美濃路の起宿から墨俣宿の間には古い建物などの目立った史跡はほぼ残っていません。ほとんどが車道ウォーキングですが、木曽川や長良川を渡るときを除き、車の通りはとても少なく、静かな美濃路ウォーキングが楽しめます。ただし距離は15㎞以上ありますので、結構長いです。
美濃路の起宿から墨俣宿までは、木曽川、長良川などの大河やそれらの支流を渡るルートで、かつては水郷地帯でした。江戸時代には木曽川の流れが変わるなど、渡し場や街道のルートなどにも幾多の変遷があったと考えられます。
墨俣宿からは、一夜城として有名な墨俣城を見学し、その後JR穂積駅へと出ます。墨俣城の近く、祖父江公園には瑞穂市のコミュニティバス、みずほバス牛牧穂積線のバス停がありますが、1日5本のみで使い勝手は悪いです(みずほバスの時刻表はこちら)。墨俣宿近くには墨俣北バス停があり(安八穂積線)、こちらはJR穂積駅との間に1時間に1本ほどバスが出ています。
コースの見どころ
一宮駅からの名鉄バスの終点、起バス停で下車したら、しばらく起宿内の美濃路を通ります(起宿はこちらを参照)。木曽川を濃尾大橋で渡りますが、歩道は北側(上流側)だけにあります。
![濃尾大橋と木曽川](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/PANO_20211020_092930-1024x373.jpg)
木曽川を渡るときをはじめ、起宿から墨俣宿の間は吹き曝しの場所を歩くことが多いので、伊吹おろしの吹く冬場は歩くのを避けたほうが良いでしょう。
木曽川を渡ると岐阜県、そこには起渡船場石灯台があります。
![起渡船場石灯台](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_094050-768x1024.jpg)
美濃路は木曽川の堤防をしばらく通るようですが、歩道がなく、車が多いところなので避け、堤防下の住宅街を歩きます。しばらく行くと、民家の古い門のところに「みぎいせみち」と書かれた道標が。変な場所にあるなと思ったら、もともとは木曽川堤防のあたりにあったものが移されたそうです。
![「みぎいせみち」道標](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_095433-1024x768.jpg)
静かな旧道を歩くと秋葉神社や地蔵堂が。このあたりは大浦という場所で、戦国時代に斎藤道三の息子、斎藤義龍と織田信長が争ったあたりです。近くには大浦の寺砦跡(大浦城跡)もありますが、ルートからは少しそれます。
![大浦の地蔵堂](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_100419-768x1024.jpg)
しばらく歩くと、羽島市立正木小学校がありますが、その脇に一里塚跡の看板。一里塚の名残は全くありません。その先には貴船神社。貴船神社は水の神様が祭られているはず。やはり水郷地帯ゆえでしょうか。
![貴船神社](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_101502-768x1024.jpg)
どことなく街道の風情を残す道を歩いていくと、右側に真宗大谷派の法啓寺。ここにはトイレがあります。
![真宗大谷派 養耆山 法啓寺](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_102201-1024x768.jpg)
しばらく進むと、カネスエ正木店などがあるにぎやかな一角に入ります。カネスエの駐車場入り口付近にポツンとあるのが及が橋石灯籠。1826年のものだそうです。かつて、近くの足近川がよく氾濫したので、出水時の渡河の安全を祈るために建てられたそうです。もともとは堤防上にあったのがここに移されたそうです。
![及が橋石灯籠](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_102635-768x1024.jpg)
すぐに美濃路は名鉄竹花線を越えます。すぐわきに名鉄須賀駅があります。このコースは長いので、須賀駅かあるいはその北側にある南宿駅を利用して、半分に分けることも可と思います。
![名鉄竹鼻線須賀駅](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_103250-1024x768.jpg)
名鉄竹鼻線の線路を越えると川があります。ここはかつて及川と呼ばれており、及が橋という橋が架かっていた場所だそうです。かつて中世には鎌倉街道が1.6kmほど上流でこの川を横切っていて、その時にあったのが及が橋だったそうで、美濃路が整備された江戸時代に新たにかけられた橋の名前も及が橋となったそうです。
![及が橋から見た及川](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_103547-768x1024.jpg)
すぐに県道165号を越えて集落に入りますが、ここは南宿。宿場があったのかと思ったら、鎌倉街道時代の宿場だったそうです。そのすぐ先にあるのが親鸞聖人旧跡石碑。この少し北にある西方寺という寺に親鸞聖人が1235年に立ち寄られたことがあるのだそうです。当時は鎌倉街道がこの辺りを通っていました。
![親鸞聖人旧跡石碑](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_105109-768x1024.jpg)
またこの辺りは、美濃路の時代に間の宿と呼ばれる休憩所があったそうです。起宿と墨俣宿の間は距離が長いため、ここで休息したのだとか。歩いてみると確かに長いですし、川をいくつも越えなければいけませんから当時は大変だったと思います。
この親鸞聖人旧跡石碑と道を挟んだところにある民家に、「行圓墓」と書いた石が。行圓は調べてみると、平安中期の天台宗の僧だとあります。ただ、墓所について記述している資料は見つけられませんでした。
![行圓墓](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_105123-1024x768.jpg)
この先で美濃路は県道141号を渡りますが、渡った先は区画整理事業が行われたため、かつてどこを美濃路が通っていたかはわかりません。水田の中の道を適当に選んで、すすむしかありません。美濃路は坂井の集落で再び現れますが、ここでは阿遅加神社に立ち寄ります。阿遅加神社は延喜式にも出てくる由緒ある神社で、日本武尊が祀られています。伝説によれば、伊吹山に向かう途中の日本武尊がこの地に立ち寄ったのだとか。
![阿遅加神社](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_110736-1024x768.jpg)
阿遅加神社の後ろは境川の堤防です。どうやら境川の自然堤防が古来から、重要な道として使われていたようです。境川の堤の上にも道がありますが、阿遅加神社から直接上がる道が見当たらないので、強引に斜面を登ってみました。
![境川の堤](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_111007-1024x768.jpg)
このあたりの境川の堤には桜の木が多いので、桜のシーズンに歩くのがお勧めです。
![境川](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_111500-1024x768.jpg)
境川の堤を歩いていくと、再び親鸞聖人旧跡石碑が。ここから西方寺へと向かうのが鎌倉街道で、下から上がってくるのが美濃路、このあたりが鎌倉街道と美濃路の合流点です。
![境川堤の親鸞聖人旧跡石碑](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_111726-1024x768.jpg)
ここからはしばらく、境川の堤防上を歩きます。今はしっかりした堤防になっていますが、鎌倉街道や美濃路の初期にはもう少し低い自然堤防だったのではないでしょうか。
![境川堤防上の美濃路](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_111917-1024x768.jpg)
しばらく進むと、普明院という寺院の脇に一里塚跡。この日二つ目の一里塚です。
![美濃路境川の一里塚](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_113623-1024x768.jpg)
しばらくすると、美濃路は境川を渡ります。美濃路ができたころ、境川は小熊川と呼ばれていたそうで、この辺りは小熊川の渡しと呼ばれています。通常は渡し舟で渡るそうですが、大名などが通行する場合には舟橋をかけたそうです。
![小熊川の渡し](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_115145-1024x768.jpg)
この後、美濃路は長良川を渡ります。現在は長良大橋で渡ります。長良大橋は両側に歩道がありますが、周辺は交通量が多いので要注意です。また、長良川堤防上の道を歩いて行かないと、橋を渡る道に上がれません。
![長良大橋](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_120925-1024x768.jpg)
長良大橋を渡り終えたら、信号で道の右側にわたります。歩行者が下へ降りる階段は、道の右側(北側)にしかありません。長良川に沿う用水路?沿いにあるのが明台寺。ここは西美濃三十三霊場の札所で、土岐悪五郎や澤井宗白の墓もあるそうですが、その割には荒れているように見えます。
![明台寺](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_121712-1024x768.jpg)
明台寺があるあたりは既に墨俣宿の一部で、寺町界隈と呼ばれているあたりです。
道をさらに進むと、墨俣宿本陣跡。ここには常夜灯もあり、墨俣宿の入り口となります。
![墨俣宿本陣跡の常夜灯](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_122046-768x1024.jpg)
墨俣宿内にはあまり史跡は残っておらず、かつての名残をとどめる建物も限られているようです。
![墨俣宿](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_122245-1024x768.jpg)
![墨俣宿脇本陣跡](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_122306-1024x768.jpg)
しばらく墨俣宿を歩くと、津島神社・秋葉神社の小さな社殿が並んだところに、琉球使節団通行記念燈籠。寛政3年(1791)に使節団が美濃路を通った時の記念だそうです。
![琉球使節団通行記念燈籠](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_122626-768x1024.jpg)
次に、美濃路の一本北側の通りにある夜城園遊郭跡に行ってみます。この辺りはかつて栄えた赤線地帯だったそうですが、いまはさびれ、朽ち果てようとする建物が名残をとどめていますが、史跡でもないし、いずれ姿を消しそうです。
![夜城園遊郭跡](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_123340-1024x768.jpg)
次に墨俣城へ向かいます。豊臣秀吉が一夜で作った城として、一夜城の別名があります。犀川の向こうに天守閣がそびえています。ただこれは歴史資料館として建てられただけで、本来の墨俣城には天守閣はありませんでした。
![墨俣城](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_123545-1024x768.jpg)
発掘に基づく墨俣城の様子はこちら。資料館の内部の展示です。堀や土塁などをめぐらした中に、やぐらなどがいくつかあります。
![墨俣城の復元模型](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_125143-1024x768.jpg)
資料館には、戦国時代のこのあたりの様子や、一夜城建設のいきさつなどが詳しく紹介されていて興味深いです。特に興味深かったのが当時のこのあたりの川の様子。これは大変な場所だったことがうかがわれます。
![戦国時代の墨俣周辺](https://guide.isekinotabi.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_20211020_124713-1024x768.jpg)
さてこのウォーキング・コースはここで終了。あとは最寄りのJR穂積駅に向かいます。徒歩だと45分ほど。タイミングが合えば北墨俣バス停などからバスに乗っても良いでしょう。
集合場所
一宮駅のバスターミナルが集合場所です。起行きのバスに乗ります。ゴールはJR穂積駅です。途中に名鉄竹鼻線・羽島線の須賀駅があります。
行程とコースタイム
このコースは名鉄バス起バス停から穂積駅まで歩きとおすと、約15.5㎞ほどになり、見学なども含めて5時間が必要です。穂積駅から墨俣北バス停までバスを利用すると、3㎞ほど短くなります。墨俣北バス停はバスの本数が少ないので、穂積駅から入る逆コースのほうがよいでしょう(安八穂積線)。
昼食
穂積駅周辺に車で途中には飲食店がほとんどありません(あっても閉まっていることが多い)。スーパーやコンビニでお弁当を買うことはできます。
トイレ
コースの前半にはトイレがありません。後半はところどころにコンビニや公衆トイレがあります。
持ち物と服装
街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。
ハイキング適期
年中訪れることができますが、夏の暑い時期と冬の風が強い時期は避けるほうがよいでしょう。桜の木が途中多いので、桜の季節がお勧めです。