今やひなびた山村の旧木曽街道善師野宿から、木曽街道を歩き、途中土田城跡などに立ち寄り、木曽川沿いを中山道経由で太田宿まで歩く変化のあるコース。木曽川に沿った中山道の難所がどのような地形の場所であったのかよくわかります。車道歩きが多いコースです。
未舗装の山道は歩き始めてすぐの木曽街道石拾い峠の辺りと、土田城址への上り下りだけです。土田城址はかなりの急斜面ですから、あまり楽しむゆとりはありません。自然と農村を楽しめるのはハイキング・コースの前半です。
コースの見どころ
名鉄広見線善師野駅から歩き始めてすぐに、旧木曽街道に入ります。善師野宿の常夜灯が出迎えてくれます。
ここから集落の中を、山に向かって歩きます。木曽街道(江戸時代初期までは中山道)は峠越えの道です。
すぐに左側にあるのが禅徳寺。1474年創建の臨済宗妙心寺派の寺です。まだ中山道がなく、東山道だった頃からある寺院ですね。明治時代の作詞家で教育者だった堀澤周安(ほりさわ ちかやす)の菩提寺だそうですが、どなたなのかよくわかりません。
善徳寺を出てさらに山手に歩いていくと、左側に一里塚の石柱と、怖い顔をした馬頭観音像。
やがて犬山市のパンフレット「犬山たび街道の巻」に掲載されている蓑岩で、『尾張名所図解』にも載っているとか。古くから信仰の対象であった磐座と考えられています。
大洞池というため池の横を抜けると、道は広い登山道に入ります。ここからしばらくが東海自然歩道と木曽街道が重なる部分です。よく踏まれているものの石ころが多い道を登っていくと、石拾い峠。峠の名前を示す看板はありませんが、東海自然歩道の道標が複数立っています。左折すると、継鹿尾山を経て寂光院、犬山城方面への東海自然歩道。鳩吹山への縦走路も左折した先から分岐しています。
樹林の中を降りていくと、小さな道標が。「左犬山右つがお」と読めます。左は善師野を経て犬山へ至る旧中山道、右は峠を越えて寂光院のある継鹿尾への道、という意味でしょうか。
細い車道を下っていくと道はゴルフコースの間を抜け、西帷子、石原地区を抜けます。木曽街道時代には石原が休憩場所のようになっていたとか。
野菜の無人販売店が。この辺り、どこも同じような農家に見えるのですが、お客さんは誰でしょうか?ゴルフ客?
鳩吹山遊歩道への分岐があります。西可児駅とも道標に書いてありますが、ほとんどの人は車で来るのでしょうね。ここからの鳩吹山遊歩道は真禅寺というお寺を経るハイキング・コースのようです。
そしてコースが名濃バイパス(国道41号)に突き当たるあたりに、通称切通しの馬頭観音があります。
名濃バイパス(国道41号)の高架下を潜り抜けると、もう一つ鳩吹山への登山道入り口があり(土田からの鳩吹山登山コース案内はこちら)、その先にあるのが土田城跡です。土田城の案内板がいくつも出ており、迷うことはありません。ここは織田信長の実母、土田御前の出生地とも言われています。ただし土田御前に関しては異説もあるようです。
土田城跡のある山は標高172メートル。標高差は100メートルくらいですから大したことはないのですが、かなりの急斜面です。このハイキング・コース唯一の山登りらしい山登りの部分です。
頂上部は少し平坦になっていますが、とても大きな城郭を築けるスペースはありませんし、居住に向いているとも思えません。戦の時の砦だったのでしょうか。それとも出丸へ向かう一段下がった尾根の鞍部あたりに土田城の居住スペースがあったのかな。
土田城の急斜面を上り下りするのに、木を掴んだりして手が汚れたのですが、近くの大脇公民館に公衆トイレがあります。さらに歩き続けて土田宿に入ります。土田宿内のどの道が正確に旧木曽街道だったのかよくわからなかったので適当に歩いていくと古そうな石仏が。一見馬頭観音に見えますから、多分この道が旧街道だったようです。
大きな県道に出て、土田公民館の正面あたりにあるのが木曽街道(上街道)土田宿本陣跡・止善殿。土田宿の名残はほぼここにしかありません。止善殿という名は、初代尾張藩主徳川義直が宿泊した時に名付けたそうです。
続いて街道から少し外れ、白鬚神社を訪れます。土田宿本陣跡のすぐ先に鳥居がありますが、そこからとても長い参道が始まります。
白鬚神社は、940年、平貞盛がいとこである平将門の乱を平定する際に、近江の白髭神社に戦勝祈願をしたところ御告げを受け、土田城近くの大脇に猿田彦大神を祀ったのが始まりと伝えられています。なお白鬚神社が現在の場所に移ったのは、1570年、土田城の城下町整備の一環であったとされています。
白鬚神社の裏には県道84号線が通っており、左へ進んで中濃大橋を渡ると太田宿です。近道して太田宿の散策をしたい場合には中濃大橋コースがお勧めです。県道沿いには何軒か飲食店がありますが、この日はイタリア料理のグラディート(食べログで評判を見る)でランチにしました。
ここからは、木曽川との間に河岸段丘が広がっており、古そうな農村地域に道が網の目のように入っており、どこが旧街道なのかわかりませんでした。適当に進んでいくと弘法堂が。この先にも複数の弘法堂があり、「やけに多いなあ」と思っていたら、可児郡新四国八十八ヶ所というものがあり、1800年代に整備されたもののようです。
道をさらに進んでいくと八幡神社に出ます。八幡神社は土田八幡神社古墳の上に建っており、この周辺は八幡古墳群があります。かつては120基以上も古墳があったそうですが、現在残っているのは八幡神社周辺の数基のみとなっています。
八幡古墳群をさっと回ったら、土田渡多目的広場(取材時は工事中でまだ立ち入り禁止)に沿った道を東へ向かいます。そこにあるのが桜井の泉。藤原定家が歌に詠んだと言われていますので、東山道の頃からある泉でしょうか。
桜井の泉の北側にかつて大井戸の渡し(土田の渡し)があったとされています。取材の時は周辺が工事中で近づくことができませんでした。このあたりが1221年の承久の乱の折には、東山道を進んできた鎌倉方北条義時配下の武田信光、小笠原長清らと、後鳥羽上皇に付く京方の大内惟信らとの戦闘になり、京方が敗走したところです。
桜井の泉から坂を上って旧中山道に戻ると、すぐのところに土田の一里塚跡。旧中山道の一里塚です。この近くには例によって弘法堂もあります。
この辺りから木曽川にかかる太田橋にかけては、木曽川沿いにかぐや姫の散歩道など、遊歩道が続きますが、取材時は川べりの土田渡多目的広場が工事中で道がよくわからなかったため、しばらく中山道沿いに進み、津島神社のあたりから木曽川沿いの遊歩道に入りました。
この辺りが今渡の渡しがあった場所になります。対岸中央が美濃加茂市側の旧渡し場。左は化石林公園。
渡し場跡から階段を上がって中山道に戻る途中にはもう一つ弘法堂が。そしてその一角にあるのが錦江閣というお堂。説明も何もないので由緒がわかりませんが、中を覗くと素朴でちょっと不気味な石仏が。この辺りは泉もあり、昔は信仰の対象となっていた場のようです。
太田橋で木曽川を渡り、立ち寄ったのが化石林公園です。ここは木曽川の川渕から珪化木の林が発見され、保全されている場所です。珪化木は二酸化ケイ素(シリカ)化した木の化石のことです。化石林公園と道を挟んだところにあるリバーポートパーク 美濃加茂にはピザが食べられるDELTA-Cafe&Pizzaがあります。
化石林公園からこのハイキング・コースのゴール、美濃太田駅までは中山道太田宿を経て徒歩20分ほどです。
集合場所
名鉄広見線善師野駅が集合場所、出発点になります。ゴールはJR高山線美濃太田駅です。
行程とコースタイム
このコースは善師野駅から歩き始め4時間ほどです。大部分が舗装された道を歩きますが、土田城跡に急な山道があります。
昼食
善師野宿には飲食店はありません。土田宿、太田宿と美濃太田駅周辺に飲食店があります。取材の日はトラットリアグラディートでイタリアンをいただきました。
トイレ
歩き始めてしばらくの大洞池、途中の白鬚神社、終点近くのリバーポートパーク 美濃加茂と、太田宿沿いにトイレがあります。
持ち物と服装
土田城跡へ登るのであればトレッキングシューズを勧めます。登らないのであればスニーカーで十分です。
ハイキング適期
年中訪れることができますが、炎天下の歩きがあるので、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。
近隣の見どころ
健脚者であれば、土田から鳩吹山の往復を加えることもできます。