有松から桶狭間の戦い史跡巡り、大高緑地公園(ハイキング・コース)

評価 :3/5。

このコースは東海道池鯉鮒宿(知立)と鳴海宿の間に「間の宿」として作られた有松宿から、織田信長今川義元を討ち取った桶狭間の戦いの戦跡を巡り、間に大高緑地公園を散策するものです。歩行距離は約11kmです。


桶狭間の戦いの戦跡と言っても、特に史跡らしいものが残っているわけではなく、「ここが今川義元の陣」といった記念碑があるだけです。付近は宅地化が進んでおり、歩いていて楽しいコースとは言えません。ただ、一度歩いてみると、このあたりの複雑な地形がよくわかり、戦場となった理由や、今川義元が不意打ちを食らって敗れた理由もわかります。歴史好きなら一度は訪れたい場所ですが、歩く楽しみを目的とするコースではありません。

有松宿では有松絞を勉強したり体験したりできますので、時間がある場合はそうしたアクティビティと組み合わせるとよいかも。

コースの見どころ

名鉄有松駅から有松宿はすぐです。街並みの保存も良く、歩いていても楽しいのが有松です。絞り染めについて勉強できる有松・鳴海絞会館や、有松山車会館の見学がお勧めです。コロナで休館していることもあるようなので要注意です。

有松宿の景観
有松宿の景観

有松宿の中で東海道を離れ、高根山の上にある有松神社へと向かいます。有松神社へと至る坂が意外に急なので驚きます。このあたりは桶狭間の戦いに際して今川軍の先鋒、松井宗信が陣を置き、善照寺砦や中島砦方面の織田軍の動向を監視していました。高根山からは今でも眺望が良いですが、あたり一帯は都市化していて、かつての織田軍の砦を見つけるのは容易ではありません。

高根山からの眺望
高根山からの眺望

高根山から下りたら、桜がきれいだとされる地蔵池の脇を抜けて七ツ塚へ向かいます。七ツ塚は桶狭間の戦いの戦死者を地元の人が弔った塚で、元々は近隣の武路公園のあたりにあったそうです。

七ツ塚
七ツ塚

武路公園を通り、愛知用水の下を潜り抜けた名古屋短期大学のあるあたりが釜ヶ谷。中島砦を出た織田信長は一旦このあたりに潜み、おけはざま山に今川義元本人がいることを確認した上で、短大のある斜面を登り、突撃したそうです。斜面は信長坂と呼ばれているようです。

釜ヶ谷と信長坂
釜ヶ谷と信長坂

さていよいよ今川義元の本陣へ突撃です。おけはざま山は全面が宅地となっており、今川義元陣跡の碑も、民家の脇にあります。付近には戦跡を感じさせる風景は全くありません。

今川義元陣跡
今川義元陣跡

次に向かうのは今川義元が討ち取られたとされる場所、田楽坪という場所ですが、現在の桶狭間古戦場公園です。織田信長と今川義元の銅像が立っています。

織田信長・今川義元像
織田信長・今川義元像

このあたりからは、1953年にはっけんされたという、今川義元の墓石があります。合戦後に地元の人々が義元を弔ったものであろうと言われていますが、実際に作られた年代などは不明だそうです。

今川義元の墓石
今川義元の墓石

桶狭間古戦場公園から南に進むと大池の脇に瀬名氏俊陣所跡。瀬名氏俊は今川義元の家臣の武将で、義元に先立ちこの場所に布陣、その後大高城に向かったために、織田信長の奇襲の時はここにおらず、生き延びたそうです。

瀬名氏俊陣所跡
瀬名氏俊陣所跡

瀬名氏俊陣所跡の先にあるのが長福寺。ここで今川義元の首実検が行われました。首実検を行ったのは今川義元の茶坊主、林阿弥(りんあみ)で、林阿弥は後に義元の弔いのため、阿弥陀如来像を駿府から持参し、奉納したそうです。

今川義元の首実検が行われた場所
今川義元の首実検が行われた場所

次に向かうのは桶狭間神明社。ここは南朝の落武者が桶狭間を開墾し始めたころに創建されたようで、瀬名氏俊がここで先勝祈願のために奉納した酒桶が残っているそうです。

桶狭間神明社
桶狭間神明社

次に向かうのは大池の西側にある戦評の松。元々あった大きな松は伊勢湾台風で枯れてしまったそうですが、ここで瀬名氏俊が軍議を開いたそうです。

戦評の松
戦評の松

続いて向かうのは、桶狭間小学校の近くにある井伊直盛陣地跡。井伊直盛は女城主井伊直虎の父で、桶狭間の戦いで討ち死にしました。後に徳川家康に見いだされ、徳川四天王の一人となる井伊直政は、直盛の後家督を継いだ従弟、井伊直親の子です。

井伊直盛陣地跡
井伊直盛陣地跡

ここまでが桶狭間の史跡です。場合によってはここから名鉄有松駅へと戻っても良いですが、その場合、全行程は3時間あれば十分でしょう。

このコースは桶狭間の合戦にかかわる史跡をJR大高駅周辺でもう少し訪ねます。まずは住宅地を歩き、大高緑地公園を抜けます。大高緑地公園は大きな公園ですが、静かな樹下の道をお勧めします。

大高緑地公園こもれびの小径
大高緑地公園こもれびの小径

続いて向かうのが、1559年に作られた丸根砦です。かつては外堀があったそうです。航空写真で見ると、今でのその名残があるようです。織田軍の佐久間盛重が守っていましたが、桶狭間の戦いの直前に、大高城に物資を運ぶ徳川家康(当時は松平元康)に攻められ全滅しました。

丸根砦
丸根砦

丸根砦から西に向かい、JR線や川を越えます。津島社の横の道から大高城を目指します。

大高城の築城の記録は不明ですが、南北朝時代にはすでにあったようです。桶狭間の戦いの前には織田方の城であったものを今川方が奪取、のちの徳川家康が「兵糧入れ」を行ったことで名高い城です。今川義元が討ち死にしたときには徳川家康が大高城の守備に就いていました。家康は義元の死を確認すると退去し、再び織田方の城となりましたが、間もなく廃城となったそうです。江戸時代になると、1616年に尾張徳川家の家老、志水忠宗が城跡に屋敷を築き、明治になるまで志水家が暮らしていました。

大高城跡
大高城跡

大高城からかつて高札場があったが辻の秋葉社。ここからは大高駅方向へ常滑街道をたどります。

辻の秋葉社
辻の秋葉社

細い常滑街道を歩いていくと八幡社。八幡社は大高城内と個々の二か所に設けられています。江戸時代には武士が詣でるのが大高城内の八幡社、この地にあるのは町民が詣でる場所であったとか。

大高の八幡社
大高の八幡社

やがて道はJRの下をくぐります。そのすぐ先に常滑街道に面してある小さなお社が中之郷の津島社と秋葉社。周辺は鳴海と大高の間で江戸時代には栄えた場所だったとか。

中之郷の津島社と秋葉社
中之郷の津島社と秋葉社

津島社のすぐ先で常滑街道を離れ、南に見える丘陵を目指します。丘陵の上にあるのが鷲津砦跡織田信長が、今川との戦いのために築いた砦の一つです。今川方の手にあった鳴海城大高城との間を遮断するためだったと言われています。桶狭間の戦いでは、その前哨戦で今川勢に攻められ、守備していた織田信平、飯尾定宗・飯尾信宗父子らが全滅しています。砦跡は今では公園になっており、堀切や土塁跡らしきものも残っています。

鷲津砦跡
鷲津砦跡

鷲津砦からは、登ってきた道を戻ってJR大高駅を目指します。興味のある方は鷲津砦公園の散策路を抜けて少し南の長寿寺を訪ねても良いでしょう。知多四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所です。

JR大高駅は高架下の駅ですが、駅の東側には直接の入り口はありません。どこかJRの高架下を抜ける場所を通って、西側から入る必要があります。

大高駅のホームからは鷲津砦や、大高城が見えます。かつて織田、今川の両軍がどのように睨み合っていたか想像してみると面白いでしょう。

集合場所

名鉄有松駅集合です。ゴールはJR大高駅です。

行程とコースタイム

このコースは名鉄有松駅から歩き始め、4時間ほどでまわれます。大高緑地公園内を除くと、おおむね舗装道路です。

昼食

市街地を歩くので、あちらこちらに飲食店があります。有松ならば寿限無茶屋がお勧め。冬場なら味噌煮込みうどんをどうぞ。

大高緑地公園の西側には、カフェ スーリールカフェ パークコナモーレなどのカフェ系のお店がありますが、いずれもランチがいただけます。取材の日には1日限定25食の野菜たっぷりランチのあるカフェ スーリールを狙っていましたが、定休日でした。ちなみにコナモーレはベーグルサンドが有名です。

取材の日には大高城跡に近い和風レストラン 福島できしめんランチを頂きました。コストパフォーマンスは良いですが、正直、名古屋駅ホームのきしめんの方が上かな。

トイレ

名鉄有松駅を出ると、市街地を歩くことになるので大高緑地公園までトイレがありません。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

大高から常滑街道を通って東海道の鳴海宿に行けます。

Post Author: ガイドマスター