寝物語の里 を訪ねるハイキング・コース ウォーキング・コース

中山道 柏原宿から今須宿を経て関ヶ原宿

このコースはJR柏原駅から中山道をたどり、柏原宿今須宿関ヶ原宿の三つの宿場を歩きます。この間の中山道は、江戸時代以前には東山道が通っており、壬申の乱から源平合戦、関ヶ原の戦いをまたぐ各時代の史跡が目白押しの、歴史が好きな方にはぜひお勧めしたい中山道歩きのルートです。


このルートの距離は8Km強です。険しい上り下りはありませんので、ゆっくり見学しながら歩いても4、5時間あれば十分です。

コースの見どころ

JR柏原駅を出て、よく整備された中山道を東に向かいます。中山道の柏原宿の宿場町の中心は駅より西側ですから、時間がある時は散策すると良いでしょう。

しばらく歩くと、歌舞伎の小栗判官ものなどに登場する照手姫の伝説がある、照手姫笠掛地蔵などがあります。

照手姫笠掛地蔵
照手姫笠掛地蔵

JR東海道本線の踏切を越えていくと、北側に新明神社の鳥居があります。ここが長比城などがある野瀬山の登山口。往復2時間くらいですから、健脚者はどうぞ。長比城跡へ登るコースはこちらで紹介しています。

長比城跡登山口
長比城跡登山口

やがて滋賀県と岐阜県(近江と美濃)の境にあるのが寝物語の里。解説によれば、ここにはいろいろな伝説があるようです。その一つが常盤御前にちなむもの。1159年平治の乱の後、源義朝を追ってきた常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話し声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」とか。また別のストーリーは静御前が登場し、「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」ともあります。

寝物語の里
寝物語の里

続いて、松尾芭蕉の句碑「正月も美濃と近江や閏月」。野ざらし紀行や奥の細道でも芭蕉はここを通っているようですが、この句はどうやらまた別の時のもの。

芭蕉句碑
芭蕉句碑

やがて国道を渡ると、今須宿の手間に車返しの坂。平安の頃、東山道時代の話でしょうか。

車返しの坂
車返しの坂

今須宿には古い建物は残っていませんが、趣は残されています。

今須宿
今須宿

西美濃三十三霊場第18番札所 妙応寺には徳川家康の腰掛石が残されています。

妙応寺の徳川家康腰掛石
妙応寺の徳川家康腰掛石

妙応寺の裏手には墓地があり、平安時代の関ヶ原で水利に尽くした関ヶ原与一(藤原基清)のものとされる墓があります。ちなみに関ヶ原与一は1174年に牛若丸(後の源義経)に切り殺されたというストーリーがあります。この墓石は明治時代に鉄道建設のおりに土中から発見されたもので、この地にずっとあったわけではありませんし、関ヶ原与一の墓という根拠もないようです。

関ヶ原与一の墓
関ヶ原与一の墓

今須宿を出てすぐに今須一里塚跡。立派な塚がありますが、復元されたものだそうです。

今須一里塚
今須一里塚

国道を渡り、旧道を歩いているとやがて今須峠。ここで室町時代の権大納言一条兼良は「堅城と見えたり、一夫関に当たれば万夫すぎがたき所というべし」という言葉を残したそうです。

今須峠
今須峠

その次に出てくるのが常盤御前ゆかりの史跡。常盤御前の墓と、常盤御前を弔うために建てられた地蔵です。1183年に京に向かう源義経がこの地を通り、墓前に手を合わせたとか。真偽のほどは不明ですが。

常盤地蔵と常盤御前の墓の間に道標を兼ねた石像があります。「右聖蓮寺道」と読めます。確かに地図で確かめると、松尾山の南側の平井にあり八房の梅で有名な聖蓮寺への近道です。「見真大師」とあるのは親鸞聖人のことだそうで、親鸞が聖蓮寺に立ち寄ったという故事に習った道標のようです。

見真大師の道標
見真大師の道標

やがて鶯の滝。5mほどの落差の滝で、この辺りは関ヶ原宿と今須宿の中間で、休息場が設けられていたとか。

鶯の滝
鶯の滝

山中若宮八幡神社は参道の途中をJRが横切っていて踏切があります。

若宮八幡神社
若宮八幡神社参道

若宮八幡という名のついた神社は日本に非常に多くあります。通常八幡神(応神天皇)が祀られていますが、関ケ原の藤下(とうげ)とここ山中の若宮八幡神社は祭神が異なっています。

壬申の乱の時、近隣の藤古川をはさんで大海人皇子大友皇子の両軍が対峙しました。大友皇子のいた川の西側、若宮八幡神社のある山中と藤下地区の住民は、大友皇子を支持したそうです。戦いの結果、大友皇子軍の負けとなりました。この地区の住民は大友皇子をこの神社に祀って霊を弔ったと伝えられています。このため、若宮八幡神社の祭神は大友皇子です。藤古川の東側にある井上神社には大海人皇子が祀られていて、対照をなしています。

若宮八幡神社
若宮八幡神社

若宮八幡神社から尾根に上ったところで道を右にたどると松尾山眺望地。松尾山に陣取る小早川秀秋の動向を怪しんだ大谷吉継がここから監視したのでしょう。その近くには大谷吉継陣跡。さらに進むと大谷吉継の墓がありますので、ここまで歩いてきてまだ登る体力と気力のある方はどうぞ。

さらに進むと大谷吉継の墓。この墓は縁あって江戸時代になってから東軍の藤堂家によって造られたそうです。右の五輪塔が大谷吉継の墓で左は家臣で大谷吉継を介錯したと伝わる湯浅五助の墓。なぜ藤堂家が?なぜ湯浅五助の墓が?そのストーリーはこちら

大谷吉継の墓
大谷吉継の墓

さらに進むと中山道が県道の下をくぐった後の草地に道標があり、「大友皇子首塚」とあります。標識に従うと大きな三本杉のところが史跡「自害峰の三本杉」。壬申の乱で敗れた大友皇子の首が葬られているとか。三本杉は市の天然記念物です。

弘文天皇とあるのは明治時代になってから付けられた名で大友皇子のことですが、実際に大友皇子が皇位に付いたことがあったかどうかは定かではないそうです。

さらに中山道沿いに進むと、藤古川(歴史上の名は関の藤川)を渡ります。この辺りも壬申の乱で両軍が睨み合った所だとか。

藤古川

次に出て来る史跡は関ヶ原合戦を900年以上遡る672年の壬申の乱と、そのしばらく後の不破の関の遺跡、関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)です。

まず、藤古川の河岸段丘のすぐ上にあるのが不破の関跡。不破の関は長きにわたって存在していた関だと勝手に思っていましたが、壬申の乱が終わって、律令制度が作られた700年代初頭に設けられたものの、789年にはもう廃止されたとか。

詳細は近くにある不破関資料館で学べます。入館料が必要です。

そのすぐ先、民家の土地を指す案内があり、民家の庭先の踏み跡をたどった先に関庁跡と兜掛石(かぶとかけいし)があります。下の写真、どう見ても個人所有の畑の中の史跡です。壬申の乱のときに大海人皇子がここにある石に兜をかけたとか。

不破の関関庁跡と兜掛石
不破の関関庁跡と兜掛石

大海人皇子が靴を脱いだという沓脱石はすぐ近くの畑の中にあります。この周辺の平坦地一体が、不破の関の関庁がかつてあったところだとか。

沓脱石
沓脱石

しばらく先、右側に見えるのが月見宮大杉。この古い杉の木がある春日神社に、福島正則陣跡福島正則は東軍で戦場に一番乗りしたとして有名です。これより西は西軍の武将の陣ばかりですから、ここが東軍最前線でしょうか。

月見宮大杉
月見宮大杉

このあと東軍の京極高知・藤堂高虎陣跡は関ケ原中学校の校門を入ったすぐ右側にありますが、自由に入ることができます。

京極高知・藤堂高虎陣跡
京極高知・藤堂高虎陣跡

あとは西首塚に立ち寄ることもできますが、JR関ヶ原駅へ向かうだけです。

集合場所

JR柏原駅が集合場所、出発点になります。JR関ヶ原駅がゴールですが、逆ルートでも構いません。

行程とコースタイム

このコースはJR柏原駅から歩き始め、見学を含めて4時間ほどです。見学のために中山道からそれる時を除き、すべて舗装道路です。

昼食

飲食店は柏原駅周辺と関ヶ原駅周辺に数軒、今須宿には奴笠というお店しかありません。弁当を持参するか、早目、遅めにどちらかの駅周辺でランチを取るのもお勧めです。

トイレ

道中は今須宿内に公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と降雪がある時は避けるほうが良いでしょう。関ヶ原は豪雪地帯です。

近隣の見どころ

長比城に登ると2時間プラスです。柏原宿周辺の史跡や、関ヶ原周辺の史跡を巡るのに少し時間を取っても良いかもしれません。

Post Author: ガイドマスター

関ヶ原の戦い 小早川秀秋陣跡松尾山から中山道今須宿・柏原宿(ハイキング・コース)

松尾山は関ケ原の南側にある標高300メートル弱の山です。古くから山城がありましたが、関ヶ原の戦いの折には小早川秀秋が陣を敷きました。このコースはJR関ケ原駅から歩き始め、松尾山を登り、山の反対側へ東海自然歩道をたどっておりて、中山道の今須へと出ます。その後、いくつかの史跡を見ながら、中山道を歩き、柏原宿、柏原駅がゴールです。

松尾山城跡から関ケ原をのぞむ
松尾山城跡から関ケ原をのぞむ

関ケ原合戦 小早川秀秋陣跡松尾山から中山道今須宿・柏原宿コース地図へのリンクはこちら

希望によっては今須宿・柏原宿へは行かず、松尾山を往復して関ケ原古戦場を巡るハイキングコースと組み合わせることも可能です。

コースの見どころ

JR関ヶ原駅を出て、松尾山の登山口に向かいます。道中には「小早川秀秋陣跡」の案内標識が数多く出ていて迷うことはありません。新幹線の高架下をくぐったところにあるのが井上神社。この神社は壬申の乱の直後に創建されました。この辺りは藤古川の東で、壬申の乱のときには大海人皇子(天武天皇)の側についていました。そのため、井上神社の祭神は天武天皇になっています。

井上神社
井上神社

松尾山への登りはじめは未舗装ですが林道になっていて、歩きやすいです。

松尾山登山道
松尾山登山道

途中の尾根に登りつくところから、山道になり、ほどなく山の神が祀られています。

松尾山の山の神
松尾山の山の神

関ヶ原の戦いの際に小早川秀秋が陣をしいた松尾山城。土塁や、虎口などの遺構が残っています。

松尾山城の主郭
松尾山城の主郭

松尾山主郭南側にある枡形虎口。

松尾山の枡形虎口
松尾山の枡形虎口

反対側に降りた麓の集落、平井はとても雰囲気があります。

坂口の集落
坂口の集落

集落内の聖蓮寺親鸞が立ち寄ったこともあるそうで、親鸞ゆかりの『八房の梅』で有名。

聖蓮寺『八房の梅』
聖蓮寺『八房の梅』

平井の集落から、今須宿に向かいます。

今須宿には古い建物は残っていませんが、西美濃三十三霊場第18番札所 妙応寺には徳川家康の腰掛石が残されています。

妙応寺の徳川家康腰掛石
妙応寺の徳川家康腰掛石

今須宿と柏原宿の間の最初の見どころは車返しの坂。平安の頃、東山道時代の話でしょうか。

車返しの坂
車返しの坂

続いて、松尾芭蕉の句碑「正月も美濃と近江や閏月」。野ざらし紀行や奥の細道でも芭蕉はここを通っているようですが、この句はどうやらまた別の時のもの。ややこしいですね。

芭蕉句碑
芭蕉句碑

芭蕉句碑に続いてはすぐに寝物語の里。岐阜県と滋賀県の県境をまたいでいます。解説によれば、ここにはいろいろな伝説があるようです。その一つが常盤御前にちなむもの。1159年平治の乱の後、源義朝を追ってきた常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話し声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」とか。また別のストーリーは静御前が登場し、「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」ともあります。

寝物語の里
寝物語の里

途中右側に長比城跡への登り口。長比城跡へ登るコースはこちらで紹介しています。

更に歩くと柏原宿に入り、歌舞伎の小栗判官ものなどに登場する照手姫の伝説がある、照手姫笠掛地蔵などがあります。車道ですが、交通量が少なく安全に歩けます。

照手姫笠掛地蔵
照手姫笠掛地蔵

集合場所

JR関ケ原駅前が集合場所となります。関ケ原駅から歩き始めます。

行程とコースタイム

このコースは関ケ原駅から歩き始め、休憩時間を含め5時間程度かかります。関ケ原から松尾山の登山口までは30分弱の車道歩きです。そこから松尾山に登り、反対側に降りる山道が2時間ほど。そこからところどころ見学しながら今須宿、柏原宿へと旧中山道を歩くのに2時間ほどかかります。

昼食

弁当持参がお勧めです。コース上に飲食店はありませんが、松尾山を下ったあたり少し離れてANDANTE、グリーンウッド関ヶ原にある喫茶・軽食今須宿、今須宿の車返しの坂近くの国道沿いにある奴笠などがあります。柏原駅の近くには三丁目キッチンという喫茶・軽食のお店があります。三丁目キッチンには昔懐かしい鉄板に卵を敷いたスパゲティなどがあります。

三丁目キッチン
三丁目キッチン

トイレ等

松尾山山頂付近に公衆トイレがあります。今須宿に公衆トイレがあり、その後は柏原宿までありません。

服装と持ち物

低い山ですから、本格的な登山の服装は必要ありません。暖かい時期はダニなどが出ますから、足を覆うズボンがお勧めです。

スニーカーでも大丈夫ですが、足首まである軽登山靴をお勧めします。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期と雪がある時は避けるほうが良いでしょう。関ケ原付近は数十センチの積雪になる時があります。

聖蓮寺『八房の梅』の開花は3月上旬からです。

近隣の見どころ

関ケ原古戦場や壬申の乱ゆかりの不破の関跡などがあります。関ケ原古戦場を巡るハイキングコースはこちら。今須宿から柏原宿に向かわず、関ヶ原宿まで中山道を通って戻るコースも取れます。

Post Author: ガイドマスター