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伊木山と承久の乱の舞台、前渡(ハイキング・コース)

    名鉄犬山遊園駅から木曽川を渡り、木曽川べり各務ヶ原台地周辺の、承久の乱ゆかりの場所など歴史を訪ねます。途中織田信長の尾張・美濃平定ゆかりの伊木山に登り、伊木山城跡などを訪ねます。その後、各務原台地に残る古墳群を経て、前渡不動尊へと向かいます。


    これと言った「目玉」になる見ものがあるコースではありませんが、伊木山では軽い山登りが楽しめるほか、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する承久の乱の舞台となったエリアを歩くことができます。ランチに適した飲食店もルート上には多いので、歩くタイミングを調整してランチを楽しむのも一興のコースです。

    コースの見どころ

    名鉄犬山遊園駅を出たらすぐに犬山橋(ツインブリッジ)を渡ります。ここはかつて東山道や中山道が通っていたところで、木曽川をはさんだ両側に常夜燈があります。犬山側では「内田の渡し」、鵜沼側では「鵜沼の渡し」と呼んでいます。ツインブリッジと並行してかかる鉄道橋は、かつては鉄道と道路の共用で、道路の真ん中を名鉄電車が走るという珍しい光景が見られました。今は分けられてしまいましたが。

    承久の乱のおりには鵜沼の渡しをはさんで北側には、朝廷方の美濃守護代斎藤親頼が、北側には幕府方の毛利季光(毛利元就の先祖)が陣取ったそうです。

    鉄道橋の向こう側、木曽川に突き出るような岩山にはかつて鵜沼城(宇留摩城)がありました。鵜沼城は室町時代に土岐氏に仕えた大沢氏が築城しました。1564年に織田信長の命を受けた豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)が伊木山城に陣を置き、当時の鵜沼城主で、当時美濃を治めていた斎藤龍興配下だった大沢治郎左衛門は秀吉の調略により戦わずに降伏しました。

    犬山橋と鵜沼城
    犬山橋と鵜沼城

    橋を岐阜県側に渡ったら、木曽川沿いの道を左へ折れます。この辺りに鵜沼の渡し常夜燈があるはずなのですが…見つかりません。Googleマップに記載された場所が間違っていたので訂正を申し込んでおきました。というわけで残念ながら写真はなし。ルートマップには正しい位置を反映しておきました。

    鵜沼の渡しからは、旧稲置街道鵜沼宿まで続いています。稲置街道は名古屋から犬山までかと思っていましたが、鵜沼宿までだったのですね。

    ほどなく道は古市と呼ばれる住宅地の中を。この道はかつての東山道で、古市はかつて市がたったところだったとか。八坂神社があるあたりの小公園に付近の案内板がありました。東山道がどこを通っていたかが示されています。

    古市の案内板
    古市の案内板

    ここの近くには庚申塚。歴史を感じさせます。

    古市の庚申塚
    古市の庚申塚

    さらに大安寺川に沿って少し北上すると、承国寺土塁。この辺りは室町時代に格式の高い承国寺という寺院があり、さらに古い時代の遺物も出ているため、承国寺遺跡と呼ばれています。現在残っているのはわずかばかりの土塁のみです。承国寺は1450年ごろに美濃国の守護、土岐頼益の息子、土岐持益が建立したそうです。東山道沿いに立派な寺を建てたのでしょうね。承国寺遺跡についてはこちらを参照してください。

    承国寺土塁
    承国寺土塁

    旧東山道とされる道はこんな感じ。

    古市旧東山道

    さらに進んで、ライン大橋の近くまで来ると正法寺があります。このあたり一帯は承久の乱の激戦地で、朝廷方として藤原秀康三浦胤義が布陣、幕府方として北条泰時三浦義村(三浦胤義の兄)が布陣していました。戦は幕府方勝利となりました。正法寺にある五輪の塔は三浦塚と呼ばれていて、以前は近所の別の場所にあったものが、正法寺の墓地に移されたそうです。地元では、承久の乱に関わった三浦さんの墓という伝承もあるようですが、この地には室町時代後期に桓武平氏の三浦氏の子孫が拠点を置いていたという記録があり、そちらの三浦さん関係の墓石という説の方が正しいように思えます。

    鵜沼の正法寺
    鵜沼の正法寺

    西に向かうと集落を抜けて、伊木山(いぎやま)がよく見えてきます。

    伊木山
    伊木山

    伊木山は、手軽な登山ができる場所として登山道が整備されていて、道標もたくさん立っています。

    伊木山城は、1561年ごろに、美濃の斎藤氏を攻めていた織田信長に武功を認められた、地元の香川長兵衛忠次が、信長から地名を取って伊木の苗字を頂き、伊木忠次と改名。さらに伊木山に伊木山城を築いたとされています。ちなみに伊木忠次は、信長亡き後、信長の家臣、池田恒興に仕え、江戸時代には大名になりました。

    伊木山城の跡は、山頂付近にわずかに痕跡を残すのみです。石垣もあるそうですが、埋められていてわからないそうです。伊木山城の築城には織田信長が関わったという説もあるようですが、詳細はわかりません。

    伊木山には槍ヶ岳を開山した播隆上人も滞在したと言われています。伊木山の南側斜面、木曽川の眺めの良い岩場に、上人洞と呼ばれる場所があり、播隆上人の修行場と伝えられています。

    伊木山上人洞
    伊木山上人洞

    山道を西側に降りると、熊野神社と観音寺。観音寺の本堂は幕末の1865年のものです。

    慈雲山観音寺
    慈雲山観音寺

    ここからは集落を抜けて北西に進みます。途中各務原台地の断面がわかる場所があったのでパチリ。この土地は、木曽川が運んできた砂礫や、御岳山の噴出物が積み重なったところを、氷河期の浸食で河岸段丘が発達したものだそうです。詳しくはこちらを。この段丘上には縄文時代から人が住み、また古墳も数多く作られています。

    各務原台地
    各務原台地

    河岸段丘を上段に上がり、ここからは古墳めぐりです。まず県道沿いにあるのが大伊木山西古墳。大伊木山西古墳は古墳時代後期の横穴式石室を持つ円墳です。表土は流れ去っていて、石室が露出しています。石室は子どもが出入りして危険なため、中が埋められたそうです。

    大伊木山西古墳
    大伊木山西古墳

    大伊木山西古墳のすぐ近くに味鮮という中華料理店があります。取材の日はちょうどこの辺りでお昼になりました。安くてボリュームがあってお勧めです。ひっきりなしにお客さんが入っていました。

    中華料理味鮮
    中華料理味鮮

    ここからは各務原市立陵南小学校へ向かいます。次の古墳、大牧1号古墳は小学校の敷地内にあります。途中の分かれ道にあった道標。「右 大ノギ 左 ウヌマ」と書かれているようです。この先に小山湊跡がありますから、小山湊から上がってきた人向けの道標でしょうか。

    道標
    道標

    陵南小学校の門を入った左側に大牧1号古墳。大牧1号古墳からは金銅を貼った馬具が出土したとか。このあたりは大牧古墳群と言われていて、かつて80基もの古墳があったそうです。

    続いてふな塚古墳(大牧4号墳)。元々は45mほどもあった古墳ですが、大きく痛んでいます。

    ふな塚古墳から小山湊跡はすぐです。この渡し場は昭和の初期まで使われていたそうです。今残っているのは1845年の馬頭観音像と、雰囲気のある道だけです。

    小山湊跡からはしばらく木曽川堤を歩きます。川はきれいですが、反対側は廃棄物の処理場のようになっていて、美しい場所とは言えません。ただ、この辺りが承久の乱などの戦場なんでしょうね。

    木曽川堤
    木曽川堤

    熊野神社のところで堤を降り、集落の道を前渡不動尊に向かって進みます。このあたりが前渡で、承久の乱の大きな戦地となったほか、豊臣秀吉が小牧・長久手の戦いの時に前渡(記録上は大豆戸)に陣を張ったという記録もあるそうです。

    熊野神社
    前渡の熊野神社

    前渡不動尊のある矢熊山の麓の公園の一角に、小さな岩山の上に立つ市杵島神社があります。ここは、浦島太郎伝説があるというユニークなところ。若干ストーリーに違いはあるようですが。

    市杵島神社
    市杵島神社

    前渡不動尊は矢熊山山上にありますが、参道は舗装された道です。途中に承久の乱合戦供養塔があります。承久の乱の戦死者を弔った五輪塔を当地に移した、とされていますが、五輪塔は年代的には室町から戦国時代のものであるとか。まあ、土地の伝承ですから。

    承久の乱合戦供養塔
    承久の乱合戦供養塔

    やがて矢熊山山頂のすぐ下に前渡不動尊。比較的小さなお堂です。眼病に霊験あらたかだとか。

    前渡不動尊
    前渡不動尊

    矢熊山山頂からは眺めが良いです。写真は岐阜方面と犬山方面。この山には城跡はありませんが、昔は物見などに使われたのでしょうね。承久の乱の戦場を一望できたはずです。

    矢熊山からは山頂北東側の山道を下ります。標識などはありませんが、よく踏まれた道です。降り立ったところにあるのが「七面塚」「古墳の碑」と書かれた石碑と、集められた石仏。いったいこれがなんであるのか、調べても何も出てきません。

    七面塚
    七面塚

    この近くの丹羽養鶏場では、卵の直売をしています。この日は徒歩での取材でしたからパス。その後、空の森運動公園を抜けて、各務原駅方面へ。空の森運動公園周辺にはカメラを構えた人が多かったのですが、ここは各務原基地に着陸直前の自衛隊機が頭の上を通過するので、航空機を撮影する人の聖地になっているようですね。たまたま輸送機が着陸するところを見ましたが、大迫力でした。

    その先にあるのが縄文時代の遺跡、炉畑遺跡。竪穴式住居が復元されています。出土した土器には東日本のものも西日本のものもあったそうで、各務原台地が古代から中世に至るまで、東西交流の歴史を積み重ねた場所であることはよくわかります。

    炉畑遺跡
    炉畑遺跡

    炉畑遺跡に隣接するのが旧桜井家住宅。明治初期の1871年に建てられた養蚕農家で、濃尾大地震で倒壊したものの、元の材を使って再建されたそうです。老朽化で中に入ることはできません。

    旧桜井家住宅
    旧桜井家住宅

    旧桜井家住宅からは、JR各務原駅か、名鉄名電各務原駅へと向かいます。距離的には名鉄二十軒駅が若干近いですが、こちらは普通列車しか停まらないので、帰路には二つの駅が利用できる各務原がお勧めです。

    集合場所

    名鉄犬山遊園駅西口が集合場所、出発点になります。木曽川を渡るのを抜けば、鵜沼駅や新鵜沼駅から出発もできます。到着はJR各務原駅あるいは名鉄の名鉄名電各務原駅です。この二つの駅は近くにあり、列車の時刻を調べてどちらかを利用すればよいと思います。

    行程とコースタイム

    このコースは名鉄犬山遊園駅から歩き始め、見学を含めて5時間ほどです。伊木山、木曽川堤防、前渡不動尊に未舗装の道がありますが、他はすべて舗装された道を歩きます。

    昼食

    犬山遊園駅、鵜沼、前渡不動尊周辺、各務原駅周辺には飲食店が多くあります。コースに近い鵜沼でのお勧めはカフェ・ル・マシャオンボンムウなど。前渡不動尊周辺だとコーヒーハウスカナダコナカフェスナフキンカフェドエピなど。

    中間にはあまり飲食店がなく、取材時は味鮮という中国人の方がやっている中華料理店でランチを取りました。かなりボリュームがあります。

    味鮮のランチ
    味鮮のランチ

    トイレ

    道中はあちらこちらに公衆トイレがあります。

    持ち物と服装

    街歩きの服装で大丈夫です。靴は若干の山道があるのでトレッキングシューズを勧めます。

    ハイキング適期

    年中訪れることができますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。

    近隣の見どころ

    時間があればルートを少し変えて犬山城へ立ち寄ることもできます。