このコースは関ヶ原の西側を中心に歩くハイキング・コースです。総距離は12㎞あまり。歩く距離としても適当です。中山道歩きや東海自然歩道も一部に含まれます。玉城(たまじょう)跡のある城山に登る登山も、短距離ではありますがあります。玉城は2020年12月にNHKで放映された「空から読み解く! 新説・関ヶ原 決戦!関ヶ原 〜空からスクープ 幻の巨大山城〜」として紹介された、山城の跡です。NHKで発表された新説には個人的に懐疑的ですが。玉城は関ヶ原を見渡せない場所にありますから。
また、古代から戦国時代までの史跡が豊富です。古より重要な街道が通り、また国を二分する戦の場ともなった痕跡を、存分に訪れることができます。
JR関ヶ原駅から歩き始め、関ヶ原の戦いの西首塚や数多くの武将の陣跡を訪れます。さらに、壬申の乱にまつわる史跡や、不破の関の跡など、古代の史跡もあります。
玉城、不破の関コースの見どころ
JR関ヶ原駅から歩き始めてすぐに中山道に入りますが、完全に国道となっており、楽しくない部分です。関ヶ原宿の痕跡としても、脇本陣跡にあるそれらしい門くらいしかありません。
石柱にある至道無難禅師は、江戸時代前期に本陣の子として生まれ、後に臨済宗妙心寺派の高僧となった人だそうです(Myoshinji Temple in Kyoto)。
中山道である国道を歩いても面白くないので、一本南にある古い面影を残した道を歩きます。次のポイントは西首塚。東首塚と同じように関ヶ原合戦後に首実検を受けた西軍の将たちの首を葬った場所です。
西首塚に立ち寄ったら、国道の南側の裏道を更に進みます。次に訪れるのは京極高知・藤堂高虎陣跡。東軍の陣です。関ケ原中学校の校門を入ったすぐ右側にありますが、自由に入ることができます。
続いて、月見宮大杉という古い杉の木がある春日神社に、福島正則陣跡。福島正則は東軍で戦場に一番乗りしたとして有名です。これより西は西軍の武将の陣ばかりですから、ここが最前線でしょうか。陣跡はどこもほとんど一日滞在しただけの場所ですから、場所を示す石柱以外は何もありません。
その先で中山道に出ます。この辺りの中山道は国道と離れており、静かです。次に出て来る史跡は関ヶ原合戦を900年以上遡る672年の壬申の乱と、そのしばらく後の不破の関の遺跡、関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)です。なんと、民家の土地を指す案内があり、民家の庭先の踏み跡をたどった先にあります。下の写真、どう見ても個人所有の畑の中の史跡です。壬申の乱のときに大海人皇子がここにある石に兜をかけたとか。
沓脱石はすぐ近くの畑の中にあります。この周辺の平坦地一体が、不破の関の関庁がかつてあったところだとか。
不破の関跡はすぐ先です。長きにわたって存在していた関だと勝手に思っていましたが、壬申の乱が終わって、律令制度が作られた700年代初頭に設けられたものの、789年にはもう廃止されたとか。
詳細は近くにある不破関資料館で学べます。入館料が必要です。
さらに中山道沿いに進むと、戸佐々神社を左に見て藤古川(歴史上の名は関の藤川)を渡ります。この辺りも壬申の乱で両軍が睨み合った所だとか。
次の分かれ道あたりにあるのが矢じりの池(井)。浅い井戸のようですが、伝承によると壬申の乱のときに大友皇子の兵が、矢じりで掘った井戸だとか。藤古川が近いですから、なぜここに井戸を掘る必要があったのか疑問ですが。
さらに進むと中山道が県道の下をくぐる手前の草地に道標があり、「大友皇子首塚」とあります。標識に従うと大きな三本杉のところが史跡「自害峰の三本杉」。壬申の乱で敗れた大友皇子の首が葬られているとか。三本杉は市の天然記念物です。
弘文天皇とあるのは明治時代になってから付けられた名で大友皇子のことですが、実際に大友皇子が皇位に付いたことがあったかどうかは定かではないそうです。
中山道に戻ってさらに西に進むと、道は集落の中に入り、若宮八幡神社の参道が大谷吉継陣跡・大谷吉継の墓への道になっています。ここらあたりは自販機も大谷吉継。
若宮八幡神社は参道の途中をJRが横切っていて踏切があります。JRでここを通過するたびに「どこの神社だろう」と思っていましたが、若宮八幡神社でした。
通常の八幡神社の祭神は八幡神(応神天皇)、若宮が付くと応神天皇か仁徳天皇が祭神になる場合が多いですが、ここの祭神はどちらでもなく大友皇子です。壬申の乱との関係があるそうです。
尾根に上ったところで道を右にたどると松尾山眺望地。松尾山に陣取る小早川秀秋の動向を怪しんだ大谷吉継がここから監視したのでしょう。
来た道を引き返してしばらく進むと大谷吉継陣跡。例によって石柱があるだけです。
さらに進むと大谷吉継の墓。この墓は縁あって江戸時代になってから東軍の藤堂家によって造られたそうです。右の五輪塔が大谷吉継の墓で左は家臣で大谷吉継を介錯したと伝わる湯浅五助の墓。なぜ藤堂家が?なぜ湯浅五助の墓が?そのストーリーはこちら。
大谷吉継陣跡と大谷吉継の墓に上って来ているのが東海自然歩道。ここを下って林道に出ます。林道わきには「なぜこんなところに?」と思う公衆トイレが。
林道を右折して登っていくと、「クマに注意」の標識がたびたび出てきます。
玉城(たまじょう)登山
やがて峠状になったところが玉城のある城山への登山口。標識に従って登ると、玉城の本丸跡までは急登もありますが、整備されていて問題ありません。道沿いには城跡らしい構築物はほとんど見られません。ところどころに「陸軍」と書いた石標がありますが、第二次大戦まで陸軍がこの辺りを演習場にしていたとのこと。
城山の頂上付近に玉城があります。玉城は2020年12月にNHKで放映された「空から読み解く! 新説・関ヶ原 決戦!関ヶ原 〜空からスクープ 幻の巨大山城〜」において、関ケ原合戦で西軍が整備した城という説が出されましたが、ちょっと無理のある説かと思っています。
奥のほうに歩いていくと、竪堀もありますが、大規模な城の割に土塁の跡などが見られません。
玉城を見学して同じ道を降りてきたら、エコミュージアム関ケ原まで東海自然歩道をたどります。エコミュージアムで車道に出たら右折。逆方向に行くと関ケ原鍾乳洞があります。
歩いていくと道の左側に古い門の跡。見張りの歩哨がいるブース(立哨台)もあります。これはかつての陸軍の弾薬庫の跡とのこと。
しばらく車道を歩いてから山道に入り、藤古川ダムを渡ります。なかなか風光明媚です。
そのすぐ先に西軍の宇喜多秀家陣跡。
ここにある天満神社は、宇喜多秀家を祀るものかと思ったらそうではなく、普通に菅原道真を祀っているそうです。単に天満神社の周辺(天満山)に宇喜多秀家が陣を敷いただけだそうです。ちなみに宇喜田秀家は捕らえられ、江戸時代に入ってから八丈島に流され、そこで生涯を終えたそうです。
ここから同じ西軍の小西行長陣跡、関ケ原古戦場開戦地、島津義弘陣跡、徳川家康最後陣跡、東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡を経て、関ケ原駅へ戻ります。案内は「関ケ原合戦を巡る」コースと共通です。
集合場所
JR関ケ原駅が集合場所、出発点になります。
行程とコースタイム
このコースはJR関ケ原駅から歩き始め、見学を含めて5時間ほどです。車道、林道、山道が混じっています。
昼食
お弁当持参か、早めに切り上げて関ヶ原の町周辺でランチにしましょう。
トイレ
道中ところどころに公衆トイレがあります。
持ち物と服装
若干山歩きがあるので、そのようなスタイルを。靴はスニーカーよりもトレッキングシューズか軽登山靴がお勧めです。
ハイキング適期
年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。
近隣の見どころ
足を延ばせば石田三成の陣があった笹尾山へも行けます。頑張れば小早川秀秋が陣取った松尾山へも行けますが、往復最低2時間プラスになります。