福島正則陣跡 を訪ねるハイキング・コース ウォーキング・コース

松尾山から中山道今須宿・常盤御前の墓・不破の関(ハイキング・コース)

松尾山は関ケ原の南側にある標高300メートル弱の山です。古くから山城がありましたが、関ヶ原の戦いの折には小早川秀秋が陣を敷きました。このコースはJR関ケ原駅から歩き始め、松尾山を登り、山の反対側へ東海自然歩道をたどっておりて、中山道今須宿へと出ます。その後、常盤御前の墓などいくつかの史跡を見ながら、中山道を歩き、壬申の乱不破の関の史跡を訪れ、JR関ヶ原駅がゴールです。今須宿から柏原宿へと歩くコースもあります。

松尾山城跡から関ケ原をのぞむ
松尾山城跡から関ケ原をのぞむ

見どころの多いコースで、関ヶ原駅から1周6時間ほどかかります。

コースの見どころ

関ヶ原を出て、松尾山の登山口に向かいます。道中には「小早川秀秋陣跡」の案内標識が数多く出ていて迷うことはありません。新幹線の高架下をくぐったところにあるのが井上神社。この神社は壬申の乱の直後に創建されました。この辺りは藤古川の東で、壬申の乱のときには大海人皇子(天武天皇)の側についていました。そのため、井上神社の祭神は天武天皇になっています。

井上神社
井上神社

松尾山への登りはじめは未舗装ですが林道になっていて、歩きやすいです。

松尾山登山道
松尾山登山道

途中の尾根に登りつくところから、山道になり、ほどなく山の神が祀られています。

松尾山の山の神
松尾山の山の神

早春に松尾山に登ると残雪があることも。

早春に松尾山に登る
早春に松尾山に登る

関ヶ原の戦いの際に小早川秀秋が陣をしいた松尾山城。土塁や、虎口などの遺構が残っています。

松尾山城の主郭
松尾山城の主郭

松尾山城から見る早春の伊吹山。

松尾山城から見る早春の伊吹山
松尾山城から見る早春の伊吹山

松尾山主郭南側にある枡形虎口。

松尾山の枡形虎口
松尾山の枡形虎口

反対側に降りた麓の集落、平井はとても雰囲気があります。

坂口の集落
坂口の集落

集落内の聖蓮寺親鸞が立ち寄ったこともあるそうで、親鸞ゆかりの『八房の梅』で有名。

聖蓮寺『八房の梅』
聖蓮寺『八房の梅』

タイミング的にはこの辺りでランチになると思いますが、ランチが取れる数少ない場所がグリーンウッド関ヶ原というキャンプ場内にある喫茶・軽食今須宿です。

グリーンウッド関ヶ原
グリーンウッド関ヶ原

平井からは、途中曲線が急すぎて付け替えられたかつての名神高速道路今須カーブの脇を通り、のどかな道を歩いていきます。

今須宿には古い建物は残っていませんが、趣は残されています。

今須宿
今須宿

西美濃三十三霊場第18番札所 妙応寺には徳川家康の腰掛石が残されています。

妙応寺の徳川家康腰掛石
妙応寺の徳川家康腰掛石

妙応寺の裏手には墓地があり、平安時代の関ヶ原で水利に尽くした関ヶ原与一(藤原基清)のものとされる墓があります。ちなみに関ヶ原与一は1174年に牛若丸(後の源義経)に切り殺されたというストーリーがあります。

関ヶ原与一の墓
関ヶ原与一の墓

今須宿を出てすぐに今須一里塚跡。立派な塚がありますが、復元されたものだそうです。

今須一里塚
今須一里塚

国道を渡り、旧道を歩いているとやがて今須峠。ここで室町時代の権大納言一条兼良は「堅城と見えたり、一夫関に当たれば万夫すぎがたき所というべし」という言葉を残したそうです。

今須峠
今須峠

その次に出てくるのが常盤御前ゆかりの史跡。常盤御前の墓と、常盤御前を弔うために建てられた地蔵です。1183年に京に向かう源義経がこの地を通り、墓前に手を合わせたとか。真偽のほどは不明ですが。

常盤地蔵と常盤御前の墓の間に道標を兼ねた石像があります。「右聖蓮寺道」と読めます。確かに地図で確かめると、聖蓮寺への近道です。「見真大師」とあるのは親鸞のことだそうで、親鸞が聖蓮寺に立ち寄ったという故事に習った道標のようです。

見真大師の道標
見真大師の道標

やがて鶯の滝。5mほどの落差の滝で、この辺りは関ヶ原宿と今須宿の中間で、休息場が設けられていたとか。

鶯の滝
鶯の滝

山中若宮八幡神社は参道の途中をJRが横切っていて踏切があります。

若宮八幡神社
若宮八幡神社参道

若宮八幡という名のついた神社は日本に非常に多くあります。通常八幡神(応神天皇)が祀られていますが、関ケ原の藤下(とうげ)とここ山中の若宮八幡神社は祭神が異なっています。

壬申の乱の時、近隣の藤古川をはさんで大海人皇子大友皇子の両軍が対峙しました。大友皇子のいた川の西側、若宮八幡神社のある山中と藤下地区の住民は、大友皇子を支持したそうです。戦いの結果、大友皇子軍の負けとなりました。この地区の住民は大友皇子をこの神社に祀って霊を弔ったと伝えられています。このため、若宮八幡神社の祭神は大友皇子です。藤古川の東側にある井上神社には大海人皇子が祀られていて、対照をなしています。

若宮八幡神社
若宮八幡神社

若宮八幡神社から尾根に上ったところで道を右にたどると松尾山眺望地。松尾山に陣取る小早川秀秋の動向を怪しんだ大谷吉継がここから監視したのでしょう。その近くには大谷吉継陣跡。さらに進むと大谷吉継の墓がありますので、ここまで歩いてきてまだ登る体力と気力のある方はどうぞ。

さらに進むと大谷吉継の墓。この墓は縁あって江戸時代になってから東軍の藤堂家によって造られたそうです。右の五輪塔が大谷吉継の墓で左は家臣で大谷吉継を介錯したと伝わる湯浅五助の墓。なぜ藤堂家が?なぜ湯浅五助の墓が?そのストーリーはこちら

大谷吉継の墓
大谷吉継の墓

さらに進むと中山道が県道の下をくぐった後の草地に道標があり、「大友皇子首塚」とあります。標識に従うと大きな三本杉のところが史跡「自害峰の三本杉」。壬申の乱で敗れた大友皇子の首が葬られているとか。三本杉は市の天然記念物です。

弘文天皇とあるのは明治時代になってから付けられた名で大友皇子のことですが、実際に大友皇子が皇位に付いたことがあったかどうかは定かではないそうです。

さらに中山道沿いに進むと、藤古川(歴史上の名は関の藤川)を渡ります。この辺りも壬申の乱で両軍が睨み合った所だとか。

藤古川

次に出て来る史跡は関ヶ原合戦を900年以上遡る672年の壬申の乱と、そのしばらく後の不破の関の遺跡、関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)です。

まず、藤古川の河岸段丘のすぐ上にあるのが不破の関跡。不破の関は長きにわたって存在していた関だと勝手に思っていましたが、壬申の乱が終わって、律令制度が作られた700年代初頭に設けられたものの、789年にはもう廃止されたとか。

詳細は近くにある不破関資料館で学べます。入館料が必要です。

そのすぐ先、民家の土地を指す案内があり、民家の庭先の踏み跡をたどった先に関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)があります。下の写真、どう見ても個人所有の畑の中の史跡です。壬申の乱のときに大海人皇子がここにある石に兜をかけたとか。

不破の関関庁跡と兜掛石
不破の関関庁跡と兜掛石

大海人皇子が靴を脱いだという沓脱石はすぐ近くの畑の中にあります。この周辺の平坦地一体が、不破の関の関庁がかつてあったところだとか。

沓脱石
沓脱石

しばらく先、右側に見えるのが月見宮大杉。この古い杉の木がある春日神社に、福島正則陣跡福島正則は東軍で戦場に一番乗りしたとして有名です。これより西は西軍の武将の陣ばかりですから、ここが東軍最前線でしょうか。

月見宮大杉
月見宮大杉

このあと東軍の京極高知・藤堂高虎陣跡は関ケ原中学校の校門を入ったすぐ右側にありますが、自由に入ることができます。

京極高知・藤堂高虎陣跡
京極高知・藤堂高虎陣跡

あとは西首塚に立ち寄ることもできますが、JR関ヶ原駅へ戻るだけです。

集合場所

JR関ヶ原駅が集合場所、出発点になります。

行程とコースタイム

このコースはJR関ヶ原駅から歩き始め、見学を含めて6時間ほどです。途中松尾山の登山がありますが、東海自然歩道ですので整備されています。

昼食

関ヶ原を出ると、松尾山を越えた平井集落までレストランはありません。今須宿周辺にもありませんので、弁当を持参するか、平井集落周辺にある喫茶・軽食今須宿か、ANDANTEが選択肢です。ANDANTEは席数が少ないうえに金土日しか営業していませんので要注意です。

トイレ

関ヶ原駅前から、道中いくつかのポイントにトイレがあります。

持ち物と服装

軽登山を行います。冬や早春は雪のあることが多いので、軽登山靴か少なくともハイキング・シューズが必要です。それ以外の時期はスニーカーで大丈夫です。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

今須宿から柏原宿へと歩くコースもあります。

Post Author: ガイドマスター

関ヶ原古戦場と玉城、不破の関(ハイキング・コース)

このコースは関ヶ原の西側を中心に歩くハイキング・コースです。総距離は12㎞あまり。歩く距離としても適当です。中山道歩きや東海自然歩道も一部に含まれます。玉城(たまじょう)跡のある城山に登る登山も、短距離ではありますがあります。玉城は2020年12月にNHKで放映された「空から読み解く! 新説・関ヶ原 決戦!関ヶ原 〜空からスクープ 幻の巨大山城〜」として紹介された、山城の跡です。NHKで発表された新説には個人的に懐疑的ですが。玉城は関ヶ原を見渡せない場所にありますから。

また、古代から戦国時代までの史跡が豊富です。古より重要な街道が通り、また国を二分する戦の場ともなった痕跡を、存分に訪れることができます。


JR関ヶ原駅から歩き始め、関ヶ原の戦い西首塚や数多くの武将の陣跡を訪れます。さらに、壬申の乱にまつわる史跡や、不破の関の跡など、古代の史跡もあります。

コースの見どころ

JR関ヶ原駅から歩き始めてすぐに中山道に入りますが、完全に国道となっており、楽しくない部分です。関ヶ原宿の痕跡としても、脇本陣跡にあるそれらしい門くらいしかありません。

関ヶ原宿脇本陣跡
関ヶ原宿脇本陣跡

石柱にある至道無難禅師は、江戸時代前期に本陣の子として生まれ、後に臨済宗妙心寺派の高僧となった人だそうです。

中山道である国道を歩いても面白くないので、一本南にある古い面影を残した道を歩きます。次のポイントは西首塚東首塚と同じように関ヶ原合戦後に首実検を受けた西軍の将たちの首を葬った場所です。

関ヶ原西首塚
関ヶ原西首塚

西首塚に立ち寄ったら、国道の南側の裏道を更に進みます。次に訪れるのは京極高知・藤堂高虎陣跡。東軍の陣です。関ケ原中学校の校門を入ったすぐ右側にありますが、自由に入ることができます。

京極高知・藤堂高虎陣跡
京極高知・藤堂高虎陣跡

続いて、月見宮大杉という古い杉の木がある春日神社に、福島正則陣跡福島正則は東軍で戦場に一番乗りしたとして有名です。これより西は西軍の武将の陣ばかりですから、ここが最前線でしょうか。陣跡はどこもほとんど一日滞在しただけの場所ですから、場所を示す石柱以外は何もありません。

福島正則陣跡
福島正則陣跡

その先で中山道に出ます。この辺りの中山道は国道と離れており、静かです。次に出て来る史跡は関ヶ原合戦を900年以上遡る672年の壬申の乱と、そのしばらく後の不破の関の遺跡、関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)です。なんと、民家の土地を指す案内があり、民家の庭先の踏み跡をたどった先にあります。下の写真、どう見ても個人所有の畑の中の史跡です。壬申の乱のときに大海人皇子がここにある石に兜をかけたとか。

不破の関関庁跡と兜掛石
不破の関関庁跡と兜掛石

沓脱石はすぐ近くの畑の中にあります。この周辺の平坦地一体が、不破の関の関庁がかつてあったところだとか。

沓脱石
沓脱石

不破の関跡はすぐ先です。長きにわたって存在していた関だと勝手に思っていましたが、壬申の乱が終わって、律令制度が作られた700年代初頭に設けられたものの、789年にはもう廃止されたとか。

詳細は近くにある不破関資料館で学べます。入館料が必要です。

不破の関資料館

さらに中山道沿いに進むと、戸佐々神社を左に見て藤古川(歴史上の名は関の藤川)を渡ります。この辺りも壬申の乱で両軍が睨み合った所だとか。

次の分かれ道あたりにあるのが矢じりの池(井)。浅い井戸のようですが、伝承によると壬申の乱のときに大友皇子の兵が、矢じりで掘った井戸だとか。藤古川が近いですから、なぜここに井戸を掘る必要があったのか疑問ですが。

矢じりの池
矢じりの池

さらに進むと中山道が県道の下をくぐる手前の草地に道標があり、「大友皇子首塚」とあります。標識に従うと大きな三本杉のところが史跡「自害峰の三本杉」。壬申の乱で敗れた大友皇子の首が葬られているとか。三本杉は市の天然記念物です。

弘文天皇とあるのは明治時代になってから付けられた名で大友皇子のことですが、実際に大友皇子が皇位に付いたことがあったかどうかは定かではないそうです。

中山道に戻ってさらに西に進むと、道は集落の中に入り、若宮八幡神社の参道が大谷吉継陣跡大谷吉継の墓への道になっています。ここらあたりは自販機も大谷吉継

大谷吉継の自販機
大谷吉継の自販機

若宮八幡神社は参道の途中をJRが横切っていて踏切があります。JRでここを通過するたびに「どこの神社だろう」と思っていましたが、若宮八幡神社でした。

若宮八幡神社
若宮八幡神社参道

通常の八幡神社の祭神は八幡神(応神天皇)、若宮が付くと応神天皇か仁徳天皇が祭神になる場合が多いですが、ここの祭神はどちらでもなく大友皇子です。壬申の乱との関係があるそうです。

尾根に上ったところで道を右にたどると松尾山眺望地。松尾山に陣取る小早川秀秋の動向を怪しんだ大谷吉継がここから監視したのでしょう。

松尾山眺望地
松尾山眺望地

来た道を引き返してしばらく進むと大谷吉継陣跡。例によって石柱があるだけです。

大谷吉継陣跡
大谷吉継陣跡

さらに進むと大谷吉継の墓。この墓は縁あって江戸時代になってから東軍の藤堂家によって造られたそうです。右の五輪塔が大谷吉継の墓で左は家臣で大谷吉継を介錯したと伝わる湯浅五助の墓。なぜ藤堂家が?なぜ湯浅五助の墓が?そのストーリーはこちら

大谷吉継の墓
大谷吉継の墓

大谷吉継陣跡と大谷吉継の墓に上って来ているのが東海自然歩道。ここを下って林道に出ます。林道わきには「なぜこんなところに?」と思う公衆トイレが。

林道を右折して登っていくと、「クマに注意」の標識がたびたび出てきます。

やがて峠状になったところが城山登山口。標識に従って登ると、急登もありますが、整備されていて問題ありません。道沿いには城跡らしい構築物はほとんど見られません。ところどころに「陸軍」と書いた石標がありますが、第二次大戦まで陸軍がこの辺りを演習場にしていたとのこと。

玉城への登山道
玉城への登山道

城山の頂上付近に玉城があります。玉城は2020年12月にNHKで放映された「空から読み解く! 新説・関ヶ原 決戦!関ヶ原 〜空からスクープ 幻の巨大山城〜」において、関ケ原合戦で西軍が整備した城という説が出されましたが、ちょっと無理のある説かと思っています。

城山山頂にある玉城
城山山頂にある玉城

奥のほうに歩いていくと、竪堀もありますが、大規模な城の割に土塁の跡などが見られません。

玉城の竪堀
玉城の竪堀

玉城を見学して同じ道を降りてきたら、エコミュージアム関ケ原まで東海自然歩道をたどります。エコミュージアムで車道に出たら右折。逆方向に行くと関ケ原鍾乳洞があります。

エコミューミアム関ケ原
エコミューミアム関ケ原

歩いていくと道の左側に古い門の跡。見張りの歩哨がいるブース(立哨台)もあります。これはかつての陸軍の弾薬庫の跡とのこと。

玉の火薬庫営門と立哨台

しばらく車道を歩いてから山道に入り、藤古川ダムを渡ります。なかなか風光明媚です。

藤古川ダム湖
藤古川ダム湖

そのすぐ先に西軍の宇喜多秀家陣跡

宇喜田秀家陣跡
宇喜田秀家陣跡

ここにある天満神社は、宇喜多秀家を祀るものかと思ったらそうではなく、普通に菅原道真を祀っているそうです。単に天満神社の周辺(天満山)に宇喜多秀家が陣を敷いただけだそうです。ちなみに宇喜田秀家は捕らえられ、江戸時代に入ってから八丈島に流され、そこで生涯を終えたそうです。

天満神社
天満神社

ここから同じ西軍の小西行長陣跡関ケ原古戦場開戦地島津義弘陣跡徳川家康最後陣跡東首塚松平忠吉・井伊直政陣跡を経て、関ケ原駅へ戻ります。案内は「関ケ原合戦を巡る」コースと共通です。

集合場所

JR関ケ原駅が集合場所、出発点になります。

行程とコースタイム

このコースはJR関ケ原駅から歩き始め、見学を含めて5時間ほどです。車道、林道、山道が混じっています。

昼食

お弁当持参か、早めに切り上げて関ヶ原の町周辺でランチにしましょう。

トイレ

道中ところどころに公衆トイレがあります。

持ち物と服装

若干山歩きがあるので、そのようなスタイルを。靴はスニーカーよりもトレッキングシューズか軽登山靴がお勧めです。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。

近隣の見どころ

足を延ばせば石田三成の陣があった笹尾山へも行けます。頑張れば小早川秀秋が陣取った松尾山へも行けますが、往復最低2時間プラスになります。

Post Author: ガイドマスター