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杭瀬川の戦い

杭瀬川の戦いは、1600年の関ヶ原の戦いの前日に東西両軍の間で起きた小競り合い。大垣城にいる石田三成配下の軍勢が、島左近の策略で、美濃赤坂近くの岡山に本陣を置いた徳川家康軍を挑発して始まったもの。大垣と美濃赤坂の間にある杭瀬川周辺が戦場となったため、杭瀬川の戦いと呼ばれます。

杭瀬川の戦いは西軍の作戦勝ちで、東軍の野一色頼母(のいっしきたのも、または野一色助義)らが討ち死にしました。野一色頼母は、美濃赤坂宿の西、中山道沿いにある古墳に鎧兜を付けたまま葬られ、それ以来この古墳は兜塚と呼ばれているそうです。

兜塚
兜塚

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