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堀秀村はまたの名を堀次郎といい、1557年ごろに近江に生まれた武将です。堀秀村は当初は中山道(当時は東山道)番場宿の北に位置する鎌刃城を居城としていました。
堀秀村は1570年ごろまでは浅井長政の家臣でしたが、長比城の城主だった時に、竹中重治(竹中半兵衛)の働きかけで織田信長に寝返りました。堀秀村は同じ年の姉川の戦いにも織田軍の先手として参戦しています。
もともと浅井家と堀家はどちらも京極家に仕える土豪で、同格でした。それが浅井氏がのし上がり、堀家は配下とされていたので、堀秀村には浅井長政に対してさほど忠誠心はなかったのかもしれませんね。
続く越前の朝倉攻めでは、堀秀村は木ノ芽峠城の守備につきますが、堀家家老の樋口直房が逃亡し、その責によって改易となりました。
その後堀秀村は豊臣秀吉、あるいは豊臣秀長に仕えていましたが、関ヶ原合戦の前年、1599年に没しました。
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