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玉城は関ヶ原にあります。

NHK「決戦!関ケ原 空からスクープ 幻の巨大山城」(2020年12月19日(土)放送)で取り上げられた玉城(たまじょう)の登山です。玉城は関ヶ原市(岐阜県)、関ヶ原の戦いの現場よりは滋賀県よりの、西側の山中にあります。

玉城は関ヶ原を通る幹線道路からはかなりそれた位置にありますので、まずは玉城の位置を確認してみてください。玉城の位置と経路をGoogle Mapで確認

地図でわかるように玉城は、関ケ原を流れる藤古川上流部の玉地区にあります。どうやら玉地区にあるので玉城と呼ばれるようになったようで、最も近い集落も玉です。

玉城への登山道は、玉地区と、峠を越えた南にある黒地川、大谷吉継陣跡があるあたりを結ぶ林道の途中にあります。峠から尾根伝いに登る道は城山遊歩道としてよく整備されていますが、短いとはいえかなりの急登です。

玉城へ至るハイキング・コースのマップはこちらにありますので、参考にしてください

写真は玉城への登山口にある道標、峠を越える林道は東海自然歩道になっています。

城山遊歩道道標
城山遊歩道道標

玉城への道を登り始めると、すぐに階段状の急登です。玉城のある頂上直下までかなりの急登が続きます。登山道脇には陸軍の石標が点々とあります。関ケ原にはかつて陸軍の訓練場があったようです。

玉城への登山道
玉城への登山道

玉城のある城山の山頂直下。山城なら通常大きな土塁があってもよさそうですが、主郭の周囲に目立った土塁はありません。

城山山頂にある玉城
城山山頂にある玉城

玉城の主郭からは、伊吹山はよく見えるものの、周囲に低い山がありますから、重要な関ケ原、東山道、北国街道などは直接見ることができません。地図で確認してみてください。玉城はかなり奥まったところにあることがわかります。

玉城からの風景
玉城からの風景

玉城の主郭は、東屋が建っているところからさらに奥に長く伸びています。

玉城の主郭
玉城の主郭

写真ではよく見えませんが、斜面を少し降りたところにある玉城の竪堀。写真奥に溝があります。

玉城の竪堀
玉城の竪堀

玉城に関する案内板。

玉城の説明
玉城の説明

関ケ原の玉城、2020年12月にNHKで放映された説には疑問があります。

岐阜県関ケ原の玉城は、2020年12月のNHKのテレビ番組「空から読み解く! 新説・関ヶ原 決戦!関ヶ原 〜空からスクープ 幻の巨大山城〜」までは、ほぼ知られていなかったのではないかと思います。

この番組では、関ケ原の西に位置する玉城は西軍が関ケ原合戦に備えて整備したもので、松尾山城菩提山城とで関ケ原を囲み、玉城には豊臣秀頼を入れる作戦だった、ということになっています。そして従来、南北朝時代から戦国時代にかけて作られた、とされる玉城は、西軍が大規模に手を入れたのではないか、という新説を提示しています。

現地を知っているものとしてはこの説はかなり疑問で、関ケ原を囲むのに松尾山城はわかりますが、菩提山城はかなり離れており、関ケ原を取り囲む機能があるとは考えにくいです。

また玉城も、関ケ原に兵が直接駆け下りられる位置にはありません。攻城戦になった場合、玉城のある山頂部には水場もありませんから、長期間籠城できるような城でもありません。

さらに玉城のある城山山頂部の曲輪は確かに広いですが、頂上付近の主郭が大きいと言っても、2万3万の兵を収容できるほどではありません。もっともこの点は松尾山城も同様で、小早川秀秋の全軍が松尾山の頂上付近に配置されたとは考えにくいです。

また玉城の主郭にされた広い部分は多分どちらかと言えば自然地形を利用したものかもしれず、関ケ原合戦直前に手を入れたものとは限りません。

玉城の頂上直下にある竪堀も、近隣に数多くある中世から戦国時代にかけての山城のものと比べて特に大きいとは言えません。関ケ原から琵琶湖周辺にかけては、数多くの山城が分布しており、玉城がさほど特別とは思えないということです。

また、玉城が戦闘を意識した城であれば、主郭よりも下の尾根上に、兵が詰める小規模な曲輪がいくつも作られるのが通例ですが、その痕跡については触れられておらず、玉城では頂上部の大きな曲輪以外にめぼしいものはありません。

むしろ戦国時代よりも古い時代の山城あとは、近隣の例を見ると、屋敷を兼ねて作られていたと思われるものも多くあります。関ケ原の玉城も、領主が住むところ(あるいは一時的に退避するところ)を意識して整備されていた、と考えるほうが良いように思えます。

また番組では、赤色立体地図を使って玉城のスケールが明らかになった、としていましたが、実際には過去の調査で実測されており、赤色立体地図が新たな発見をもたらしたとは言えません。視覚化した、というのは確かだと思いますが。