鳴海宿から常滑街道、徳川家康「兵糧入れ」の大高城、氷上姉子神社(ハイキング・コース)

名鉄鳴海駅から東海道鳴海宿を訪ね、そこから分岐する常滑街道周辺の史跡を巡ります。鳴海城、鷲津砦、丸根砦、大高城はいずれも織田信長の軍勢と、今川義元の軍勢が戦った桶狭間の戦いに関連する史跡です。氷上姉子神社熱田神宮と関係が深い歴史ある神社です。


都市化が進んでしまっている名古屋市内ですが、ぽつりぽつりの残る丘陵やその周辺には、古い時代の名残を見ることができます。旧常滑街道や大高城城下町の名残をたどりながら、消えつつある原風景を垣間見ることができます。

鳴海駅の西口を出て歩き始め、総延長は10.5㎞ほどです。大部分が舗装された車道ですが、所々で未舗装の山道が出てきます。4時間ほどで歩けるコースです。

コースの見どころ

まずは名鉄鳴海駅を出たら県道242号線で東へ橋を渡ります。そのすぐ先に交差するのが東海道の鳴海宿。鳴海宿には当時の面影はあまり残っていませんが、微妙な道のカーブなどは旧街道を思わせます。東海道を横切って先へ進むと鳴海宿の高札場。ただし、これは再現されたものだそうです。

鳴海宿高札場
鳴海宿高札場

高札場からすぐのところに天神社がありますが、この境内に鳴海城跡の案内があります。少し西に鳴海城跡公園がありますが、逆にそちらには案内板がありません。どうやら鳴海城は東西に長い城だったようで、天神社(あまつかみしゃ)から鳴海城跡公園までの一帯が城だったようです。

鳴海城跡の天神社
鳴海城跡の天神社

鳴海城跡公園の周辺には、土塁や堀跡らしい地形があるそうですが、実際のところよくわかりませんでした。確かに公園内には盛り土のような部分もありますが、公園整備によるものなのか、城の構築物なのか見ただけでははっきりしません。

鳴海城跡公園
鳴海城跡公園

鳴海城の簡単な歴史はこちらにまとめてあります。

鳴海城跡から、鳴海宿に戻ります。鳴海宿はかなり長い宿場だったようですが、このコースでの見学はかすめる程度です。鳴海宿本陣跡の案内板を見て先に進むと常滑街道の分岐です。右にカーブするのが東海道、左へ折れると常滑街道です。このコースは常滑街道へ進みます。

東海道鳴海宿常滑街道分岐
東海道鳴海宿常滑街道分岐

しばらくは退屈な車道歩きですが、鳴海八幡宮の前から旧道の面影を残す細い道に入ります。鳴海八幡宮には天然記念物になっている大きなクスノキがあります。

鳴海八幡宮のクスノキ
鳴海八幡宮のクスノキ

旧道をしばらく進んだら、南に見える丘陵を目指します。丘陵の上にあるのが鷲津砦跡。織田信長が、今川との戦いのために築いた砦の一つです。今川方の手にあった鳴海城と大高城との間を遮断するためだったと言われています。桶狭間の戦いでは、その前哨戦で今川勢に攻められ、守備していた織田信平、飯尾定宗・飯尾信宗父子らが全滅しています。砦跡は今では公園になっており、堀切や土塁跡らしきものも残っています。

鷲津砦跡
鷲津砦跡

公園の散策路を抜けて車道に出るとそこにあるのが長寿寺知多四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所です。

長寿寺
長寿寺

長寿寺から新幹線沿いの道路を少し南に下ると、また丘陵が見えてきます。その上にあるのが鷲津砦と同時、1559年に作られた丸根砦です。かつては外堀があったそうです。航空写真で見ると、今でのその名残があるようです。織田軍の佐久間盛重が守っていましたが、桶狭間の戦いの直前に、大高城に物資を運ぶ徳川家康(当時は松平元康)に攻められ全滅しました。

丸根砦
丸根砦

丸根砦を降りてJRの高架下をくぐると、そこは師崎街道。師崎街道は大高から知多半島の東側を通り、知多半島の先の師崎までの旧街道です。ちなみに常滑街道は知多半島の西側を通っています。師崎街道と常滑街道が交わる手前に喫茶ポプリという古い民家を使ったスリランカカレーを出すお店があり、惹かれましたが時間が早かったので通過。

常滑街道に戻るとすぐに大高城の旧城下町に入ります。いきなりそれなりに風情のある街並みです。

大高城城下町
大高城城下町

すぐに常滑街道は直角に折れますが、そこにあるのが辻の秋葉社。江戸末期に火除けとして建てられたそうですが、もともとこのあたりに高札場なども設けられていたとか。

辻の秋葉社
辻の秋葉社

さらに道を少し進むと大高城への登城口があります。わりに細い道です。

大高城の築城の記録は不明ですが、南北朝時代にはすでにあったようです。桶狭間の戦いの前には織田方の城であったものを今川方が奪取、のちの徳川家康が「兵糧入れ」を行ったことで名高い城です。今川義元が討ち死にしたときには徳川家康が大高城の守備に就いていました。家康は義元の死を確認すると退去し、再び織田方の城となりましたが、間もなく廃城となったそうです。江戸時代になると、1616年に尾張徳川家の家老、志水忠宗が城跡に屋敷を築き、明治になるまで志水家が暮らしていました。

大高城跡
大高城跡

大高城跡から常滑街道に戻ってさらに進むと、いきなり黒壁の古い大きな建物が。煙突らしきものも見えています。ここは萬乗醸造(ばんじょうじょうぞう)。醸し人九平次という有名な日本酒を作っているところで、フランスでも日本酒を作っているとか。

萬乗醸造
萬乗醸造

常滑街道は萬乗醸造の手前を右に折れますが、このコースは萬乗醸造を回り込むように北側の細い道を進みます。細く、微妙に曲がった道は古道のなごりでしょう。

南側に小高い丘(姥神山)がありますが、この中に鎮座するのが朝苧社(あさおしゃ)。熱田神宮の摂社の一つです。祭神は火上老婆霊(ひかみうばのみたま)だそうですが、これが誰であるのかはわかっていないようです。豪族尾張氏の娘で、日本武尊の妻で、草薙剣を祭った宮簀媛命(みやすひめのみこと)に縁の深いことは間違いなく、かつては近隣の氷上姉子神社の摂社だったそうです。

朝苧社に行くには、民家の土地と思われるところを抜ける必要があります。元々、姥神山には、日本武尊の東征に付き従った久米直七拳脛(くめのあたいななのつかはぎ)を祖とする久米氏の居館があったそうで、民家はそのご子孫かも。そうなると、古事記の時代(古墳時代)からつながる家系?!姥神山は明らかに地形に人手が加わっていますから、雑木林として放置される前はかなり状況が異なっていたのでしょうね。

朝苧社
朝苧社

ミステリアスな朝苧社を後にして、今は名古屋高速で分断されてしまった氷上姉子神社へと向かいます。氷上姉子神社の祭神は宮簀媛命です。かつて草薙剣は氷上姉子神社に祀られていたとされ、その後、熱田神宮ができてそちらに移されたとか。つまり氷上姉子神社は熱田神宮の前身ということになります。当初は現在の元宮の場所にあったものが690年から現在地にあるそうです。

氷上姉子神社
氷上姉子神社

氷上姉子神社には摂社がいくつかありますので、神明社、元宮の順に回ります。元宮はかつて宮簀媛命が暮らしていたとされる場所。

氷上姉子神社元宮
氷上姉子神社元宮

元宮から里へ下りていくと熱田神宮大高斎田、熱田神宮末社の玉根社などがあります。そこから車道を少し西に進むと寝覚の里の碑。ここは日本武尊と宮簀媛命が暮らしていたあたりだとか。

寝覚の里
寝覚の里

寝覚めの里からは斎山を目指します。斎山なんてまた、ミステリアスな名前ですが、この山頂には斎山稲荷神社があり、神社の本殿が建っているのが斎山古墳です。直径30mあまりの帆立貝式古墳とされていますが、神社のため、形を把握することは難しいです。ちなみに斎山稲荷神社には日本武尊命と宮簀媛命が祀られていますが、創建は1641年だそうです。

斎山古墳
斎山古墳

斎山の麓には大廻間池(おおはざまいけ)というため池があり、周辺は公園として整備されていますが、この一帯は大廻間池遺跡と総称される、弥生時代から古墳時代の遺跡の集中地だそうです。

大廻間池
大廻間池

大迫間池から常滑街道に戻る途中にあるのが名和古墳群(三ツ屋古墳)。古墳時代後期の円墳が三基確認されていますが、見られるのは1号墳だけです。

名和古墳群
名和古墳群

ここからは古代世界を後にして名鉄名和駅へと向かいます。これ以上の見どころは特にありませんし、常滑街道も風情をとどめていません。

集合場所

名鉄鳴海駅西口が集合場所、出発点になります。ゴールは名鉄名和駅です。途中にはJR大高駅があり、行程を二つに分けることも可能です。

行程とコースタイム

このコースは名鉄鳴海駅から歩き始め、見学を含めて4時間ほどです。一部に山道がありますが、ほとんどは車道です。

昼食

鳴海駅周辺をはじめ、コース中に数多くの飲食店があります。名和駅周辺の方が飲食店は少ないので、名和駅をスタートする逆順のほうがランチを探すにはよいかもしれません。取材の時は、名和駅へ向かう途中の洋食店ココロキッチンのランチをいただきました。日替わりを含めて5種類のランチがあり、パンが食べ放題です。

名和ココロキッチンのランチ
名和ココロキッチンのランチ

トイレ

駅構内をはじめ、あちらこちらの公園などに公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーあるいはハイキングシューズを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ