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大谷吉継陣跡は、関ケ原の西端、山中地区にある若宮八幡神社の上の斜面にあります。当時の大谷吉継の陣は、空堀を張り巡らせた強固な陣だったそうです。

大谷吉継陣跡は、東軍に寝返る小早川秀秋が陣取った松尾山を見渡せる位置にあり、当初から小早川秀秋の裏切りを予想していたとも言われています。当時小早川秀秋は19歳、大谷吉継は推定35~40歳くらいだったそうですから、年齢を考えて当時を想像すると、時代劇で作られたイメージも変わるのではないでしょうか。

大谷吉継は関ケ原の戦いの10日前にここに入ったそうですから、関ケ原の戦いはそれなりに周到に計画されていた、ということでしょうか。その一方で小早川秀秋が関ケ原に入ったのは合戦の前日。そうなると、どうも大谷吉継が小早川秀秋の動きを予想してここに陣を敷いた、という説もちょっと疑問ですね。むしろ、大谷吉継の陣を狙って小早川秀秋が松尾山に陣取った、という順序の方が合っている気がします。

松尾山城をのぞむ
松尾山城をのぞむ

大谷吉継陣跡は石柱一本。空堀の跡もわかりません。大谷吉隆は吉継の別名です。

大谷吉継陣跡
大谷吉継陣跡

大谷吉継の墓は、大谷吉継陣跡を尾根伝いに登って行ったところにあります。