中山道 柏原宿から今須宿を経て関ヶ原宿
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大谷吉継陣跡から少し登ったところに大谷吉継の墓があります。右側の五輪塔が大谷吉継の墓石で、左側は部下の武将、湯淺五助の墓です。
関ケ原で負けた西軍の武将の墓が関ケ原にあるのは珍しいですが、さらに驚いたことに、大谷吉継の墓を作ったのは、東軍の藤堂氏でした。そこにはストーリーがありました。このストーリーを司馬遼太郎が「関ヶ原」という小説の中にも書いているそうです。
奮戦もむなしく、敗戦が濃厚となった時、打ち取られて病気の顔(ハンセン氏病と言われています)を見せるのを潔しとしなかった大谷吉継は、湯淺五助に指示して自害、五助に首を隠させます。その後藤堂高虎の甥、藤堂仁右衛門(藤堂高刑)に大谷吉継の首を隠している時に捕らえられた湯淺五助は、藤堂仁右衛門に自分の首を差し出す代わりに、主君大谷吉継の首のありかを秘するように頼みます。徳川家康は、湯淺五助の首を取った藤堂仁右衛門を詰問しましたが、仁右衛門は約束を守り、首のありかを家康に教えませんでした。家康は藤堂仁右衛門を褒め、槍を与えたそうです。
こうした因縁で、江戸時代に入ってから藤堂家はこの地に大谷吉継の墓を建てました。湯淺五助の墓は、大正時代に子孫によって建てられたそうです。
ちなみに藤堂仁右衛門は後に大坂夏の陣で討ち死にしています。
大谷吉継の墓の近くに「大谷吉継顕彰碑」という石碑が立っています。こちらは日本が戦争に突き進む昭和15年に立てられたもので、大谷吉継を武士の鑑として顕彰するものです。あと100年もしたら、この顕彰碑も時代を表す史跡になるのでしょうか。
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