京都ウォーキング 神泉苑・二条城・京都御所・相国寺

このコースはかつての平安京の名残、神泉苑から徳川家が造った二条城、京都御所と周り、相国寺まで足を運びます。国宝かつ世界遺産の二条城と、京都御所という大物二つは、基本的に「見学コースを立ち止まらずに歩く」ことしかできませんので、京都の寺院で仏像などの文化財を拝観するのとはちょっと異なったものとなります。

最寄り駅は山陰線・地下鉄東西線の二条駅です。二条駅を東側に出たら、そのまま御池通りをまっすぐ東に進みます。やがて道の左側(北側)に神泉苑があります。

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神泉苑

神泉苑への行き方をGoogle Mapで調べる

神泉苑の歴史は神泉苑のホームページに書かれています。一部省略しています。平安京が造られてすぐに大内裏に接して造営された苑池でしたが、江戸時代に二条城築城に伴って縮小された、ということのようです。今は東寺が管理する寺院となっています。

神泉苑は、延暦13年(794)、桓武天皇により禁苑として造営されました。平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、南北4町東西2町の規模を有する苑池でした。

桓武天皇による延暦19年(800)の行幸以来、歴代天皇は神泉苑で宴遊されました。 嵯峨天皇は43回(記録上)、神泉苑へ行幸され、弘仁3年(812年)には神泉苑で「花宴の節」を初めて行い、桜の花見と詩宴を催しました。

天長元年(824)、日本中が日照りの際には、淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)されました。

神泉苑は宗教的な修法が行われる霊場としての性格を強め、降雨を祈って読経や歌舞が奉納されるようになりました。白拍子・静御前による祈雨の舞や、小野小町による雨乞いの歌も 現在に伝わっています。

江戸時代には、徳川家康が二条城を築城する際、神泉苑の湧水を取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、神泉苑は境域の北部を失いました。

神泉苑の歴史

神泉苑は平安京の名残り、ということで、非常に興味深いですが、庭園としてはさほど美しいというものでもなく、そのあたりが二条城に近いにもかかわらず、観光客に知られていない理由でしょうか。

二条城

二条城は神泉苑からはすぐですが、入り口は二条城東側の堀川通り側の東大手門だけですから、そちらにまわらなければなりません。

二条城は1603年に、徳川家康が京都御所の守護と、将軍上洛時の宿泊所とするため築城しました。1611年には豊臣秀頼と徳川家康が二条城で会見しています。3代将軍徳川家光は、後水尾天皇行幸のために大規模な改修を行い、二の丸御殿には狩野探幽の障壁画などが加えられ、伏見城から移された天主閣も1626年に設けられました。1867年には15代将軍徳川慶喜が二の丸御殿で「大政奉還」を表明しました。二条城の歴史に関してはこちらのサイトをご覧ください。

京都御所

現在京都御所は通年公開されています。原則毎週月曜日、年末年始、その他行事がある時などは見学できませんので、見学の可否はこちらで確認してください

京都御所というと、平安京の大内裏がそのまま現在の御所になっているように思われがちですが、そうではありません。現在の京都御所は1331年の光厳天皇の即位から、1869年に明治天皇が東京に移るまで、御所として使われたものです。詳しくは宮内庁のサイトをご覧ください

相国寺

御所の北側にある今出川御門から同志社大学のキャンパスを抜けて北へ向かうと、すぐに相国寺です。相国寺は臨済宗相国寺派の本山で、正式名称は萬年山相國承天禅寺。室町幕府三代将軍の足利義満による創建、夢窓疎石による開山です。法堂は1605年に豊臣秀頼の寄進で再建されたもので重要文化財です。法堂の天井画は蟠龍図、そしていわゆる鳴龍です。狩野光信が描いたもので、必見です。

相国寺には承天閣美術館が併設されていて、展示入れ替えの時を除き、ほぼ通年企画展が開かれています(スケジュールはこちら)。相国寺は伊藤若冲ゆかりの寺でもあり、若冲の遺髪を納めた供養塔があるとか(場所がわからず)。また、承天閣美術館でも伊藤若冲関係の展示をよくやっていますから、興味のある人は要チェックです(展示予定はこちら)。

金閣寺銀閣寺はこの相国寺の塔頭です。その割には相国寺は知名度が低いですが、ぜひ相国寺も訪れてみてください。なお取材は春の特別拝観の時に行いました。

ランチ

このウォーキング・コースの周辺には飲食店が無数にあります。取材時に利用したのは、京都御所の東側にある自家製麺天狗です。(天狗への経路をGoogle Mapで調べる

天狗は冬季限定 霜ふりうどんが有名ですが、個人的にはささめん(ラーメン)をお勧めします。

Post Author: ガイドマスター