏の居城であり、日本100名城にも選ばれている観音寺城跡を経て、聖徳太子の伝承のある観音正寺を訪問します。その後山を下り、近江商人の町、五個荘の街並みを訪ね、近江鉄道五箇荘駅にゴールします。


    桑実寺は風情のある寺院で、できれば紅葉の頃に訪れるのが良いかと思います。観音正寺は起源が古い寺ではありますが、観音寺城築城や戦火により、古いものはあまり残っておらず、現在地で再建されてからもさほど経っていないので見どころはあまりありません。

    観音寺城は、石垣などがかなり残っていますが、六角に敵対していた浅井氏の小谷城に比べると、あまり整備がされていません。観音寺城のある山が、寺院の所有になっているのが理由かもしれません。

    山を下りたところにある五個荘は、かつての近江商人の発祥の地の一つです。古い家並みや屋敷が残されており、散策していて楽しいところです。

    コースの見どころ

    JR安土駅を東側に出て、住宅街を抜け、田園地帯を観音寺城のある繖山へ向かって進みます。

    安土から繖山
    安土から繖山

    道が山の上り坂に入る手前の少し南には安土瓢箪山古墳がありますので、立ち寄るのも良いでしょう。30分ほど見ておけば大丈夫です。

    さて、坂道はやがて石段になります。その先にあるのが桑実寺の山門。

    桑実寺の山門
    桑実寺の山門

    山門の脇には、かつて安土瓢箪山古墳の上に安置されていたという石造の地蔵像があります。

    かつて安土瓢箪山古墳の上に安置されていたという石造の地蔵像
    かつて安土瓢箪山古墳の上に安置されていたという石造の地蔵像

    山門からしばらくは急な石段が続きます。途中には石橋や地蔵堂などがあります。

    桑実寺は、天智天皇の勅願で、白鳳時代の677年頃に創建されたと伝えられています。初代の住職であった定恵が、唐から持ち帰った桑をここで育てたので、桑実寺と呼ばれるようになったとか。

    桑実寺の本堂は室町時代に再建されたもので国の重要文化財です。本尊の薬師如来像は秘仏で、12年に一度だけ開帳されます。

    桑実寺の本堂
    桑実寺の本堂

    本堂の内部には、今は無くなった三重塔やお堂にあった仏像が移されています。

    1532年に、政争に敗れた室町幕府の時の将軍足利義晴が、当時観音寺城にいた佐々木定頼(六角定頼)をたよって桑実寺に仮の幕府を置き、3年程継続したそうです。この時に作らせたのが重要文化財の「紙本著色桑實寺縁起2巻」だそうです。さらに15代将軍足利義昭織田信長の上洛前に桑実寺に滞在したことがあるそうです。

    本堂から少し登ったところにある太子堂は、織田信長が1576年に桑実寺に寄進したもの。安土城の建築を始めたころだそうです。ただし、現在ある建物は大正時代に再建されたものです。

    桑実寺太子堂
    桑実寺太子堂

    桑実寺太子堂からは、さらに石段が上に向かって続いています。これが観音寺城や観音正寺に向かう道です。山道にもかかわらず石段が整備されていることから、この道が古くから使われていたことがわかります。また途中には巨石が多い場所もあり、古代から聖地であったことをうかがわせます。

    しばらく見通しの悪い樹林地帯を登っていくと、山城に多い堀切のようなところに出ます。城の規模の割には堀切が小さい気もしますが。

    観音寺城の堀切?
    観音寺城の堀切?

    この先すぐが、観音寺城の本丸があったと言われるところで、石垣が出てきます。虎口状の入り口があり、広い平地があり、土塁があり、少し下がったところには井戸があります。

    「太平記」によると、南北朝時代であった1335年に、北朝を支持する六角氏頼が、南朝勢力の北畠顕家に備えて籠ったと記録されており、このころから砦あるいは城として使用されてたと考えられます。

    その後京に近いこともあって、たびたび戦乱に巻き込まれます。足利尊氏と弟の足利直義が争った観応の擾乱では、尊氏方についた京極道誉(佐々木道誉)を観音寺城に追い込んでいます。応仁の乱で繰り返し戦場となりました。

    ただし、観音寺城として大規模な城郭が作られるのは、戦国時代に六角高頼が家臣の伊庭行隆や山内政綱に城の整備を命じてからだとされています。まだ本格的な石垣の城が各地に作られる前で、総石垣造りの観音寺城は先駆的な城だったようです。

    その後観音寺城に本拠を置く六角氏は、北近江の京極氏、浅井氏と敵対関係となり、戦を繰り返します。

    最後は1568年の観音寺城の戦いでした。織田信長が足利義昭を伴って上洛する時に、敵対した六角義賢・六角義治父子はすぐ南にある箕作城が滝川一益丹羽長秀豊臣秀吉(当時は木下秀吉)らに落とされたのを見て観音寺城へ向かった柴田勝家森可成らの攻撃を受ける前に城から脱出し、観音寺城は無血開城となりました。ちなみに浅井長政もこの頃はまだ織田信長方として参戦していました。

    その後、近くに安土城ができるころには、観音寺城は廃城となったようです。

    観音寺城の縄張りは非常に広く、本丸を離れたところを歩いていても石垣や、廓の跡などを見かけます。元々は当時、東山道が通っていた南側に開くような形で作られた城郭で、追手道も南側にあります。観音正寺あたりから見ると、大石垣のあたりが遠望できます。

    観音寺城から山道を歩いて尾根を回り込むと観音正寺。ここは西国三十三所観音霊場第32番札所です。この寺の歴史も古く、聖徳太子によって開かれたという伝説があります(詳細は観音正寺のWEBサイトで)。幾多の戦乱や、観音寺城築城の影響を受けたのち、江戸時代には巡礼で賑わいました。1993年の火災で、本堂や重要文化財の千手観音立像も焼失しました。

    現在はまだ新たな堂宇の整備などが続いている状況で、観音正寺は本来歴史のある寺院ですが、見た目は新しい寺のようになってしまっています。

    観音正寺の仁王(門はない)を通り、しばらく車道を進むとねずみ岩、そして観音正寺の奥之院があります。北側の斜面には巨岩が積み重なり、古代から磐座として信仰の地であったことを伺わせます。

    奥之院の上の尾根には、繖山山頂から直接歩いてこられる登山道が通っています。この道に入って山道を下っていくと、途中何か所も石垣があり、観音寺城が非常に広域にわたっていたことがわかります。再び車道に出て、しばらく下ると目加田屋敷跡の看板。詳細はわかりませんが、六角氏の重臣に目加田氏がいましたから、その屋敷があったのでしょうか。

    ここから車道を離れて結神社の看板に従い、山道に入ります。山道と言ってもおおむね石段などで整備されています。道の脇にはところどころに丁目石が。

    五個荘

    途中からは、これから向かう近江商人の町、五個荘を眺めることができます。左奥は伊吹山、右奥は鈴鹿山脈の御池岳あたりでしょうか。

    五個荘の全景
    五個荘の全景

    道は結神社(むすびじんじゃ)に出ます。応神天皇が祀られているいわゆる八幡社のようですが、壬申の乱の折に、大友皇子の弟、川島皇子と、大海人皇子の息子、忍壁皇子が、共に戦いを避けてここに避難してきたとされています。この二人は679年に、行為を巡って争わないことを誓う六皇子の盟約(吉野の盟約)に参加しています。

    結神社から出たあたりは川並の町並み。古い家屋や板塀が残っていてとても風情があります。

    川並から五個荘の中心である、金堂・重要伝統的建造物群保存地区へは歩いてすぐです。金堂の名は、かつて聖徳太子が創建した寺院がここにあり、その金堂に由来すると言われています。街並みは江戸時代に整備されたものだそうです。

    まず見えてくるのが弘誓寺(ぐぜいじ)本堂の屋根と山門です。弘誓寺は1290年開基とされていて、本堂は1764年に落成、重要文化財に指定されています。

    弘誓寺からはほぼ格子状に作られた金堂の町並みを散策します。格子状になっているのは、古代の条里制に沿った町づくりになっているからだとか。数軒の近江商人屋敷が有料で公開されています。

    町はずれには馬場の五輪塔があります。1300年に作られた、銘のある五輪塔としては滋賀県内最古のものだそうです。

    馬場の五輪塔
    馬場の五輪塔

    少し先には大城神社(おおぎじんじゃ)。推古天皇の時代、521年に厩戸皇子(後の聖徳太子)が小野妹子に金堂の建立を命じ、その鎮守のために造営したとされています。1170年に現在地に遷宮。その後、観音寺城の鬼門を守っていたとされる神社です。ここには金堂城があったとされますが、はっきりしないそうです。またNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ(第1週)」のロケ地にもなったとか。大きな石がふんだんに使われており、地域の豊かさを表しているようです。

    大城神社の外に景清道という標識が立っていました。景清道とは何かと調べたら、平安末期に平家の武者藤原景清(伊藤景清)が、目の治癒を祈願して尾張から京の清水寺を目指した時に通った道だとか。景清は勇猛さで知られた武将で、数々の伝説を生んでいるそうです。景清道は当時の東山道から石寺を通って、桑実寺から浄厳院の門前を通っていたそうです。むろん当時は浄厳院はまだなかったはずです。JR安土駅の東側にある古い道も景清道の一部だったんですね。東山道の間道が陰京道と呼ばれていて、それが景清と結びついたという説に一票を投じたいと思います。

    景清道
    景清道

    その後、中山道に入ります。あまり古いものは残っていないようですが、それなりに風情はあります。

    中山道
    中山道

    中山道をたどって北に進むと、追分があって道標が。ここは御代参街道の分岐です。御代参街道は東海道土山宿と中山道とを結ぶ脇街道のことです。「左いせ」とありますが、鈴鹿峠を越えて伊勢街道へ入る、というルートだったのでしょう。

    御代参街道分岐
    御代参街道分岐

    御代参街道の分岐から東方向へ入る道を進むと、とても駅前通りとは思えない静かな道を通って、すぐに近江鉄道五箇荘駅です。

    集合場所

    JR安土駅東口が集合場所、出発点になります。ゴールは近江鉄道五箇荘駅です。ちなみに町の名前は五個荘と書きますが、駅名は五箇荘駅です。また、金堂竜田口バス停からJR能登川駅へ出ることもできます。JR能登川駅の方が便利です。

    行程とコースタイム

    このコースはJR安土駅から歩き始め、約10㎞の道のりです。五個荘に出るまでは山道ですから、距離の割に時間がかかります。

    昼食

    安土駅から観音寺城跡のある繖山を越えて、五個荘に降りるまで飲食店はありません。ランチには弁当を持参するか、五個荘まで頑張って歩くことになります。五個荘にはレストランが数軒ありますが、喫茶 てんびんの里が手軽です。

    トイレ

    観音正寺及び五個荘の町中にトイレがあります。

    持ち物と服装

    軽登山となりますので、ハイキング・トレッキング用のシューズがお勧めです。

    ハイキング適期

    年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。紅葉の季節が特にお勧めです。

    近隣の見どころ

    体力のある方は、安土城の見学と組み合わせることも可能です。また佐々木氏とゆかりの沙沙貴神社に立ち寄ることも可能です。