中島城跡と丁野山城跡(ウォーキング・コース)

JR北陸線の河毛駅から往復1時間ほどのショートコースです。織田信長が小谷城を攻略するときに、配下の武将を配置した、河毛駅の北にある低山を訪ねます。


織田信長は1573年に浅井長政の居城である小谷城を攻め落としました。この時、浅井氏は小谷山以外にも兵を配置していました。また信長をはじめ、豊臣秀吉などの有力武将の多くは、虎御前山に陣を置きましたが、小谷城を包囲するために、それ以外の周辺の山にも武将が配置されていました。河毛駅北方の山脇山はそうした場所です。

またすぐ近くの岡山には浅井の軍勢が立て籠っていました。このコースは短いですから、小谷城を訪ねるコースや、虎御前山を訪ねるコースなどと組み合わせることをお勧めします。

コースの見どころ

河毛駅で迎えてくれるのは浅井長政とお市の方の像です。

浅井長政とお市の方の像
浅井長政とお市の方の像

その近くにあるのが小谷城周辺の史跡の案内図。赤く現在地とあるのが河毛駅前です。このコースはその北方(地図では上)のあたりに集中して分布する史跡を訪ねます。史跡を訪ねた後は、河毛駅へ戻るもよし、もう少し歩きたい場合は、高月駅までのんびりと歩くのも良いでしょう。

小谷城周辺案内図
小谷城周辺案内図

まず出会うのが山脇山の看板。ここは明智光秀の陣所跡です。看板は山のふもとにあり、この奥が山脇山ですが、明確に残る遺構はないようです。

山脇山明智光秀陣跡
山脇山明智光秀陣跡

北陸自動車道をトンネルでくぐり、その先にあるのが谷田神社。江戸時代には山王宮と呼ばれて、もう少し山の上にあったそうです。起源は903年とされており、滋賀県坂本の日吉大社から大山咋神を勧請したもの。

かつてこの辺りには弥勒寺という寺院があったものを、その寺院の跡地を利用する形で現在地に神社が移転してきたとか。

谷田神社鳥居
谷田神社鳥居

こちらが弥勒寺跡の案内板。937年に建立されたとあります。写真の仏像は、現在は石山寺に所蔵されているかつので本尊、如意輪観音像。

弥勒寺跡
弥勒寺跡

弥勒寺の本堂を利用したと言われる、谷田神社の拝殿。確かにお堂といったほうが良い作りです。

谷田神社拝殿
谷田神社拝殿

谷田神社からは、地元の里山づくり委員会が整備した遊歩道が続いています。この地図は丁野岡山古砦図という古地図を元に描かれたもののようです。全山が砦と化していたことがわかります。

丁野岡山古砦図
丁野岡山古砦図

丁野山城(ようのやまじょう)は岡山の頂上部一帯に作られていました。築城は1518年頃浅井長政の祖父、丁野出身の浅井亮政によるものです。1573年には丁野山城に浅井長政を応援に来た朝倉義景配下の魚住景固や波多野玉泉坊・飛鳥井宝光院僧兵・堀江甚助・久保田勘十郎らが守備していたそうですが、ことごとく降伏、あるいは退去しています。

丁野山城の大堀切
丁野山城の大堀切

丁野山城から一旦少し下り、登り返した中島城の主郭のあたりには土塁などがはっきりと残っています。小谷城攻めの際に中島城には浅井長政に仕える武将、中島直親がいたそうですが、こちらも早くに織田軍に降伏したとか。

中島城の主郭と土塁
中島城の主郭と土塁

少し離れたところから丁野山城の方を見ると、戦場の位置関係が良くわかります。左側が小谷城があった山、中央が織田信長らが陣を敷いた虎御前山、そして右側のポッコリとしたのが丁野山城です。

織田の浅井攻め
織田の浅井攻め

丁野山城の北側には丁野という集落があり、ここが浅井氏の出身地だそうです。ちなみに丁野という珍しい地名についてはこちらに解説があります

丁野集落にある丁野観音堂
丁野集落にある丁野観音堂

集合場所

JR河毛駅が集合場所、出発点になります。JR河毛駅に停車する列車は昼間は1時間に1本、時刻表はこちらです。

行程とコースタイム

このコースはJR河毛駅から歩き始め、高月駅まで歩いたとしても、見学を含めて2時間ほどです。

昼食

周辺に飲食店やコンビニは皆無です。高月駅まで出れば、十割蕎麦 坊主bar 一休が駅前にあります。

トイレ

河毛駅にあります。あとは高月駅までありません。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーかハイキングシューズを勧めます。

ハイキング適期

雪がなければ年中訪れることができます。

近隣の見どころ

このコースは短いですから、小谷城を訪ねるコースや、虎御前山を訪ねるコースなどと組み合わせることをお勧めします。


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