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安土城跡と安土の町(ハイキング・コース)

    このハイキング・コースは、JR安土駅を起点として織田信長が築いた安土城や、安土の町とその周辺を巡るものです。有名な安土城はもちろんのこと、風情の残る安土の町や、美しい田園風景の中にある古い寺社も訪ねるコースです。車道歩きが多いですが、交通量が多い道路はあまりなく、のんびりと歩くことができます。


    安土城郭資料館信長の館滋賀県立安土城考古博物館城なび館などコース上には多くのミュージアムもあります。時間の余裕を見ながら訪れると良いでしょう。ちなみに取材時は信長の館だけ入館しました。滋賀県立安土城考古博物館も見たかったのですが、休館していました。

    コースの見どころ

    安土の町は、安土城がある安土駅の北側のようですが、このコースはまず南側に出ます。駅舎と隣接してあるのが安土城郭資料館。ここには安土城の模型や、安土城を描いた絵画などが展示してあります。

    駅前の住宅街に入ると、歴史のありそうな細い道です。あまり古い家屋は残っていないようですが、辻に石仏や五輪塔があったりします。

    辻の石仏
    辻の石仏

    しばらくすると住宅街を抜け、田園地帯に出ます。その向こうに見えているのが金勝山 浄厳院。周りに大きな建物がないせいか、立派に見えます。

    金勝山 浄厳院遠景
    金勝山 浄厳院遠景

    道を進むと辻に三体の地蔵尊。

    やがて浄厳院(じょうごんいん)。かつてこの地には、近江守護の佐々木氏頼が建立した天台宗の慈恩寺威徳院がありましたが、戦災で焼失。その後、織田信長が浄土宗の浄厳院を開きました。ここは、1579年に織田信長の命で行われた、浄土宗と日蓮宗の僧の論争(安土宗論)が行われた場所です。

    本堂は重要文化財です。元々は近江八幡多賀村興隆寺の弥勒堂であったものを移築したとか。室町時代中期の建築です。本尊の阿弥陀如来像も他の場所から持ってこられたもので、平安時代の作、重要文化財です。楼門はかつてのこの地にあった知恩寺のものをそのまま使っていて、やはり室町時代の建築。

    それ以外にも数多くの文化財がありますが、どうも安土に首都を築くにあたり、織田信長があちらこちらの寺院などから建物や仏像を持ってきて、急ごしらえで仕立てた印象ですね。

    浄厳院の楼門を抜けると、広い田園風景が広がっています。しばらくは、田園風景の中を歩きます。この辺りでは中山道は写真のかなり奥を通っており、安土の町は街道沿いではなく、琵琶湖の水運を意識して作られたことが理解できます。

    浄厳院外の田園風景
    浄厳院外の田園風景

    田園地帯の中で方向を北東寄りに変えると、左端に安土山。正面は観音寺城のある繖山。右側の樹林は沙沙貴神社の杜です。

    浄厳院外の田園風景
    浄厳院外の田園風景

    道を進むと沙沙貴神社。周辺では宅地開発も行われていますが、ここもかつては田園地帯の中に浮かぶようにしてあったのでしょうね。

    沙沙貴神社は、元々土着の沙沙貴氏が古代から祀っていたところに、宇田源氏がこの地に来て佐々木氏を名乗り、宇多天皇と、宇多源氏の祖である敦実親王とを合祀し、沙沙貴神社を佐々木氏の氏神としたと伝えられています。後に織田信長が安土を治めるようになり、佐々木氏の子孫、六角氏は放逐されましたが、沙沙貴神社は破壊を免れました。江戸時代に社殿は火災で焼失しましたが、1848年に丸亀藩主京極高朗が、平安・鎌倉の様式で再建しました。この時建てられた多くの建物は、滋賀県指定の有形文化財になっています。ちなみに京極氏も近江佐々木氏の末裔です。

    沙沙貴神社から少し歩くと旧伊庭家住宅。大正時代の1912年にヴォーリズの設計で作られた、チューダ様式の住宅です。その後昭和初期に少し和風に改装されているそうです。

    旧伊庭家住宅
    旧伊庭家住宅

    道は再び安土駅に近い住宅街に入ります。この辺り、条里制の名残なのかどうかはわかりませんが、道がすべて南東ー北西方向に長く、道と道との間を繋ぐ道路がほとんどないので、結構大回りを強いられます。

    再び田園地帯を歩き、新興住宅街を抜けると安土瓢箪山古墳。国の史跡に指定される前方後円墳で、滋賀県最大規模だそうです。墳丘長は162メートルもありますが、樹林におおわれていて全体像は見ただけでは把握できません。かつて古墳の上には地蔵が安置されていたそうですが、これは現在桑実寺の山門に移されています。

    古墳を見たら、次に近隣にある安土文芸の郷公園へ向かいます。途中の道を山に向かって進むと桑実寺がありますが、時間がかかるので取材時にはパスしています。安土文芸の郷公園は多目的施設ですが、観光施設だけでなく、地域住民向けの施設でもあります。まずは文芸の郷レストランで腹ごしらえでしょうか。味の評価は、公営の施設によくある感じ、といったところでしょうか。

    見学としてはまずレストランに近い安土城天主 信長の館。ここはセビリア万博に本館に展示された、安土城天主の上層階の再現を見ることができます。ただし、内部の写真はネットでの公開が禁止となっていますので、外観だけ。

    安土城天主 信長の館外観
    安土城天主 信長の館外観

    安土文芸の里には、滋賀県立安土城考古博物館もあり、ぜひ見学したかったのですが、取材時は休館中でした。博物館にはレストラン ムエールがありますので、博物館が開いている時にはこちらでランチを取ることもできます。

    滋賀県立安土城考古博物館

    そのほかには、保存のためにこの地に移築されたと思われる旧宮地家住宅、旧安土巡査駐在所なども敷地内にあります。

    安土文芸の里からはJR琵琶湖線を超えて安土城に向かいます。

    安土城の遺跡は、安土城の登城口に至る前の、県道沿いにも石垣の跡などが見えてきます。駐車場の近くにあるのが城なび館。ここには発掘されたものなどの展示もありますが、展示スペースは有料です。ここにあるトイレが最後ですので、登城する前に済ませておくと良いでしょう。

    城なび館
    城なび館

    安土城跡は、現在では安土城と共に織田信長が創建した摠見寺の所有管理となっています。安土城そのものは滅びてしまった一方で、寺が残ってそちらが主になっているわけです。安土城への登城には入場料が必要ですが、公共施設ではないわけですから、致し方ないかと思います。

    安土城には大手道、百々橋口道、搦手道、七曲がり道という四つの道があったようですが、現在確認できるのは大手道と、百々橋口道で、城なび館から登るのは大手道です。大手道はいわば「正面玄関」のようなもので、安土城では特に道の両側に大名屋敷を配置して、織田信長の権威を示すために作られた道のようです。開けたところから石段を先に進むほど細くなり、天主へ至る構造です。

    登り始めると左右には豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の屋敷跡、前田利家の屋敷跡、そして徳川家康の屋敷跡と、そうそうたるメンバーの屋敷が続きます。徳川家康の屋敷跡は、現在摠見寺の仮本堂が建っています。

    続いて武井夕庵邸跡。武井夕庵はあまりなじみがない名前ですが、当初斎藤道三に仕え、のちに織田信長の家臣となった、茶人としても有名な人だそうです。茶人であるということから信長に気に入られたのでしょうか。

    武井夕庵邸跡
    武井夕庵邸跡

    さらに登ると織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡。織田信澄は信長の甥にあたる信長側近で、安土宗論の時には警護役を務めています。ただ明智光秀の娘と婚姻関係にあったため、本能寺の変後に疑いをかけられ、討ち取られてしまいました。ちなみに織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡は、藪におおわれていたどのような状況にあったのか確認はできません。

    織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡
    織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡

    やがて黒金門跡。このあたりから石垣の石が大きくなってきます。

    黒金門あとから本丸とは反対方向へ進むとそこが長谷川秀一邸跡。長谷川秀一は信長の小姓で、やはり安土宗論の警護役でした。後に文禄の役で朝鮮出兵時か、あるいは帰国直後に病死したそうです。

    長谷川秀一邸跡には、織田信雄公四代供養塔があります。織田信雄は信長の次男で、江戸時代になると大和宇陀松山藩の初代藩主となった人です。松山藩主第五代当主の信休が転封となったため、信雄以降4代藩主の墓所を現宇田市の徳源寺からこの地に移したそうです。

    織田信雄公四代供養塔
    織田信雄公四代供養塔

    ここから本丸を目指して少し登ると、仏足石があります。なぜ城内に仏足石?と思ったら、どうも安土城築城時に石材としてどこかから持ち込まれたもののようで、他にも石仏が石段に数多く使われていたりします。

    安土城の仏足石
    安土城の仏足石

    そして安土城本丸跡。ここには内裏清涼殿に似た構造がわかることから、天皇の行幸を考えて御殿が立てられたのではないかと言われています。

    安土城本丸跡
    安土城本丸跡

    そして安土城天主跡。

    天主跡に隣接して二の丸跡があります。二の丸跡は織田信長公本廟があります。1583年に羽柴秀吉らが建立し、信長の太刀や烏帽子、直垂などの遺品が埋葬されたそうです。

    織田信長公本廟
    織田信長公本廟

    安土城から下るルートは百々橋口道をたどって、摠見寺の跡を訪れます。本堂は焼失して跡しか残っていませんが、三重塔と二王門は信長が創建した時のものが現存しており、重要文化財に指定されています。

    摠見寺から百々橋へ続く道は通行止めになっており、道は山すそをまわって、大手道へと戻ります。

    城なび館のあたりからは、山すそを巡る道を百々橋へと向かいます。百々橋が架けられているのは琵琶湖に繋がる水路のようですが、かつては堀だったのでしょうか。

    百々橋
    百々橋

    百々橋から水路沿いに下っていくと、新宮大社。この神社が面白いのは拝殿です。茅葺屋根で土間になっていて、このような形式は初めて見ました。

    住宅地を抜けてしばらく歩くとセミナリヨ跡。セミナリヨは宣教師オルガンチノが織田信長の庇護を受けて安土城城下に建てた、日本初のキリスト教の神学校です。セミナリヨは安土城が焼けたのちに放棄されたそうです。オルガンチノの同僚ルイス・フロイスは著書の「日本史」の中で安土城についても書いていますね。

    セミナリヨ跡
    セミナリヨ跡

    セミナリヨ跡からは、安土の町中を少し探検。まずは北川湧水です。安土の町中には何か所か湧き水があるようですが、その一つ。

    北川湧水
    北川湧水

    北川湧水の先にあるのが常浜。ここは現在琵琶湖とは水路で繋がっているだけですが、かつては琵琶湖に面していました。室町時代には六角氏の観音寺城の港として使われ、信長時代にも継続して琵琶湖航路の港として使われていました。

    常浜
    常浜

    ここからは、往時の風情を残す町中の狭い道を通って、JR安土駅へと戻ります。

    集合場所

    JR安土駅東口が集合場所、出発点になります。ゴールも安土駅です。

    行程とコースタイム

    このコースはJR安土駅から歩き始め、見学を含めて5時間ほどです。安土城跡では主に石段となりますが、あとはおおむね舗装道路を歩きます。

    昼食

    道中に文芸の郷レストランなど、レストランがあります。安土城周辺にはありません。

    トイレ

    道中は途中の公園などに公衆トイレがあります。

    持ち物と服装

    街歩きの服装で大丈夫です。靴はハイキング・シューズかスニーカーを勧めます。

    ハイキング適期

    年中訪れることができますが、降雪の後は避けるほうが良いでしょう。

    近隣の見どころ

    健脚者であれば、桑実寺観音寺城観音正寺までを往復してコースに加えることも可能でしょう。