赤坂宿から垂井宿まで中山道を歩く(ウォーキング・コース)

評価 :3.5/5。

JR美濃赤坂駅から中山道周辺を歩き、垂井宿へ向かうコースです。観光の目玉はないものの、古代、中世、近世の時代が折り重なった地域であることがよくわかります。


このルートの中山道は、幹線道路ではないものの、すべて車道となっており、舗装道路を歩きます。美濃赤坂駅から歩き始める前半は、史跡も多く楽しめます。垂井の宿に近い辺りは、目につく史跡もなく、ただ歩き続ける区間があってちょっと退屈します。垂井宿の中に入ると、また史跡が数多くあります。

コース全体を通して、中山道の史跡のほかに東山道時代の史跡や、立派な古墳をいくつか見ることができます。

コースの見どころ

起点となるJR美濃赤坂行きの列車は大垣発で、本数が少ないので注意してください。列車はワンマンカーで、交通系ICカードは利用できませんが、降車時に精算はできるようです。

JR美濃赤坂駅
JR美濃赤坂駅行きの列車

美濃赤坂駅から北へ向かうと中山道美濃赤坂宿ですが、まずは南を目指します。駅の南に低い山が見えていますが、これが岡山です。

美濃赤坂から岡山をのぞむ
美濃赤坂から岡山をのぞむ

岡山のふもとにある寺が、西美濃三十三霊場第21番札所の安楽寺です。

安楽寺(美濃赤坂)
安楽寺(美濃赤坂)

安楽寺は由緒ある寺で、593年に聖徳太子が開基となり、永明法印を開山として建立したとされています。壬申の乱では大海人皇子の勝利を祈願しました。室町時代になると、美濃の守護大名の土岐成頼(ときしげより)が応仁の乱の西軍の総帥、足利義視を庇護した際、安楽寺に滞在したことがあるそうです。

1600年、関ヶ原の戦いでは、関ヶ原入りする前に大垣城から遠くなく、眺望の良い岡山に徳川家康が布陣しました。合戦後、戦いに敗れた大谷吉継の陣で使われた鍾が安楽寺の梵鐘だったそうです。今は取り換えられているとか。

江戸時代に、江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭の所領赤穂城が没収されましたが、その時に幕府からの特使として大石内蔵助と折衝した戸田権左衛門の墓があります。

戸田権左衛門の墓
戸田権左衛門の墓(左から二つ目)

岡山の頂上には、この墓地から上に続く道を進みます。すぐに平坦な岡山の頂上部に付きます。ここが岡山本陣跡。眺望は良くありません。第二次世界大戦中にはここに高射砲の基地があったとか。徳川家康の陣であったことを示すのは「岡山本陣址」と書かれた石柱一本です。徳川家康は、ここから関ヶ原の戦いの前哨戦となった杭瀬川の戦い(東軍が敗れる)を見ていたそうです。

左奥は弘文天皇(壬申の乱で敗れた大友皇子)を記念するもの。明治になってから歴代天皇の一人として数えられるようになったそうです。

関ヶ原合戦岡山本陣跡
関ヶ原合戦岡山本陣跡

徳川家康は翌日岡山の本陣をたち、本陣を関ヶ原の桃配山に移し、そのまま関ヶ原の戦いが開始されました。

岡山の頂上からは作業道のような細い車道をたどり、途中から墓地を抜けて美濃赤坂宿方向へ進みます。途中にあるのがお茶屋屋敷跡。お茶屋屋敷は徳川家康が上洛の際に宿泊所として用いるために1605年に造営した施設です。徳川家康や徳川秀忠が宿泊しました。現在は個人の所有物だそうですが、庭園として公開されています。一部に土塁などが残っています。後に中山道が整備され、本陣ができるとともに廃止されたそうです。

中山道に戻り、赤坂本陣公園にある一帯の銅像。美濃赤坂出身の所郁太郎の銅像ですが、戦前は教科書にも載った幕末の尊王の志士だったそうです。井上薫や伊藤博文とも親交があったとか。明治維新を待たずに27歳で病没しています。

所郁太郎の銅像
所郁太郎の銅像

そのすぐ近くに赤坂宿本陣跡の碑。幕末に徳川家に降嫁した皇女和宮の記念碑がありますが、和宮は赤坂宿で宿泊しています。

赤坂宿本陣跡の碑
赤坂宿本陣跡の碑

続いて訪れるのが赤坂宿の東の端にある赤坂港跡。現在は公園ですが、ここが1530年ころまでここが揖斐川の本流だったそうです。港は明治時代まで使われていました。

赤坂港跡
赤坂港跡

赤坂宿の中を西に戻り歩いていきます。なかなか昔の面影はありませんが、保存状態が良いのが矢橋家住宅。母屋は1833年築とされています。江戸時代末期の地方の大型町家の特徴をよく残しているそうです。国の登録有形文化財ですが個人所有で、中は公開されていません。

矢橋家住宅
矢橋家住宅

看板だけの脇本陣や、所郁太郎の墓がある妙法寺、そしてやはり石柱だけの所郁太郎生誕地などを通り過ぎ、街道の南側にある小山が兜塚。元々は円墳だったようですが、杭瀬川の戦いで西軍に討ち取られた野一色頼母(のいっしきたのも、または野一色助義)がここに鎧兜ごと葬られたと伝えられます。

兜塚
兜塚

兜塚の先で、中山道をそれ、南側に入ります。そこにあるのが二つの古墳、大塚1号墳と大塚2号墳です。大塚2号墳は民家の脇の小さな土の山で、円墳と言われなければ、残土が積んであるのかと思ってしまいそうです。

その先に進むとあるのが国の史跡にも指定されている昼飯大塚古墳。これは大塚1号墳・大塚2号墳とは桁違いに大きな前方後円墳です。岐阜県で最大の前方後円墳で、墳長は150mもあります。さほど知名度が高い古墳ではありませんが、このサイズにはびっくりです。昼飯大塚古墳の詳細はこちら

昼飯大塚古墳
昼飯大塚古墳

ちなみに昼飯大塚古墳を含む一帯は不破古墳群として知られているそうです。大型古墳が多く、古墳時代にヤマト政権とも関係のある、強力な豪族がいたことをうかがわせます。

中山道に戻って西に向かうと如来寺。飛鳥時代に難波から信州に阿弥陀如来像を背負って歩いた本田善光がこの地に立ち寄ったとされています。この時、青墓宿と赤坂宿の中間にあたる当地で食事の供応を受けたのが、昼飯(ひるい)という地名の由来だとか。所説あるでしょうが。

如来寺
如来寺

高架になっているJRの新垂井線を過ぎると、そこは青墓町です。周囲に大型の古墳があるので「おおはか」と称されていたのが転じて「青墓」と呼ばれるようになったようです。

東山道時代・鎌倉街道時代には青墓の宿があり、かつては遊女や芸人がいる一大歓楽街?があったとされています。小栗判官に登場する照手姫はこの地に売られてきたとか、流れ着いたとかされています。

青墓の宿は平治の乱に敗れて京から逃げた源義朝はこの地にたどり着きましたが、源義朝の次男、源朝長はこの地で死に、山中の円興寺の跡地(通称 元円興寺)にその墓が残っています。ちなみに元円興寺のあたりにもハイキング・コース(青少年憩いの森遊歩道)が設定されています。源義朝はこの後、知多半島の野間に移って暗殺され、野間大坊に葬られています。源義朝の一行から遅れた源頼朝は、青墓の宿で平宗清に捕らえられましたが、平氏に勝利したのちに兄、源朝長を弔うために当地を再び訪れたそうです。

現在の青墓の宿
現在の青墓の宿

青墓にも粉糠山古墳という大きな古墳があります。粉糠山古墳は東海地方最大規模の前方後方墳です。墳長は100mあります。ひょっとするとこの古墳が「おおはか」の語源かもしれませんね。「粉糠山」の語源は、青墓の宿にいた遊女が、化粧に使った粉糠を捨てていたことによるとか。現在は墳丘上部が地域の共同墓地となっています。

粉糠山古墳
粉糠山古墳

青墓小学校の近くに白鬚神社があります。主祭神は猿田彦大神。社殿の装飾が凝っています。ここでは大垣市の重要無形文化財になっている「青墓大太鼓踊り」が10月の祭礼時に奉納されるそうです。白鬚神社は円興寺の由緒ともかかわっているそうで、寺伝によれば790年に最澄(伝教大師)がこの地を訪れたときに、白鬚と称する祭神が最澄の前に現れて、この地に寺院を建立するように告げたそうです。白鬚神社が登場する円興寺の由緒に関してはこちらを参照してください。

白鬚神社
白鬚神社

しばらく西に進むと葭竹庵(よしたけあん)。

葭竹庵
葭竹庵

ここには源義経の伝承があります。現地には青墓小学校が立てた葭竹庵の解説版があります。以下に引用します。

牛若丸(後の義経)が、京の鞍馬山で修業を終え、金売吉次をお供にし、奥州(今の東北地方)へ落ち延びる時、円願寺(円興寺の末寺)で休み、亡くなった父や、兄の霊を供養し、源氏が再び栄えるように祈りました。

その時、江州(今の滋賀県)から杖にしてきた芦の杖を地面に突き刺し、「さしおくも形見となれや 後の世に 源氏栄えば よし竹となれ」の歌を詠み、東北へ出立しました。

その願いが仏様に通じたのか、その後、杖にしてきた芦が、大地から芽をふき根をはりました。そして見事な枝に竹の葉が茂りましたが、しかし、根や幹はもとのままの芦でした。この珍しい竹は、その後もぐんぐん成長し続けました。

それでこの珍しい竹を「芦竹」と呼び、この寺(円願寺)を「芦竹庵」と呼ぶようになりました。

葭竹庵の碑に隣接して小篠竹の塚(こしのだけのつか)があります。看板には木曾名所絵図からの引用として「照手姫の墓ではないか」というようなことが書かれています。「一夜見し 人の情けにたちかえる 心に残る青墓の里」は慈円(愚管抄の作者)がよんだものです。他にも青墓を詠んだ人は多いとか。昔はかなりポピュラーな土地だったことがうかがえます。

小篠竹の塚
小篠竹の塚

葭竹庵から中山道を少しそれて南に入ったところにあるのが照手姫水汲井戸。照手姫が青墓の宿で下女として働いていたころに使ったとか。

照手姫水汲井戸
照手姫水汲井戸

この先道はすぐに県道を越え、コンビニが一軒あります。このあたりは青野です。青野の北には美濃国分寺跡があります。時間があれば寄ってみましょう。

美濃国分寺への道標
美濃国分寺への道標

さらに進むと青野一里塚跡。塚は残っていません。

青野一里塚
青野一里塚

しばらく歩くと平尾御坊道の道標。少し北に平尾御坊願證寺があります。美濃国分尼寺跡も平尾御坊に隣接しています。ちなみに御坊という尊称は、浄土真宗で本山の住職が、その寺の住職を名目上兼務する寺院のことだそうです。

御坊道の道標
御坊道の道標

このあたりから周囲には郊外型のショッピングセンターなどが出てきて、人口の中心地である垂井町に入ってきたことがわかります。しばらく歩くと喜久一丸稲荷神社があります。明治の始め創建ですが「きくいちまる」という名称がどこから来たのかわかりませんでした。

喜久一丸稲荷神社
喜久一丸稲荷神社

そして川の手前に垂井追分。美濃路と中山道の追分(分岐点)です。

美濃路との追分
美濃路との追分

そして相川を渡ると垂井宿です。相川は暴れ川で、かつては橋が架かっておらず、人足による渡しだったとか。垂井宿の東の見付もこのあたりにあったとか。

相川の渡し
相川の渡し

垂井宿に入ってすぐのところにある銘菓処 みどりやに立ち寄りました。こうした地方の和菓子屋さんには、面白いオリジナル商品を作っているところが結構増えています。みどりやのお勧めは「よもぎだんご」です。

銘菓処 みどりや
銘菓処 みどりや

中山道に戻って宿場を進むと旅籠亀丸屋。今もまだ旅館として営業しています。

旅籠亀丸屋
旅籠亀丸屋

垂井宿を更に進むと、石の鳥居が現れます。これが南宮大社の石鳥居で、国の重要文化財です。関ケ原の合戦で焼けた南宮大社は1642年に徳川家光の寄進で再建されましたが、その時に建てられたものです。

南宮大社鳥居
南宮大社石鳥居

その後、道の南側にある古い民家が小林家住宅。江戸後期から残るとされている町屋です。

さて本龍寺の斜め向かい側にある古い民家が小林家住宅。江戸後期から残るとされている町屋です。

小林家住宅
小林家住宅

やがて東光山本龍寺、浄土真宗大谷派の寺院です。起源はわからないそうですが、。本龍寺は松尾芭蕉が元禄4年(1691)に一冬滞在したという寺です。その時に詠んだというのが

「作り木の庭をいさめる時雨かな」

書院の玄関や山門は垂井宿の脇本陣から移築したものだそうで、山門の前には高札場が復元されています。

本龍寺山門と高札場
本龍寺山門と高札場

やがて愛宕社のあるあたりに西の見付の看板。ここが垂井宿の西の端になります。

垂井宿西の見附
垂井宿西の見附

西の見付から愛宕社の角を南下し、さらに東に向かうと長屋氏屋敷跡。長屋氏は鎌倉中期に相模から垂井に移り住んだ豪族だそうです。1353年に北朝の後光厳天皇が南朝軍から逃れて垂井に移り、ここを仮御所としたそうです。さらに京へ向かう足利尊氏もここに滞在したそうです。そんなすごい場所の割には、質素な碑しかないですね。

長屋氏屋敷跡
長屋氏屋敷跡

やがて、南宮大社への参道。すぐにあるのが垂井の泉。垂井の泉は古くから知られており、垂井の地名もこの泉が語源になったという説もあります。

垂井の泉
垂井の泉

垂井の泉の南側に専精寺という寺がありますが、かつてこの辺りに垂井城がありました。今では碑があるだけで、垂井城の痕跡もほとんど残っていないそうです。垂井城は関ケ原の合戦で西軍大谷吉継と共に戦った平塚為広の居城でした。平塚為広は関ケ原の合戦で討ち死にしています。ちなみに平塚らいてうは子孫だそうです。

垂井城跡の碑
垂井城跡の碑

さてあとは、JR垂井駅へ向かっていくだけです。駅の北側には、紙屋塚もありますから、時間があったら立ち寄っても良いでしょう。

JR垂井駅前
JR垂井駅前

集合場所

JR美濃赤坂駅が集合場所、出発点になります。ゴールはJR垂井駅です。

行程とコースタイム

このコースはJR美濃赤坂駅から歩き始め、見学を含めて3時間ほどです。すべて舗装された道を歩きます。

昼食

美濃赤坂駅から垂井宿近くに来るまで飲食店はありません。垂井宿は駅周辺に数軒の飲食店があります。このコースの取材の時は、居酒屋兼定食屋のいっしょうに入りました。通常観光客が入るお店ではありませんが、地元の人には人気のある店のようです。

いっしょう
垂井の いっしょう

その他の人気店としては、駅の南側になりますが彩菜食坊CIEL(イタリアン)や、グルマンヴィタル 垂井本店食べログ)のカフェなどがあります。

トイレ

道中の公園に公衆トイレがあります。垂井近くになるとコンビニもあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

美濃赤坂で時間が取れるのであれば、金生山化石館が評判です。金生山は全山石灰岩の山で、セメント会社が採掘をしていますが、化石が多く取れることでも有名です。

美濃赤坂宿から垂井宿までは半日で歩けるコースですから、足に自信がある方は垂井宿から先関ヶ原宿まで歩くことも可能です。関ヶ原宿までのコースはこちら

また、垂井には南宮大社もありますから、訪ねてみるのも良いでしょう。

Post Author: ガイドマスター