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深坂道は滋賀県米原市、北国街道の米原宿にあった米原湊と、中山道の番場宿とを結ぶ、物流のルートです。江戸時代の初期、1611年に開通しました。
関ケ原の合戦後に彦根藩主となった井伊直政は、佐和山城に入ってすぐ、彦根藩の有事の備えと物資運搬のために彦根三湊(長浜・松原・米原)を整備しました。当初、尾張・美濃方面から中山道を通って彦根にやってくる物資は、番場宿と鳥居本宿の間にある摺針峠などを越えなければならず、輸送が大変でした。そこで、番場宿からあまり起伏のない道を作り、米原湊で船に積み替えるルートが作られたものです。
米原湊ができた頃には米原は小さな村でしたが、物流のルートができたおかげで発展し、北陸道の宿場町にまで成長し、これが今の米原市に繋がっているそうです。
下の写真は米原の深坂で尾根に切通しを作った深坂道。
深坂にはさらに古い案内板も立っています。ほとんど読めないので、WEBで探しました。「永禄4年6月(1561)六角方の吉田安芸守が守備していた太尾山城を、浅井長政方の今井定清がこの深坂から攻め込んだが失敗に終わったとの記録があります。慶長16年(1611)北村源十郎が、中仙道番場宿と米原を結ぶ深坂道を開く、美濃や尾張から荷が、米原湊に集積され、丸子船で大津を経て京都へ人や物が運ばれるようになりました。 米原町教育委員会」だそうです。