タグ: 太尾山城

太尾山は滋賀県の米原市にあり、米原駅のすぐ東側に連なる低い山です。この山上に太尾山城の跡が残されています。

太尾山城は南北朝時代の頃に地元の豪族米原(よねはら)氏によって築かれたという説がありますが、定かではないようです。その後、戦国時代に近江を二分した六角氏京極氏、さらには浅井氏などとが取り合いを繰り返す、いわゆる境目の城の一つです。最後は織田信長佐和山城攻めの時に攻撃を受け、そのまま廃城となりました。

太尾山城の歴史については、米原市のパンフレットに掲載があります。かいつまんで書くと以下です。

1471年に美濃の守護代・斎藤妙椿が近江に侵攻し、米原山で合戦した記録があり、この山が太尾山ではないかと考えられている。

1538年の六角定頼による北近江攻めでは、永田氏などが太尾に在陣しているのが記録されている。天文1552年には、京極高広が六角方の太尾山城の攻略を今井氏に命じたが失敗。1561年浅井長政による太尾山城攻めが開始され、攻撃に加わった今井定清が夜襲で誤って味方の槍を受け討ち死にするが、ようやく攻略して中嶋宗左衛門尉を入れ置いた。

1571年、織田信長による浅井氏攻めで佐和山城が開城すると、宗左衛門尉も太尾山城を退き、以後廃城になった。

https://www.city.maibara.lg.jp/material/files/group/47/site28.pdf

太尾山城は別城一郭と呼ばれる複数の主郭を持つ城で、南と北と二つの主郭があります。主郭の間には深い堀切がいくつか作られており、東西は急斜面で守りの堅い城です。下の図は太尾山頂上にある案内板です。

太尾山城の縄張り
太尾山城の縄張り

北城のさらに北には盗人岩(ぬすっといわ)という展望が開ける岩場があり、琵琶湖、米原と眼下を通る北国街道がよく見えます。これが太尾山に城が築かれた理由でしょうね。

盗人岩
盗人岩

太尾山城盗人岩からの展望
太尾山城盗人岩からの展望

尾根上には数々の曲輪が設けられています。

曲輪跡
曲輪跡

北城はこの曲輪のすぐ南にありますが、斜面は非常に急で切岸となっているようにも見えます。道はこの急斜面を避け、東側を周り込み、北城の主郭がある太尾山山頂へは南側から登るようになっています。

太尾山城 北城主郭
太尾山城 北城主郭

北城の主郭は広くなっており、土塁がはっきりと残っています。写真にするとわかりにくいですが。

太尾山城土塁
太尾山城土塁

北城と南城との間は尾根道ですが、いくつかの曲輪状のところと、堀切で区切られています。特に南城手前の堀切は、かつては通路としても使われていたのか、掘り込みが深く、良い状態で残っています。

太尾山城南城直下の堀切
太尾山城南城直下の堀切

堀切から往復する南城の主郭は北城ほど広くなく、細長くなっています。

太尾山城 南城主郭
太尾山城 南城主郭

太尾山城には、麓にある青岸寺湯谷神社から登ることができます。湯谷神社から登る道筋には「濱田口」と書かれた看板のある大岩がありますが、説明は一切ないので何なのかわかりませんでした。「濱田口」という登城路だったのでしょうか。

太尾山城濱田口
太尾山城濱田口

登山道は観光案内版を見るとイメージがつかめます。

米原観光案内図
米原観光案内図