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大友皇子首塚

壬申の乱で敗れた大友皇子は現在の滋賀県大津市の、瀬田あたりで自害したと伝えられますが、壬申の乱の激戦地であった岐阜県関ケ原には、大友皇子の首塚と伝えられる史跡があります。大友皇子の首は不破の関周辺にあった大海人皇子の陣に運ばれました。首実検を終えたのち、地元の人が大友皇子の首をここに葬ったとか。無論、史実であるのかどうかは確認するすべがありませんが。

場所は不破の関跡の近くですが、不破の関は壬申の乱の翌年に作られましたから、当時は何もなかった場所です。旧中山道沿いに案内標識が立っており、それに従って行くと自害峰と呼ばれる山の斜面に入ります。そこに目印として三本杉が植えられたそうです。現在ある木は千年以上の樹齢があるとは思えませんから、その後植えられたものでしょう。

三本杉自害峰の三本杉

自害峰の三本杉

自害峰の三本杉

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