美濃路 起宿から萩原宿(ウォーキング・コース)

評価 :4/5。

美濃路の一宮市内、木曽川の渡しがあった起宿から萩原宿までを歩くコースです。6kmくらいですから、見学を除いて2時間くらいあれば十分歩けます。起宿には古い建物がいくつか保存されていますし、一宮市尾西歴史民俗資料館も見学できます。


美濃路は旧中山道の垂井宿と、東海道の宮宿とを結ぶ脇往還です。東海道は宮宿と桑名宿との間で海を渡るために敬遠され、美濃路が発展したと考えられます。江戸時代には将軍上洛、朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中や象までもが美濃路を通りました。

木曽川べりにある起宿は、橋のなかった木曽川を渡る重要ポイントでもあり、また木曽川を使う水運の中心地にもなっていて、美濃路の中でも最もにぎわいのあったところではないかと思われます。

起点は名鉄バスの起バス停、あるいはそこへ行くためのバスが出る一宮駅のバスターミナル、2番乗り場に集合となります。コースの終点は名鉄萩原駅です。

コースの見どころ

起バス停
起バス停 一宮駅行きのバス、一宮駅からのバスはすべてここで発着で、道路の反対側にはバス停はありません

一宮駅からのバスの終着、起バス停は通称起街道が木曽川に突き当たる手前にあります。ここは起宿の中で、まずは木曽川沿いに街道を北上して、史跡を見学します。その後、折り返して南に下り、起宿の残りの部分を見て、萩原宿へと向かいます。

起宿の北端、このウォーキング・コースのスタート地点にあるのは人柱観音。物騒な名前で、その名の通り人柱に関する故事が元となっていますが、その後、濃尾大橋を建設する時の事故で無くなった3名の方を併せて弔っているとか。

人柱観音
人柱観音

人柱の話の元となったのは、敷地内にある、以下の「人柱観音縁起」の石碑に記してあります。

おこし東の 中島西に

人のとぼさぬ 火が見える

慶長の昔 伊奈備前之守 官命により 小信中之坊に宿泊し 起境の小信川口を突止め木曽本流の築堤の難工事に逢著した際 中之坊の門徒にて 小信の篤信の念仏行者なる与三兵衛は 報謝の一念より 慶長十六年盆夏中の第四日自から進んで 渦巻く濁流に身を沈めて人柱となり 遂に堤防堰止めを完成せしめた 以来雨の夜な夜なこの辺りから青白き 怪火飛んで 小信川を南に下り 西五城信行寺門前に消えた 信行寺は 右の工事完成と共に 小信中之坊が移転改称したものである 人々この 怪火を目撃して与三兵衛の魂魄が 中之坊の御本尊を思慕するのあまり 霊火と現れ小信から参詣するもの 世にこれを「与三の火」と言い伝え た 此度之が菩提を弔う為 人柱与光観世音菩薩を 現地に建立し 永 遠に彼が捨身の大業を後世に伝えんとするもの 与光は彼の法号である 

南無大悲与三

鎮もるや青田風

ちなみに 濃尾大橋架設の犠牲者

長野県人 岡庭金吾 宮崎県人 望月盛次 秋田県人 樫尾義雄 の三聖魂を小観音として建立合祀し共に 昭和三十二年九月二十八日開眼した

この人柱観音のすぐ南側にあるのが、起渡船場跡の一つ、定渡船場跡です。旧起宿には3つの渡船場があり、最も上流にあったものが定渡船場(じょうとせんば)、次が宮河渡(みやごうど)、そして最下流にあったものが船橋河渡(ふなはしごうど)と呼ばれていたそうです。

定渡船場跡
定渡船場跡

ここには金毘羅神社と、明治時代に建てられた立派な常夜灯が立っています。ちなみに明治時代にはまだ木曽川の渡しが使われていました。金毘羅神社は海上交通の守り神ですから、ここに祭られたものと思われます。

金毘羅神社と常夜灯
金毘羅神社と常夜灯

湊屋文右衛門

金毘羅神社の脇にはトイレがある駐車場があります。道路を挟んで反対側にある旧家が、旧湊屋文右衛門です。湊屋文右衛門は江戸時代の旧家で、起宿の渡し場の管理や、木曽川を使った交易にかかわっていた家のようです。湊屋文右衛門の公式ホームページには以下のようにあります。

定渡船場で渡し船の管理、運行を任されていたのが船庄屋ですが、その下に何人かの「船方肝煎」がいました。そのうちの一人が湊屋文右衛門です。渡し船を扱うだけでなく年貢米輸送にもあたっていました。早くから木曽川の舟運を利用して遠隔地との取引を行い、寛政年間(1789-1801)には「縞木綿を扱う仲買商」として成長しました。越前丸岡から糸を仕入れ、それを地元の機織りに売りさばき、織り上がった縞木綿を全国に売りさばいていたようです。

湊屋文右衛門の公式ホームページ
湊屋文右衛門邸
湊屋文右衛門邸

湊屋文右衛門邸の建築年は正確にはわかっていませんが、1864年以降に建てられたと推定されているそうです。江戸末期か明治初期でしょうか。現在は文化庁から有形文化財の指定を受けていて、茶店として経営しながら、建物の保全が図られています。かつては湊屋文右衛門邸が起宿のどん詰まりであり、ここより北に行く道はなかったそうです。

さて、起宿の中を美濃路に沿って南下していきましょう。まず、濃尾大橋に繋がる県道18号線の下をくぐって右側にあるのが天然記念物の加納邸のイブキ。駐車場に大きなイブキの木がぽつんと立っています。

加納邸のイブキ
加納邸のイブキ

イブキの木のすぐ先にあるのが大明神社。この辺りが旧宮河渡だそうですが、ここは常に使われていた渡船場ではなく、定渡船場でさばききれない大きな藩の大名行列などが通る時に使用されたそうです。

宮河渡跡
宮河渡跡 背景は大明神社

大明神社の境内にも大木があり、鳥居をくぐったすぐのところには天然記念物に指定された、起の大イチョウがあります。

起の大イチョウ
起の大イチョウ

バス停のある、通称起街道を木曽川のほうに向かうとすぐにあるのが、「史跡 起渡船場跡~船橋跡」です。船橋とは、川に船を並べて繋ぎとめ、その上に板を渡した一時的な橋です。美濃路ではここ木曽川のほか、長良川、境川、揖斐川で使われたました。将軍や朝鮮通信使などの特別な人たちの通行のためのみに用いられました。木曽川の船橋は全長850m、船の数は270艘あったそうで、日本で最大の船橋でした。

起宿船橋跡
起宿船橋跡

起街道を渡り、少し南に歩くと右側にあるのが起宿脇本陣の旧林家住宅。1720年から明治維新まで起宿で船庄屋を務めていたのが林家です。江戸時代の建物は濃尾大震災で倒壊し、現在の建物は1913年に母屋、その後他の建物が足されていったものです。国登録有形文化財に指定されており、隣接する一宮市尾西歴史民俗資料館の別館として管理されています。日本庭園もなかなか美しく、起宿では必見です。

旧林家住宅
旧林家住宅
旧林家住宅内部
旧林家住宅内部
旧林家住宅の日本庭園
旧林家住宅の日本庭園

旧林家住宅に隣接するのが、 一宮市尾西歴史民俗資料館。林家住宅も資料館も入館料は無料です。

一宮市尾西歴史民俗資料館
一宮市尾西歴史民俗資料館

一宮市尾西歴史民俗資料館の館内には起宿や美濃路の歴史に関する資料が展示されています。

起宿のジオラマ
起宿のジオラマ

資料館から少し南に行った辺りで、美濃路は次第に南東方向に向きを変えますが、ここは少し美濃路から離れて南への道をたどります。ほどなく西側にあるのが聖徳寺跡織田信長斎藤道三が初めて会見した場所として歴史上有名なところです。残念ながら寺は江戸時代初期には名古屋市に移転しており、織田信長と斎藤道三が会った場所には石碑があるだけです。

聖徳寺跡
聖徳寺跡

聖徳寺跡から少し南下し、美濃路に合流するために東に折れます。美濃路に合流する手前にあるのが中嶋家の碑。中嶋家というのは、一宮市萩原にある中嶋城にいた中世豪族です。中嶋氏が1221年の承久の乱の折に後鳥羽上皇の側に付いて幕府、北条義時と対峙し、敗れてこの地に逃れその後子孫が周辺に定住したという由来を示しているようです。史跡というわけではなく、中嶋家の子孫が記念のために碑を立てたもののようです。

中嶋家の由来碑
中嶋家の由来碑

なお、この地には豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)も立ち寄ったという碑がありますが、小牧・長久手の戦いの時に秀吉が聖徳寺に陣を置いたそうで、その頃立ち寄った可能性もあるようです。ただ、美濃路が整備される以前、この辺りは古代から尾張の国府があった稲沢あたりと、美濃の国府があった垂井辺りを繋ぐ道が通っていたはずですから、戦乱の時代に秀吉を始めとする武将たちが何度も行き来していた可能性は強いです。

道をしばらく進むと美濃路に出ます。そのまま南東方向に美濃路を進んでいくとあるのが追分(分岐点)。駒塚道との分岐を示す道標があります。一宮市観光協会のサイトによると、駒塚道は「美濃駒塚の殿様といわれた尾張藩の家老石河佐渡守が名古屋へ参勤するために開いたのが駒塚道である。」となっています。写真左が駒塚道(別名竹鼻街道)、右が美濃路です。駒塚道は起とは別の渡しで木曽川を渡り、現在の羽島市竹鼻にある石河家の屋敷に至り、その後は大垣まで通じていたそうです。

駒塚道分岐
駒塚道分岐

そこからすぐにあるのが冨田一里塚。ここは道の両側に一里塚がほぼ原形を残して残る、珍しい場所です。冨田一里塚にはトイレも整備されています。

冨田一里塚南側
冨田一里塚南側
冨田一里塚北側
冨田一里塚北側

冨田一里塚を過ぎると、しばらくはあまり見るものもない歩きが続きます。やがて、日光川に近づくと、天神神社。この天神神社のあたりに、かつて天神の渡しがありました。かつて日光川は木曽川の主流の一つで、この辺りに渡し場があったそうです。江戸時代初期には川幅が細くなり、渡し場は廃止されました。

天神神社と天神の渡し跡
天神神社と天神の渡し跡

美濃路は日光川に沿って南に向かいます。小さな祠があるところが佐吾平遭難碑。由来を一宮市観光協会のサイトから紹介しましょう。

天保年間(1840年頃)に江戸参勤のため、明石藩主松平斉宣の行列が萩原宿近くを通りかかったとき、暴れ馬を取り押さえようと行列を横切った萩原宿の馬方「佐吾平」を先駆の武士が無礼打にした。佐吾平は吉藤村に生まれ、盲目の母によく仕えていた。孝行の誉れが高かったので、村人は佐吾平の死をいたみ、この地に小祠を建て、後世に伝えた。

一宮市観光協会のサイト
佐吾平遭難碑
佐吾平遭難碑

佐吾平遭難碑の先に市川房江生家跡があります。市川房枝(1893年- 1981年)は日本の婦人運動家の草分けで、参議院議員も務めた人です。現在は生家の建物は残っておらず、庭跡に灯篭などが見られるだけです。写真、奥の民家は関係がありません。

市川房江生家跡
市川房江生家跡

美濃路は日光川を渡り、いよいよ萩原宿へと入ります。

日光川
日光川

稲荷神社の鳥居を過ぎて、道が90度曲がると、その辺りからが旧萩原宿です。萩原宿は、旧街道の宿場町の香りを漂わせつつ、昭和の商店街という雰囲気の、萩原商店街となっています。本陣跡や問屋場跡がありますが、いずれも石碑があるのみで、往時を思わせる建物はありません。

やがて街道は正瑞寺の山門に突き当たります。そして直角に折れます。

正瑞寺山門
正瑞寺山門

その隣には、昔ながらの橋本屋。昔懐かしいお店です。昭和の昔はどこにでもこんなお店があったものですが。

萩原 橋本屋
萩原 橋本屋

レトロな萩原商店街歩きを楽しみましょう。

萩原商店街
萩原商店街

このコースの終点、名鉄萩原駅の手前には「高校三年生」を歌った舟木一夫ゆかりの地があります。当時の面影は全くありませんが。

舟木一夫ゆかりの地
舟木一夫ゆかりの地

集合場所

一宮駅のバスターミナルが集合場所です。ここから名鉄バスで起バス停へ向かいます。ゴールは名鉄萩原駅です。逆コースも無論可能です。

行程とコースタイム

このコースは起バス停から歩き始め、起宿の北の端の渡し場跡などを見学した後、美濃路を萩原駅まで歩きます。見学を含めて3時間ほどで、半日コースです。

昼食

コースの所々に喫茶店など、飲食店が点在しています。

トイレ

起バス停周辺にはトイレがありませんが、コース中の所々に公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

萩原宿の先、稲沢市の稲葉宿までを組み合わせて1日コースにすることもお勧めです。稲葉宿―萩原宿コースの案内はこちら

一宮駅からのバスは、途中一宮市三岸節子記念美術館の近くを通ります。時間のある方は見学を。

Post Author: ガイドマスター