起宿 を訪ねるハイキング・コース ウォーキング・コース

美濃路 起宿から墨俣宿、墨俣城(ウォーキング・コース)

美濃路の起宿から墨俣宿の間には古い建物などの目立った史跡はほぼ残っていません。ほとんどが車道ウォーキングですが、木曽川や長良川を渡るときを除き、車の通りはとても少なく、静かな美濃路ウォーキングが楽しめます。ただし距離は15㎞以上ありますので、結構長いです。


美濃路の起宿から墨俣宿までは、木曽川、長良川などの大河やそれらの支流を渡るルートで、かつては水郷地帯でした。江戸時代には木曽川の流れが変わるなど、渡し場や街道のルートなどにも幾多の変遷があったと考えられます。

墨俣宿からは、一夜城として有名な墨俣城を見学し、その後JR穂積駅へと出ます。墨俣城の近く、祖父江公園には瑞穂市のコミュニティバス、みずほバス牛牧穂積線のバス停がありますが、1日5本のみで使い勝手は悪いです(みずほバスの時刻表はこちら)。墨俣宿近くには墨俣北バス停があり(安八穂積線)、こちらはJR穂積駅との間に1時間に1本ほどバスが出ています。

コースの見どころ

一宮駅からの名鉄バスの終点、起バス停で下車したら、しばらく起宿内の美濃路を通ります(起宿はこちらを参照)。木曽川を濃尾大橋で渡りますが、歩道は北側(上流側)だけにあります。

濃尾大橋と木曽川
濃尾大橋と木曽川

木曽川を渡るときをはじめ、起宿から墨俣宿の間は吹き曝しの場所を歩くことが多いので、伊吹おろしの吹く冬場は歩くのを避けたほうが良いでしょう。

木曽川を渡ると岐阜県、そこには起渡船場石灯台があります。

起渡船場石灯台
起渡船場石灯台

美濃路は木曽川の堤防をしばらく通るようですが、歩道がなく、車が多いところなので避け、堤防下の住宅街を歩きます。しばらく行くと、民家の古い門のところに「みぎいせみち」と書かれた道標が。変な場所にあるなと思ったら、もともとは木曽川堤防のあたりにあったものが移されたそうです。

「みぎいせみち」道標
「みぎいせみち」道標

静かな旧道を歩くと秋葉神社や地蔵堂が。このあたりは大浦という場所で、戦国時代に斎藤道三の息子、斎藤義龍織田信長が争ったあたりです。近くには大浦の寺砦跡(大浦城跡)もありますが、ルートからは少しそれます。

大浦の地蔵堂
大浦の地蔵堂

しばらく歩くと、羽島市立正木小学校がありますが、その脇に一里塚跡の看板。一里塚の名残は全くありません。その先には貴船神社。貴船神社は水の神様が祭られているはず。やはり水郷地帯ゆえでしょうか。

貴船神社
貴船神社

どことなく街道の風情を残す道を歩いていくと、右側に真宗大谷派の法啓寺。ここにはトイレがあります。

真宗大谷派 養耆山 法啓寺
真宗大谷派 養耆山 法啓寺

しばらく進むと、カネスエ正木店などがあるにぎやかな一角に入ります。カネスエの駐車場入り口付近にポツンとあるのが及が橋石灯籠。1826年のものだそうです。かつて、近くの足近川がよく氾濫したので、出水時の渡河の安全を祈るために建てられたそうです。もともとは堤防上にあったのがここに移されたそうです。

及が橋石灯籠
及が橋石灯籠

すぐに美濃路は名鉄竹花線を越えます。すぐわきに名鉄須賀駅があります。このコースは長いので、須賀駅かあるいはその北側にある南宿駅を利用して、半分に分けることも可と思います。

名鉄竹鼻線須賀駅
名鉄竹鼻線須賀駅

名鉄竹鼻線の線路を越えると川があります。ここはかつて及川と呼ばれており、及が橋という橋が架かっていた場所だそうです。かつて中世には鎌倉街道が1.6kmほど上流でこの川を横切っていて、その時にあったのが及が橋だったそうで、美濃路が整備された江戸時代に新たにかけられた橋の名前も及が橋となったそうです。

及が橋から見た及川
及が橋から見た及川

すぐに県道165号を越えて集落に入りますが、ここは南宿。宿場があったのかと思ったら、鎌倉街道時代の宿場だったそうです。そのすぐ先にあるのが親鸞聖人旧跡石碑。この少し北にある西方寺という寺に親鸞聖人が1235年に立ち寄られたことがあるのだそうです。当時は鎌倉街道がこの辺りを通っていました。

親鸞聖人旧跡石碑
親鸞聖人旧跡石碑

またこの辺りは、美濃路の時代に間の宿と呼ばれる休憩所があったそうです。起宿と墨俣宿の間は距離が長いため、ここで休息したのだとか。歩いてみると確かに長いですし、川をいくつも越えなければいけませんから当時は大変だったと思います。

この親鸞聖人旧跡石碑と道を挟んだところにある民家に、「行圓墓」と書いた石が。行圓は調べてみると、平安中期の天台宗の僧だとあります。ただ、墓所について記述している資料は見つけられませんでした。

行圓墓
行圓墓

この先で美濃路は県道141号を渡りますが、渡った先は区画整理事業が行われたため、かつてどこを美濃路が通っていたかはわかりません。水田の中の道を適当に選んで、すすむしかありません。美濃路は坂井の集落で再び現れますが、ここでは阿遅加神社に立ち寄ります。阿遅加神社は延喜式にも出てくる由緒ある神社で、日本武尊が祀られています。伝説によれば、伊吹山に向かう途中の日本武尊がこの地に立ち寄ったのだとか。

阿遅加神社
阿遅加神社

阿遅加神社の後ろは境川の堤防です。どうやら境川の自然堤防が古来から、重要な道として使われていたようです。境川の堤の上にも道がありますが、阿遅加神社から直接上がる道が見当たらないので、強引に斜面を登ってみました。

境川の堤
境川の堤

このあたりの境川の堤には桜の木が多いので、桜のシーズンに歩くのがお勧めです。

境川
境川

境川の堤を歩いていくと、再び親鸞聖人旧跡石碑が。ここから西方寺へと向かうのが鎌倉街道で、下から上がってくるのが美濃路、このあたりが鎌倉街道と美濃路の合流点です。

境川堤の親鸞聖人旧跡石碑
境川堤の親鸞聖人旧跡石碑

ここからはしばらく、境川の堤防上を歩きます。今はしっかりした堤防になっていますが、鎌倉街道や美濃路の初期にはもう少し低い自然堤防だったのではないでしょうか。

境川堤防上の美濃路
境川堤防上の美濃路

しばらく進むと、普明院という寺院の脇に一里塚跡。この日二つ目の一里塚です。

美濃路境川の一里塚
美濃路境川の一里塚

しばらくすると、美濃路は境川を渡ります。美濃路ができたころ、境川は小熊川と呼ばれていたそうで、この辺りは小熊川の渡しと呼ばれています。通常は渡し舟で渡るそうですが、大名などが通行する場合には舟橋をかけたそうです。

小熊川の渡し
小熊川の渡し

この後、美濃路は長良川を渡ります。現在は長良大橋で渡ります。長良大橋は両側に歩道がありますが、周辺は交通量が多いので要注意です。また、長良川堤防上の道を歩いて行かないと、橋を渡る道に上がれません。

長良大橋
長良大橋

長良大橋を渡り終えたら、信号で道の右側にわたります。歩行者が下へ降りる階段は、道の右側(北側)にしかありません。長良川に沿う用水路?沿いにあるのが明台寺。ここは西美濃三十三霊場の札所で、土岐悪五郎澤井宗白の墓もあるそうですが、その割には荒れているように見えます。

明台寺
明台寺

明台寺があるあたりは既に墨俣宿の一部で、寺町界隈と呼ばれているあたりです。

道をさらに進むと、墨俣宿本陣跡。ここには常夜灯もあり、墨俣宿の入り口となります。

墨俣宿本陣跡の常夜灯
墨俣宿本陣跡の常夜灯

墨俣宿内にはあまり史跡は残っておらず、かつての名残をとどめる建物も限られているようです。

墨俣宿
墨俣宿
墨俣宿脇本陣跡
墨俣宿脇本陣跡

しばらく墨俣宿を歩くと、津島神社・秋葉神社の小さな社殿が並んだところに、琉球使節団通行記念燈籠。寛政3年(1791)に使節団が美濃路を通った時の記念だそうです。

琉球使節団通行記念燈籠
琉球使節団通行記念燈籠

次に、美濃路の一本北側の通りにある夜城園遊郭跡に行ってみます。この辺りはかつて栄えた赤線地帯だったそうですが、いまはさびれ、朽ち果てようとする建物が名残をとどめていますが、史跡でもないし、いずれ姿を消しそうです。

夜城園遊郭跡
夜城園遊郭跡

次に墨俣城へ向かいます。豊臣秀吉が一夜で作った城として、一夜城の別名があります。犀川の向こうに天守閣がそびえています。ただこれは歴史資料館として建てられただけで、本来の墨俣城には天守閣はありませんでした。

墨俣城
墨俣城

発掘に基づく墨俣城の様子はこちら。資料館の内部の展示です。堀や土塁などをめぐらした中に、やぐらなどがいくつかあります。

墨俣城の復元模型
墨俣城の復元模型

資料館には、戦国時代のこのあたりの様子や、一夜城建設のいきさつなどが詳しく紹介されていて興味深いです。特に興味深かったのが当時のこのあたりの川の様子。これは大変な場所だったことがうかがわれます。

戦国時代の墨俣周辺
戦国時代の墨俣周辺

さてこのウォーキング・コースはここで終了。あとは最寄りのJR穂積駅に向かいます。徒歩だと45分ほど。タイミングが合えば北墨俣バス停などからバスに乗っても良いでしょう。

集合場所

一宮駅のバスターミナルが集合場所です。起行きのバスに乗ります。ゴールはJR穂積駅です。途中に名鉄竹鼻線・羽島線の須賀駅があります。

行程とコースタイム

このコースは名鉄バス起バス停から穂積駅まで歩きとおすと、約15.5㎞ほどになり、見学なども含めて5時間が必要です。穂積駅から墨俣北バス停までバスを利用すると、3㎞ほど短くなります。墨俣北バス停はバスの本数が少ないので、穂積駅から入る逆コースのほうがよいでしょう(安八穂積線)。

昼食

穂積駅周辺に車で途中には飲食店がほとんどありません(あっても閉まっていることが多い)。スーパーやコンビニでお弁当を買うことはできます。

トイレ

コースの前半にはトイレがありません。後半はところどころにコンビニや公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と冬の風が強い時期は避けるほうがよいでしょう。桜の木が途中多いので、桜の季節がお勧めです。

近隣の見どころ

Post Author: ガイドマスター

美濃路 起宿から萩原宿(ウォーキング・コース)

美濃路の一宮市内、木曽川の渡しがあった起宿から萩原宿までを歩くウォーキング・コースです。6kmくらいですから、見学を除いて2時間くらいあれば十分歩ける気軽なウォーキングです。起宿には古い建物がいくつか保存されていますし、一宮市尾西歴史民俗資料館も見学できます。


美濃路は旧中山道の垂井宿と、東海道の宮宿とを結ぶ脇往還です。東海道は宮宿と桑名宿との間で海を渡るために敬遠され、美濃路が発展したと考えられます。江戸時代には将軍上洛、朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中や象までもが美濃路を通りました。

木曽川べりにある起宿は、橋のなかった木曽川を渡る重要ポイントでもあり、また木曽川を使う水運の中心地にもなっていて、美濃路の中でも最もにぎわいのあったところではないかと思われます。

美濃路ウォーキング・コースの見どころ

起バス停
起バス停 一宮駅行きのバス、一宮駅からのバスはすべてここで発着で、道路の反対側にはバス停はありません

一宮駅からのバスの終着、起バス停は通称起街道が木曽川に突き当たる手前にあります。ここは起宿の中で、まずは木曽川沿いに街道を北上して、史跡を見学します。その後、折り返して南に下り、起宿の残りの部分を見て、萩原宿へと向かいます。

起宿の北端、このウォーキング・コースのスタート地点にあるのは人柱観音。物騒な名前で、その名の通り人柱に関する故事が元となっていますが、その後、濃尾大橋を建設する時の事故で無くなった3名の方を併せて弔っているとか。

人柱観音
人柱観音

人柱の話の元となったのは、敷地内にある、以下の「人柱観音縁起」の石碑に記してあります。

おこし東の 中島西に

人のとぼさぬ 火が見える

慶長の昔 伊奈備前之守 官命により 小信中之坊に宿泊し 起境の小信川口を突止め木曽本流の築堤の難工事に逢著した際 中之坊の門徒にて 小信の篤信の念仏行者なる与三兵衛は 報謝の一念より 慶長十六年盆夏中の第四日自から進んで 渦巻く濁流に身を沈めて人柱となり 遂に堤防堰止めを完成せしめた 以来雨の夜な夜なこの辺りから青白き 怪火飛んで 小信川を南に下り 西五城信行寺門前に消えた 信行寺は 右の工事完成と共に 小信中之坊が移転改称したものである 人々この 怪火を目撃して与三兵衛の魂魄が 中之坊の御本尊を思慕するのあまり 霊火と現れ小信から参詣するもの 世にこれを「与三の火」と言い伝え た 此度之が菩提を弔う為 人柱与光観世音菩薩を 現地に建立し 永 遠に彼が捨身の大業を後世に伝えんとするもの 与光は彼の法号である 

南無大悲与三

鎮もるや青田風

ちなみに 濃尾大橋架設の犠牲者

長野県人 岡庭金吾 宮崎県人 望月盛次 秋田県人 樫尾義雄 の三聖魂を小観音として建立合祀し共に 昭和三十二年九月二十八日開眼した

この人柱観音のすぐ南側にあるのが、起渡船場跡の一つ、定渡船場跡です。旧起宿には3つの渡船場があり、最も上流にあったものが定渡船場(じょうとせんば)、次が宮河渡(みやごうど)、そして最下流にあったものが船橋河渡(ふなはしごうど)と呼ばれていたそうです。

定渡船場跡
定渡船場跡

ここには金毘羅神社と、明治時代に建てられた立派な常夜灯が立っています。ちなみに明治時代にはまだ木曽川の渡しが使われていました。金毘羅神社は海上交通の守り神ですから、ここに祭られたものと思われます。

金毘羅神社と常夜灯
金毘羅神社と常夜灯

湊屋文右衛門

金毘羅神社の脇にはトイレがある駐車場があります。道路を挟んで反対側にある旧家が、旧湊屋文右衛門です。湊屋文右衛門は江戸時代の旧家で、起宿の渡し場の管理や、木曽川を使った交易にかかわっていた家のようです。湊屋文右衛門の公式ホームページには以下のようにあります。

定渡船場で渡し船の管理、運行を任されていたのが船庄屋ですが、その下に何人かの「船方肝煎」がいました。そのうちの一人が湊屋文右衛門です。渡し船を扱うだけでなく年貢米輸送にもあたっていました。早くから木曽川の舟運を利用して遠隔地との取引を行い、寛政年間(1789-1801)には「縞木綿を扱う仲買商」として成長しました。越前丸岡から糸を仕入れ、それを地元の機織りに売りさばき、織り上がった縞木綿を全国に売りさばいていたようです。

湊屋文右衛門の公式ホームページ
湊屋文右衛門邸
湊屋文右衛門邸

湊屋文右衛門邸の建築年は正確にはわかっていませんが、1864年以降に建てられたと推定されているそうです。江戸末期か明治初期でしょうか。現在は文化庁から有形文化財の指定を受けていて、茶店として経営しながら、建物の保全が図られています。かつては湊屋文右衛門邸が起宿のどん詰まりであり、ここより北に行く道はなかったそうです。

さて、起宿の中を美濃路に沿って南下していきましょう。まず、濃尾大橋に繋がる県道18号線の下をくぐって右側にあるのが天然記念物の加納邸のイブキ。駐車場に大きなイブキの木がぽつんと立っています。

加納邸のイブキ
加納邸のイブキ

イブキの木のすぐ先にあるのが大明神社。この辺りが旧宮河渡だそうですが、ここは常に使われていた渡船場ではなく、定渡船場でさばききれない大きな藩の大名行列などが通る時に使用されたそうです。

宮河渡跡
宮河渡跡 背景は大明神社

大明神社の境内にも大木があり、鳥居をくぐったすぐのところには天然記念物に指定された、起の大イチョウがあります。

起の大イチョウ
起の大イチョウ

バス停のある、通称起街道を木曽川のほうに向かうとすぐにあるのが、「史跡 起渡船場跡~船橋跡」です。船橋とは、川に船を並べて繋ぎとめ、その上に板を渡した一時的な橋です。美濃路ではここ木曽川のほか、長良川、境川、揖斐川で使われたました。将軍や朝鮮通信使などの特別な人たちの通行のためのみに用いられました。木曽川の船橋は全長850m、船の数は270艘あったそうで、日本で最大の船橋でした。

起宿船橋跡
起宿船橋跡

起街道を渡り、少し南に歩くと右側にあるのが起宿脇本陣の旧林家住宅。1720年から明治維新まで起宿で船庄屋を務めていたのが林家です。江戸時代の建物は濃尾大震災で倒壊し、現在の建物は1913年に母屋、その後他の建物が足されていったものです。国登録有形文化財に指定されており、隣接する一宮市尾西歴史民俗資料館の別館として管理されています。日本庭園もなかなか美しく、起宿では必見です。

旧林家住宅
旧林家住宅
旧林家住宅内部
旧林家住宅内部
旧林家住宅の日本庭園
旧林家住宅の日本庭園

旧林家住宅に隣接するのが、 一宮市尾西歴史民俗資料館。林家住宅も資料館も入館料は無料です。

一宮市尾西歴史民俗資料館
一宮市尾西歴史民俗資料館

一宮市尾西歴史民俗資料館の館内には起宿や美濃路の歴史に関する資料が展示されています。

起宿のジオラマ
起宿のジオラマ

資料館から少し南に行った辺りで、美濃路は次第に南東方向に向きを変えますが、ここは少し美濃路から離れて南への道をたどります。ほどなく西側にあるのが聖徳寺跡織田信長斎藤道三が初めて会見した場所として歴史上有名なところです。残念ながら寺は江戸時代初期には名古屋市に移転しており、織田信長と斎藤道三が会った場所には石碑があるだけです。

聖徳寺跡
聖徳寺跡

聖徳寺跡から少し南下し、美濃路に合流するために東に折れます。美濃路に合流する手前にあるのが中嶋家の碑。中嶋家というのは、一宮市萩原にある中嶋城にいた中世豪族です。中嶋氏が1221年の承久の乱の折に後鳥羽上皇の側に付いて幕府、北条義時北条政子の弟)と対峙し、敗れてこの地に逃れその後子孫が周辺に定住したという由来を示しているようです。史跡というわけではなく、中嶋家の子孫が記念のために碑を立てたもののようです。

中嶋家の由来碑
中嶋家の由来碑

なお、この地には豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)も立ち寄ったという碑がありますが、小牧・長久手の戦いの時に秀吉が聖徳寺に陣を置いたそうで、その頃立ち寄った可能性もあるようです。ただ、美濃路が整備される以前、この辺りは古代から尾張の国府があった稲沢あたりと、美濃の国府があった垂井辺りを繋ぐ道が通っていたはずですから、戦乱の時代に秀吉を始めとする武将たちが何度も行き来していた可能性は強いです。

道をしばらく進むと美濃路に出ます。そのまま南東方向に美濃路を進んでいくとあるのが追分(分岐点)。駒塚道との分岐を示す道標があります。一宮市観光協会のサイトによると、駒塚道は「美濃駒塚の殿様といわれた尾張藩の家老石河佐渡守が名古屋へ参勤するために開いたのが駒塚道である。」となっています。写真左が駒塚道(別名竹鼻街道)、右が美濃路です。駒塚道は起とは別の渡しで木曽川を渡り、現在の羽島市竹鼻にある石河家の屋敷に至り、その後は大垣まで通じていたそうです。

駒塚道分岐
駒塚道分岐

そこからすぐにあるのが冨田一里塚。ここは道の両側に一里塚がほぼ原形を残して残る、珍しい場所です。冨田一里塚にはトイレも整備されています。

冨田一里塚南側
冨田一里塚南側
冨田一里塚北側
冨田一里塚北側

冨田一里塚を過ぎると、しばらくはあまり見るものもない歩きが続きます。やがて、日光川に近づくと、天神神社。この天神神社のあたりに、かつて天神の渡しがありました。かつて日光川は木曽川の主流の一つで、この辺りに渡し場があったそうです。江戸時代初期には川幅が細くなり、渡し場は廃止されました。

天神神社と天神の渡し跡
天神神社と天神の渡し跡

美濃路は日光川に沿って南に向かいます。小さな祠があるところが佐吾平遭難碑。由来を一宮市観光協会のサイトから紹介しましょう。

天保年間(1840年頃)に江戸参勤のため、明石藩主松平斉宣の行列が萩原宿近くを通りかかったとき、暴れ馬を取り押さえようと行列を横切った萩原宿の馬方「佐吾平」を先駆の武士が無礼打にした。佐吾平は吉藤村に生まれ、盲目の母によく仕えていた。孝行の誉れが高かったので、村人は佐吾平の死をいたみ、この地に小祠を建て、後世に伝えた。

一宮市観光協会のサイト
佐吾平遭難碑
佐吾平遭難碑

佐吾平遭難碑の先に市川房江生家跡があります。市川房枝(1893年- 1981年)は日本の婦人運動家の草分けで、参議院議員も務めた人です。現在は生家の建物は残っておらず、庭跡に灯篭などが見られるだけです。写真、奥の民家は関係がありません。

市川房江生家跡
市川房江生家跡

美濃路は日光川を渡り、いよいよ萩原宿へと入ります。

日光川
日光川

稲荷神社の鳥居を過ぎて、道が90度曲がると、その辺りからが旧萩原宿です。萩原宿は、旧街道の宿場町の香りを漂わせつつ、昭和の商店街という雰囲気の、萩原商店街となっています。本陣跡や問屋場跡がありますが、いずれも石碑があるのみで、往時を思わせる建物はありません。

やがて街道は正瑞寺の山門に突き当たります。そして直角に折れます。

正瑞寺山門
正瑞寺山門

その隣には、昔ながらの橋本屋。昔懐かしいお店です。昭和の昔はどこにでもこんなお店があったものですが。

萩原 橋本屋
萩原 橋本屋

レトロな萩原商店街歩きを楽しみましょう。

萩原商店街
萩原商店街

このコースの終点、名鉄萩原駅の手前には「高校三年生」を歌った舟木一夫ゆかりの地があります。当時の面影は全くありませんが。

舟木一夫ゆかりの地
舟木一夫ゆかりの地

集合場所

一宮駅のバスターミナル2番乗り場が集合場所です。ここから名鉄バスで起バス停へ向かいます。ゴールは名鉄萩原駅です。逆コースも無論可能です。

行程とコースタイム

このウォーキング・コースは起バス停から歩き始め、起宿の北の端の渡し場跡などを見学した後、美濃路を萩原駅まで歩きます。見学を含めて3時間ほどで、半日コースです。

ウォーキング中の昼食

コースの所々に喫茶店など、飲食店が点在しています。

トイレ

起バス停周辺にはトイレがありませんが、ウォーキング・コース中の所々に公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ウォーキング適期

年中ウォーキングできますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

萩原宿の先、稲沢市の稲葉宿までを組み合わせて1日ウォーキング・コースにすることもお勧めです。稲葉宿―萩原宿コースの案内はこちら

一宮駅からのバスは、途中一宮市三岸節子記念美術館の近くを通ります。時間のある方は見学を。

Post Author: ガイドマスター