浅井氏の居城、小谷城跡と大嶽城跡(ハイキング・コース)

小谷城のハイキング・コースを紹介します。

小谷城は、滋賀県長浜市の小谷山(495m)にある浅井氏3代の居城です。まずは小谷城を作った浅井氏の歴史のおさらいから。浅井氏は、もとは地元の名家、京極氏に仕えていましたが、下剋上の世にのし上がり、初代浅井亮政が1520年ごろに小谷山山頂大嶽城(おおづくじょう)を築城、その後中腹部の尾根に浅井久政浅井長政が小谷城を造営しました。

浅井長政に嫁いだ織田信長の妹お市の方や、その間に生まれた浅井三姉妹(お茶々、お初、お江)ゆかりの城でもあります。

1573年に織田信長によって小谷城は攻め落とされ、その後、豊臣秀吉に与えられましたが、秀吉は今浜(いまはま)(現在の近江長浜)に城を築いたために、小谷城は廃城とりました。

この小谷城ハイキングコースは、小谷城ふもとの小谷城戦国歴史資料館を訪ねてから、小谷城本丸のあった東側の尾根を登ります。そのまま小谷山山頂にある大嶽城まで登り、そこから朝倉軍が築いた福寿丸跡などがある西側の尾根を下ります。

降り立ったところは郡上の集落ですが、ここは小谷城のころは城下町、江戸時代には北国脇往還小谷宿の一部だったところです。


小谷城ハイキングでは、とにかく浅井氏三代の築城のスケールの大きさに圧倒されることになります。中世三大山城日本五大山城日本100名城などに選ばれるのもうなづけます。

小谷城跡の見どころは、浅井氏の遺跡一点張りで、多様性はありません。それでも一度は訪れてみる価値のあるのが小谷城跡のハイキング・コースです。

小谷城跡ハイキングコースの見どころ

小谷城跡のハイキングは北陸線のJR河毛駅から始まります。駅前に降り立つと出迎えてくれるのは浅井長政とお市の方の像です。写真の左奥に見えているのが小谷城跡のある小谷山。右にあるのが織田信長が布陣した虎御前山です。

JR河毛駅にはレンタサイクルもありますが、小谷城の麓までは歩いて向かいます。

浅井長政とお市の方の像
浅井長政とお市の方の像

河毛駅から歩き始めてすぐの角を曲がったところに泉龍寺があります。ここの山門はかつて小谷城の裏門だったと言われています。でも、山城の小谷城の裏門というのはどこのことだったのでしょうか。

泉龍寺山門
泉龍寺山門

比較的交通量の多い車道を歩きますが、風景はよく、小谷山の全景が見えます。

小谷山
小谷山

やがて右手(南側)に虎御前山の登山道入り口。虎御前山のハイキング・コースはこちらを参照してください。

虎御前山登り口
虎御前山登り口

北陸自動車道の下をくぐるとすぐのところにある石材会社。石の灯籠や彫刻が並んでいて、ちょっと壮観です。

丸石石材
丸石石材

やがて旧北国脇往還に出ると、そのあたりがかつての小谷城下町。江戸時代には北国脇往還の宿場町となっていたようです。

小谷城下町
小谷城下町

やがて小谷山に分け入る清水谷の入り口。この奥に浅井長政の居館や、武家屋敷などがあったようですが、痕跡はほぼ残っていません。小谷城戦国資料館があるので、登城する前に歴史の勉強を。なお館内は撮影禁止でした。小谷城戦国資料館で現地ガイドさんをお願いすることもできます。有料で要予約です。詳しくはホームページを。

小谷城戦国歴史資料館
小谷城戦国歴史資料館

小谷城の全体像はこんな感じ。このハイキング・コースは、清水谷を取り囲む尾根筋を右側の追手道から登り、左側の尾根を降りてきます。

小谷城跡清水谷絵図
小谷城跡清水谷絵図

小谷城ハイキング

さてここからがいよいよ小谷城ハイキングのハイライト。小谷城跡に登ります。

資料館から少し戻り、追手道の案内に従って車道を外れ、尾根に向かって歩き始めると、すぐに「磯野屋敷跡」の表示。これは浅井長政配下の磯野員昌(いそのかずまさ)の屋敷があったところです。磯野員昌は姉川の合戦で名を挙げ、かつて彦根の佐和山城の城主を務めていた武将です。佐和山城が織田信長に攻略された折に降伏し、織田氏配下となりました。

磯野屋敷跡
磯野屋敷跡

尾根に登りついたところからすぐのところにあるのが間柄峠。そこからしばらく登ったところが金吾丸。この辺りは、織田軍が小谷城を攻めるより以前、1525年に、六角高頼が小谷城を攻めた時の戦跡です。初代浅井亮政の時のことでしょうか。

小谷城に越前の朝倉氏が浅井氏に援軍を送り、朝倉配下の武将、真柄備中守が陣取ったのが真柄峠、朝倉金吾教景(あさくらのりかげ)が陣取ったのが金吾丸だそうです。

小谷城金吾丸跡
小谷城金吾丸跡

金吾丸から少し登ると番所。ここは検問所のようなものだったようです。

小谷城番所跡
小谷城番所跡

御馬屋跡は、本丸からちょっと降りたところにある曲輪です。

小谷城御馬屋跡
小谷城御馬屋跡

帯曲輪は、御馬屋から本丸に直接向かうと見逃してしまう位置、本丸の下、清水谷側にある帯状の長い曲輪です。

小谷城帯曲輪跡
小谷城帯曲輪跡

石段の残る小谷城黒金門跡。この上は大広間と呼ばれる広いスペースになっています。

小谷城黒金門跡
小谷城黒金門跡

黒金門跡の近くにある桜馬場と呼ばれる曲輪。

小谷城桜馬場跡
小谷城桜馬場跡

1533年、六角氏の合戦のおりに内通していた家臣の今井秀信の首を晒したのが首据石。

小谷城首据石
小谷城首据石

織田の軍勢に追い詰められた浅井長政が自害したのが赤尾屋敷と伝えられています。

小谷城赤尾屋敷跡
小谷城赤尾屋敷跡

小谷城の大広間と、奥が本丸。石垣が見えます。

小谷城址大広間
小谷城址大広間

本丸跡は意外に狭いです。

小谷城 本丸跡
小谷城 本丸跡

本丸の北側は大きな堀切。

小谷城大堀切
小谷城大堀切

堀切から上がった北側が小谷城中丸。

小谷城中丸跡
小谷城中丸跡

小丸と隣接しているのが京極丸。かつての主君、京極氏の屋敷があったと伝えられます。

小谷城京極丸
小谷城京極丸

小丸は2代城主、浅井久政が信長の軍勢に攻められた自害したところ。

小谷城 小丸跡
小谷城 小丸跡

山王丸を回り込んだところに立派な石垣が残っています。

小谷城大石垣
小谷城大石垣

小丸の上にある山王丸。かつて山王権現が祀られていたのでこの名があるそうです。

小谷城 山王丸跡
小谷城 山王丸跡

山王丸の上にあるのが六坊跡。浅井氏ゆかりの六つの寺院が出張所?を設けていたようです。

小谷城六坊跡
小谷城六坊跡

小谷山頂上へと向かう道から逸れ、東側の尾根にあるのが月所丸。細長い尾根上に曲輪が続いています。

小谷城 月所丸跡
小谷城 月所丸跡

この辺りから急登が続きますが、岩尾と呼ばれるところまで来ると展望が開けます。

小谷山岩尾からの眺望
小谷山岩尾からの眺望

やがて山頂の大嶽城跡(おおづくじょう)。浅井亮政が最初に築いた本丸と言われています。曲輪を囲む土塁などが良く残っています。

大嶽城跡
大嶽城跡

大嶽城からは、北へ向かい高月駅に出られる道もあるようですが、このコースは南西側の尾根を下ります。

やがて出てくるのが福寿丸跡。福寿丸と山崎丸は1572年に朝倉の援軍が築いた城郭です。木村福寿庵が守備に就いていたので福寿丸と呼ばれます。

小谷城福寿丸跡
小谷城福寿丸跡

福寿丸からさらに下ると山崎丸。こちらは山崎吉家が守っていました。

小谷城山崎丸跡
小谷城山崎丸跡

下りつくのは尾崎神社の鳥居。この辺りには登り口の案内がないので、下を通った時にもここが登り口とは気が付きませんでした。

尾崎神社鳥居
尾崎神社鳥居

この辺りは北国脇往還。北国街道の木之本と中山道の関ケ原を結んでいた近道です。

北国脇往還 大谷市場跡
北国脇往還 大谷市場跡

かつての小谷城下町は江戸時代には北国脇往還の郡上宿。当時の建物はありませんが、古民家や、史跡を示す案内はいくつか。

郡上宿高札所跡
郡上宿高札所跡

郡上宿にあった地蔵堂。石をあまり加工していない素朴な地蔵は、関ケ原からこの辺り一帯まで分布しているようです。

郡上宿の地蔵
郡上宿の地蔵

郡上宿からは、JR河毛駅へとまっすぐに向かいます。

集合場所

JR北陸線河毛駅が集合場所、出発点になります。

行程とコースタイム

このコースはJR河毛駅から歩き始め、見学を含めて5時間ほどです。河毛駅と小谷山のふもととの間は舗装道路ですが、あとはすべて山道になります。

昼食

コース上には飲食店もコンビニもありません。弁当持参をお勧めします。

トイレ

河毛駅、と小谷城戦国歴史資料館にあります。山中にはトイレはありません。

持ち物と服装

軽い登山になります。靴はハイキング・シューズか軽登山靴を勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

織田信長らが布陣した虎御前山を訪ねるハイキング・コースと組み合わせることができますが、体力と時間に余裕が必要です。

時間があれば、河毛駅の北にあり、織田軍が小谷城包囲のために布陣した中島城などを訪ねることもできます。

小谷山の東にある須賀谷温泉は浅井長政やお市の方も湯治に通ったと言われています。日帰り入浴、宿泊もできます。