タグ: しゃもじ塚
岐阜県内の中山道、垂井宿と関ケ原宿の間に野上という集落があります。ここの街道沿いにある野上の七つ井戸には、井戸の説明のほかに「しゃもじ塚」への案内が。
案内に従って細い道をたどると、踏切の手前に地域の人が作ったであろう案内が。毎年地元で供養しているそうです。公的には「しゃもじ塚」となっていますが、この看板を見ると地元では「おしゃもじ塚」と呼ばれているようですね。
そしてそこからほど近いJR東海道線の脇の樹下に、いくつかの古い小さな五輪塔が並んでいます。これが「しゃもじ塚」で、平忠常の墓とされています。
平忠常は平将門の孫で、平安時代の武将です。上総介などに任ぜられ、勢力を伸ばした平忠常は、やがて1028年に平忠常の乱として知られる反乱を起こします。1031年に追討使である源頼信に降伏し、出頭しました。捕縛された平忠常は京へ護送される途中、ここ野上で病に倒れます。哀れんだ村人がしゃもじに食事を載せて出すと、喜んで食べ、その後ここで亡くなったとか。首は京に送られたようですが、亡骸はこの地に葬られ、しゃもじ塚と呼ばれるようになりました。
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