京都ウォーキング 嵐山から嵯峨、常寂光寺、二尊院、祇王寺、あだし野念仏寺、清凉寺

観光客でにぎわう京福電鉄嵐山駅周辺から天龍寺竹林の小径常寂光寺二尊院祇王寺を経て鳥居本のあだし野念仏寺まで行きます。岐路には清涼寺に立ち寄り、嵐山駅にゴールします。嵐山周辺は観光客であふれていますが、嵯峨に来ると人ではぐんと減り、鳥居本では観光客はまばらになります。歩くルートは一部が京都一周トレイルに指定されています。

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コースの見どころ

京福電鉄嵐山駅から外に出ると、そこは典型的な観光地。お店が並び、観光客を乗せた人力車が行きかっています。ちょっと南に下れば桂川あるいは大堰川(おおいがわ)に架かる渡月橋。何気なく渡っていますが由来は以下。ちなみに角倉了以は戦国時代から江戸時代に活躍した京都の豪商です。

嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋。承和年間(834 – 848)に僧道昌によって架橋したのが最初とされており、現在の位置には後年に角倉了以が架けたとされる。現在使われている橋は昭和9年(1934年)6月に完成したものである。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられた。

https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=8&tourism_id=2682
渡月橋
渡月橋

渡月橋からは嵐山に戻り、天龍寺に向かいます。天龍寺は正式には霊亀山天龍資聖禅寺といい、世界遺産に指定されています。臨済宗天龍寺派の大本山で、開基が足利尊氏、開山は夢窓疎石です。足利尊氏の言わば敵であった後醍醐天皇の菩提を弔うために建てられたそうです。天龍寺ができる前、後嵯峨天皇と亀山天皇がこの地に離宮を営み、「亀山殿」と称していたそうで、それが霊亀山という山号のもとになっています。

天龍寺勅使門
天龍寺勅使門

天龍寺では庫裏や大方丈などの見学ができます。建物はいずれも近代になっての再建です。本尊は釈迦如来坐像で重要文化財です。

取材の時は法堂の雲龍図が公開されていましたが、1997年に新たに絵が描かれたもので、正直なところ相国寺妙心寺の雲龍図ほどの迫力はありませんでした。お金を払ってみる価値があるかと言われたら、あまり勧めません。

天龍寺
天龍寺

一方天龍寺の庭園は夢窓疎石の作庭で、史跡・特別名勝に指定されています。日本最後の石橋なども残っています。特に春先には花が咲き乱れ、こちらはお金を払ってでもお勧めです。天龍寺は建物や雲龍図は今一つですが、庭園は必見です。

庭園を抜けて天龍寺北門から外へ出ると、有名な嵐山竹林の小径です。想像よりも短い距離ですが、背の高い竹が立ち並び、きれいです。

竹林の小径
竹林の小径

竹林の小径を戻り、そのまま進むと野宮神社(ののみやじんじゃ)。黒木(皮の付いたクヌギの鳥居)がユニークです。

野宮神社の黒木の鳥居
野宮神社の黒木の鳥居

野宮は平安時代に斎宮となった皇女が伊勢に向かう前に身を清める生活をした場所で、天皇一代ごとに建物は造り替えられたそうです。源氏物語「賢木」の中では光源氏が六条御息所を野宮に訪ねるシーンがあるそうです。

野宮神社
野宮神社

野宮神社から山陰本線の踏切を越えると、観光客の数はぐっと少なくなります。しばらく歩くと落柿舎(らくししゃ)。松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使われていた草庵です。芭蕉も滞在したことがあり、ここの滞在記録である「嵯峨日記」を書いています。なお現在の建物は当時芭蕉が滞在したものではありません。

落柿舎
落柿舎

落柿舎の隣には嵯峨天皇皇女の墓がありますが、宮内庁管理で中には入れません。

なおこのあたり一帯が、小倉餡発祥の地だそうで、案内板が立っていました。近くにあるのがおぐら茶屋。取材時にはここでうどんをいただき、無論、ぜんざいもいただきました。どちらもおいしいです。

おぐら茶屋からすぐ西側にあるのが常寂光寺公式サイトはこちら)の山門です。山門は江戸後期のもの。その奥には仁王門があります。仁王門は、元々は本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345〜49)に建立され、1616年に現在地に移築されたもので、常寂光寺では最も古い建造物です。

常寂光寺の由来はこちら。

慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。

https://www.jojakko-ji.or.jp/
常寂光寺本堂
常寂光寺本堂

常寂光寺のある山が、百人一首で詠まれる小倉山です。斜面に造られた庭園は美しいです。モミジが有名だとか。

多宝塔は1620年のものとされています。嵯峨野の風景が素晴らしいです。

常寂光寺の多宝塔
常寂光寺の多宝塔

また常寂光寺のあるあたりに藤原定家の山荘があったと伝えられており、小倉百人一首もこの地で編纂が行われたそうです。

常寂光寺から下りて、山門を出てしばらくは京都一周トレイルと愛宕神社へ向かう愛宕街道とが重なります。しばらく北へ向かうと、右手に墓地があり、ここに向井去来の墓と、西行が使っていたという井戸(西行井戸)があります。脇に置かれた歌碑は「 牡鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな 」です。

続いて西側に二尊院の総門が見えてきます。総門をくぐったところが紅葉の馬場と呼ばれる広い山道。まっすぐ進むと壁になっています。

二尊院(公式サイトはこちら)は本尊が「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二つあることに由来するそうです。二体の本尊は奈良時代のもので、どちらも重要文化財。二尊院の由緒は、嵯峨天皇の勅願で第三代天台座主(円仁)が承和年間(八三四〜八四八)に建立したことにはじまるそうです。

その後、京都御所内にあった仏殿を守る役を担っていた関係で、旧宮家をはじめとする京都の名家の墓所が造られています。鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家、角倉了以、江戸時代の儒教学者伊藤仁斎などの墓所があります。

二尊院を出てさらに北に向かって歩いて行くと、祇王寺。「平家物語に登場する“悲恋の尼寺”」とされています。平家物語では平清盛の寵愛を得ていた祇王が冷たくあしらわれるようになり、母の刀自、妹の妓女とともに当時の嵯峨往生院で尼になったそうです。往生院はその後廃寺となり、荒れ果てていたものを、大覚寺が残された仏像と墓を保護し、明治になって庵を建てて祇王寺となったそうです。この辺りの経緯はこちら。祇王寺は苔や緑の木々が美しい寺です。

やがて鳥居本の町並み保存地区に入ります。昔ながらの細い道の脇に、年代を感じさせる家や商店が並んでいます。

鳥居本のある一帯は、かつて化野(あだしの)と呼ばれ、京都における三大葬送の地のひとつでした。ここで見つかった無縁墓を集めたのがあだし野念仏寺(正式名称は華西山東漸院念仏寺)です(公式サイトはこちら)。

京都一周トレイルは愛宕神社の一の鳥居を経て西に向かいますが、このウォーキング・コースは愛宕街道を戻り、清凉寺へと向かいます。途中には中院山荘跡の看板。鎌倉幕府の御家人で、北条時政の娘婿、宇都宮城主であった宇都宮頼綱は陰謀への加担を疑われて出家し、蓮生となりました。京都に居を移し、この地に住んで藤原定家と親交を結んだそうです。

中院山荘跡
中院山荘跡

次にある小さなお堂が慈眼堂。ここに安置されている十一面観音像は藤原定家の念持仏と言われています。

慈眼堂の十一面観音立像
慈眼堂の十一面観音立像

清凉寺は通称を嵯峨釈迦堂といい、釈迦を本尊としています。本堂の釈迦如来立像は国宝で、インド伝来と伝えられています。通常は秘仏です。また清凉寺の前身である棲霞寺は源氏物語の中で光源氏が造営した「嵯峨の御堂」に目されている寺院です(公式サイトはこちら)。国宝などに指定されている阿弥陀三尊像などの文化財は霊宝館に収蔵されていますが、残念ながら常時公開されているわけではありません。本堂は五代将軍徳川綱吉の発願で再建されたものだそうです。仁王門は江戸中期のものですが、仁王像は室町時代だとか。

清凉寺の一角には豊臣秀頼首塚があります。1980年に大坂城の発掘で発見された頭蓋骨が豊臣秀頼のものではないかと言われ、ここに葬られたそうです。

豊臣秀頼首塚
豊臣秀頼首塚

清凉寺の仁王門を出てまっすぐ進めば嵐山駅前に出ます。

近隣の見どころ

渡月橋の近くには福田美術館があります(公式サイトはこちら)。1500点にのぼる収蔵品の中から、おおむね3ヶ月ごとにテーマを決めて展示しています。

福田美術館
福田美術館から桂川

Post Author: ガイドマスター