瀬戸 陶磁器の里を訪ねる(ウォーキング・コース)

このコースは瀬戸物の語源となった陶磁器の町、愛知県瀬戸市の中心部を訪ねるウォーキング・コースです。瀬戸がどのように窯業を発展させてきたのかがわかるミュージアムや史跡をめぐるほか、陶磁器を購入できるショップも多くあります。


コースの距離は6㎞ほどで、短いですが、ミュージアムや陶器のショップに立ち寄るなどしていると、結構時間が取られます。

コースの見どころ

名鉄尾張瀬戸駅を出たら、瀬戸川を渡り、瀬戸蔵(公式サイト)に向かいます。瀬戸蔵は瀬戸市が運営する「産業観光」「市民交流」のための施設で、中に陶磁器を販売するお店や、瀬戸蔵ミュージアムがあります(瀬戸市の公式サイト)。

瀬戸蔵
瀬戸蔵

瀬戸蔵ミュージアムでまず迎えてくれるのはレトロな瀬戸電。当時の尾張瀬戸駅も再現されています。

瀬戸電
瀬戸電

瀬戸物づくりの工房の様子や、瀬戸の窯業の歴史などが展示されています。

瀬戸蔵ミュージアム
瀬戸蔵ミュージアム

瀬戸蔵ミュージアムから近いところにある瀬戸市新世紀工芸館。こちらはモダンアートの展示スペースで、入場は無料です。展示内容は随時変わります。

瀬戸市新世紀工芸館
瀬戸市新世紀工芸館

瀬戸市新世紀工芸館の前にお堂があり、「親子地蔵」とあります。由来はかすれていて読みにくいので、他のサイトから引用すると以下のようなストーリーになります。

尾張の国 瀬戸は良質な粘土や燃料となる赤松の木が多くあり、古くから焼き物の生産地として栄えてきました。

しかし、江戸時代、新しい技術が九州に伝わり今まで使われていた「陶器のうつわ」から「磁器のうつわ」が主流になると瀬戸の陶工はさびれていきます。加藤民吉は尾張藩の支援をうけ、瀬戸の窯で「磁器」の研究を重ねますが、九州の品質には及ばず、九州の技術を学びに出ます。

民吉は苦労して九州で有田焼などの技術を習得すると、尾張の国 瀬戸へ帰り、習得した技術を瀬戸に広め、瀬戸の窯業は復興します。

有田では鍋島藩の情報統制が厳しく、民吉は技術を学ぶために尾張出身であること、妻子があることを隠したと言われています。そして、窯元の娘と結婚し、技術を学ぶと、尾張瀬戸へ逃げるように帰ったと言われています。

有田に残された窯元の娘は、子どもをつれ、民吉を追って瀬戸へたどり着いたと言われています。しかし、民吉には実の妻子があることを知り、悲しんで親子心中したと言われています。

https://www.marylei.com/category/works/legend/index.html

身投げした母子を憐れんで親子地蔵を建てた、というストーリーのようですが、実際にはこれは事実ではなく、昭和の初めに上演された芝居のストーリーを元にしたものだそうです。なお加藤民吉は「磁祖」と呼ばれていますが、「陶祖」加藤四郎左衛門景正(通称 藤四郎)とは時代も違う全くの別人です。

親子地蔵
親子地蔵

瀬戸市新世紀工芸館の近くにある Art Space & Cafe Barrack。カフェとギャラリーを兼ねています。ランチはお手軽値段ですが、おいしいです。

Art Space & Cafe Barrack
Art Space & Cafe Barrack

次に訪ねたのは招き猫ミュージアム。レトロな建物に赤い大きな招き猫が目印です。中は撮影禁止です。

招き猫ミュージアム
招き猫ミュージアム

招き猫ミュージアムの近くにあるのが末広町商店街。ここもレトロ感あふれる商店街です。

末広町商店街
末広町商店街

末広町商店街を抜けて東のほうに静かな道を歩いていくと、窯垣の小径に至ります。窯垣は、使わなくなった窯の道具を使って作る壁などの総称で、昔はこの小道を通って陶磁器が運ばれていたそうです。常滑市の「やきもの散歩道」は多くの商店や飲食店がありますが、瀬戸の窯垣の小径には、そうしたものは全くなく、静かな道です。

窯垣の小径
窯垣の小径

両側の壁が不要になった陶器などで作られています。この辺りは小道が入り組んでいて、うっかりすると私道に入り込んでしまいます。

窯垣の小径
窯垣の小径

窯垣の小径が終わるあたりにある丘陵地帯が洞窯跡の杜。かつてはこの辺りに登り窯が3基あったそうです。

洞窯跡の杜
洞窯跡の杜

下の写真、手前が登り窯の一番下の部分。上に向かって段々が作られていたことがわかります。

洞窯跡の杜
洞窯跡の杜

窯跡の杜から下の車道は通称洞街道。ここに、瀬戸市の指定有形民俗文化財になっている登り窯、洞本業窯があります。その隣には窯横カフェというカフェがあり、お茶でもしようかと思ったら「完全予約制」と書かれていました。ランチのみの営業なのでしょうか。

窯横カフェ
窯横カフェ

こちらが洞本業窯。私有地なので、見学には注意が必要です。

洞本業窯
洞本業窯

続いて宝泉寺に向かいます。珍しいなまこ塀の山門があります。

宝泉寺
宝泉寺

宝泉寺で有名なのは陶製の十六羅漢像。本堂の奥にあります。また、陶彫の祖と呼ばれる渡辺幸平の墓があります。この陶彫がのちの瀬戸のノベルティグッズの礎となったとか。

宝泉寺の陶製十六羅漢
宝泉寺の陶製十六羅漢

続いて向かったのは瀬戸川を渡った対岸の丘陵にある陶祖公園。ここには陶祖加藤四郎左衛門景正(通称 藤四郎)を記念する陶器でできた陶祖碑があります。これは最近のものではなく、慶応年間の1867年に作られた陶製の碑で、この種のものとしては日本最大級とか。周囲には漢文を現代語訳した解説板があります。また陶祖碑に関する興味深い解説をご覧ください。

陶祖碑
陶祖碑

陶祖碑のある公園から斜面をおり、西に向かうと陶彦神社。ここにも陶祖 藤四郎が祀られています。

陶彦神社
陶彦神社

稲荷社を挟んた西側にあるのが深川神社。奈良時代771年の創建です。本殿の彫刻は文化・文政年間に諏訪の名工・立川和四郎が手がけたものだとか。

深川神社
深川神社

深川神社前の商店街は、昔ながらの門前町の風情です。

深川神社の門前
深川神社の門前

深川神社近くの法雲寺には、陶製の梵鐘が保存されています。これは戦時中に梵鐘を軍に供出したため、代わりとして陶器で作ったものだとか。果たしてつけるのでしょうか。

法雲寺の陶製梵鐘
法雲寺の陶製梵鐘

そして銀座通り商店街。商店街の中にも陶磁器を売るお店が何軒かありますし、飲食店もあります。

銀座通り商店街
銀座通り商店街

商店街から坂を上ったところにあるのが古民家の無風庵。瀬戸の陶芸の確立に大きな足跡を残した工芸家・藤井達吉ゆかりの草庵だそうです。もともとはこの地にあったものではなく、小原村(現在は豊田市)から茶室としてこの地に移築されたものだそうです。

無風庵
無風庵

無風庵の少し下にあるのが 古民家 久米邸。こちらは明治期の建物で、ギャラリーやカフェとして利用されているはずですが、コロナ禍のためか、営業している様子はありませんでした。

古民家 久米邸
古民家 久米邸

さて、瀬戸の見学はここまで。あとは陶磁器のお店を冷かしながら、尾張瀬戸駅へ戻ります。

集合場所

名鉄尾張瀬戸駅が集合場所、出発点になります。

行程とコースタイム

このコースは名鉄尾張瀬戸駅から歩き始め、見学を含めて4時間ほどです。ほぼすべて舗装された道を歩きます。

昼食

道中、特に街中には数多くの飲食店があります。

トイレ

道中は公衆トイレがあります。

持ち物と服装

街歩きの服装で大丈夫です。靴はスニーカーを勧めます。

ハイキング適期

年中訪れることができます。

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コメント

“瀬戸 陶磁器の里を訪ねる(ウォーキング・コース)” への1件のコメント

  1. […] 瀬戸 陶磁器の里を訪ねる(ウォーキング・コース) 投稿者 tanzan投稿日: 2022/01/102024/01/20カテゴリー まちあるきツアー […]