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不破の関は岐阜県関ケ原町にある、旧東山道沿いにあった関所です。壬申の乱の翌年673年に、天武天皇(壬申の乱当時は大海人皇子)の命で畿内への出入りを監視するために設けられた三関の一つ。あとの二つは東海道の鈴鹿関と北陸道の愛発関(あらちのせき)です。不破の関ができた関ケ原周辺は、壬申の乱のおりには両軍が激突し、激しい戦いが行われた場所です。不破の関は長く存在したわけではなく、789年に閉鎖されていますから、100年ちょっとしか存在しなかったわけです。

かつて不破の関の庁舎があったあたり、現在は民家と農地になっています。兜掛石は壬申の乱のおりに、大海人皇子が兜をかけたと伝えられる石。

不破の関関庁跡と兜掛石
不破の関関庁跡と兜掛石

不破の関関庁跡の説明版。

不破の関関庁跡
不破の関関庁跡

現在の不破の関。

不破の関
不破の関
不破の関の案内
不破の関の案内

不破の関の内部には庭園が造られていて、数多くの記念碑があります。

不破の関
不破の関