関連情報

ハイキング・コースの途中にある訪問地や見学対象などの一覧を以下に示してあります。各項目をクリックすると、各項目の説明と、該当するハイキング・コースが表示されます。

  • 松尾山
    松尾山は関ケ原の南にある山で、関ケ原合戦の折に西軍から東軍へ寝返ったことで有名な、小早川秀秋の陣として知られています。ただ、松尾山は小早川秀秋が陣を敷く以前に山城として使われていた記録があり、
  • 今須宿
    今須宿は現在の岐阜県関ケ原町にある中山道の宿場の一つです。東は関ケ原宿、西は柏原宿です。中山道以前にも東山道がこの地を通っており、古くから交通の要衝でした。ただ両隣の関ケ原や柏原ほどには史跡などはなく
  • 柏原宿
  • 聖蓮寺
    聖蓮寺は岐阜県関ケ原町、中山道の今須宿から少し逸れた松尾山の南西に位置する平井集落の中にある古刹です。親鸞聖人と関わりがあり、数多くの文化財が伝わっています。 聖蓮寺の鐘
  • 車返しの坂
    車返しの坂は旧中山道の今須宿と柏原宿の間、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にある、旧中山道の面影を残した坂道です。中山道が国道21号線と交差する脇にあり、石碑と車返地蔵尊があります。
  • 寝物語の里
    寝物語の里は、旧中山道、滋賀県と岐阜県、かつての近江と美濃の境です。国境を挟んで宿があり、国境を挟んだ宿に泊まった旅人が、寝ながら国を超えて話ができたところから、寝物語の里と呼ばれるようになっ
  • 妙応寺
    妙応寺は岐阜県最古の曹洞宗の寺で西美濃三十三霊場第十八札場です。妙応寺の創建は1360年、本尊は釈迦如来像です。 妙応寺のホームページによると、寺の由緒は以下のようになっ
  • 長比城跡
    長比城は中山道の柏原宿の北西側にある野瀬山(391メートル)の山頂付近にある戦国時代の山城。長比と書いて「たけくらべ」と読みます。「たけくらべ」は古くからこの辺り一帯を指す地名だったようです。
  • 須川山砦
    須川山砦は、長比城と尾根続き、すぐ近くにある山城です。長比城より規模が小さく、長比城と一体となった城郭の一部とも考えられます。 規模の小さな山城ですが、主郭を囲む土塁や小
  • 松尾寺山
    松尾寺山(まつおじやま)は標高503メートル、中山道の醒井宿の南にあり、かつて役行者が修行したと言われる山です。奈良時代には霊仙七ヵ寺の一つとして山頂の少し下に松尾寺が建立されました。この松尾
  • 松尾寺廃寺
    現在の松尾寺は醒井養鱒場の近くに小さな本堂がありますが、建立は8世紀と言われています。 松尾寺のホームページによると 寺伝によると、松尾寺は白鳳九年(6
  • 下丹生古墳
    下丹生古墳は滋賀県米原市下丹生にある古墳で、米原市指定の文化財になっています。以下、米原市のサイトからの抜粋です。 市内で唯一、横穴式石室内が見学できる古墳で、集落の上手東側
  • 天寧寺
    彦根 天寧寺 彦根の天寧寺は、彦根の城下町を一望できる高台にある曹洞宗の寺です。秋になると萩の花が咲くので、別名萩の寺とも呼ぶそうです。彦根の町もビルが多くなって、あまり良い眺望
  • 清凉寺
    清凉寺は彦根城の北東、石田三成の居城佐和山城があった佐和山の山麓にあります。東山と呼ばれる地域にあたります。京都にも有名な清凉寺(嵯峨釈迦堂)がありますが、彦根の清凉寺とは関係がありません。京
  • 大洞弁財天
    長寿院は彦根の東、佐和山山麓にある真言宗醍醐(だいご)派の寺院です。日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから大洞弁財天と呼ばれています。龍潭寺から歩いてすぐのところにあり
  • 佐和山城
    佐和山は彦根の東側、中山道の鳥居本宿との間にある標高232mの低山です。現在は私有地となっており、山麓の清凉寺や龍潭寺が所有しています。 この佐和山に、佐和山砦が築かれた
  • 彦根城
    彦根城は天守が国宝に指定されている5城の内の一つ。関ケ原の合戦後、初代彦根城主の井伊直政はまず佐和山城に入りました。しかし、和佐山城を嫌って新しい城を望むものの合戦の傷で1602年に死去。後を
  • 玄宮園
    玄宮園(げんきゅうえん)は彦根城に付随する大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の大名庭園です。庭園から眺める彦根城天守閣は最高ですし、秋の紅葉や冬の雪景色も素晴らしい庭園です。池の周辺は近江八景
  • 寂光院
    犬山の紅葉寺として知られる寂光院の正式名称は継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院、通称は継鹿尾観音です。654年に創建されたと伝えられる古刹。かつては織田信長も参拝したとか。真言宗智山派の寺院です。
  • 鵜沼宿
  • 太田宿
  • 岩屋観音
    岩屋観音は日本各地にありますが、この岩屋観音堂は岐阜県坂祝町の中山道沿いにあります。木曽川が作ったと思われる崖にお堂が作られ、旧中山道がその前を通っています。観音堂は桧皮茸の入母屋造りで、現存
  • 二ノ宮神社古墳
    現在は岐阜県各務原市となっている鵜沼宿。宿場町の北側一段高いところに二ノ宮神社があります。この神社は元々二ノ宮神社古墳という円墳の上に建てられたもの。二ノ宮神社古墳は古墳時代後期(6世紀後半)
  • うとう峠
    うとう峠は中山道の太田宿と鵜沼宿の間にある標高140mの峠です。太田宿のあたりでは木曽川沿いに進んでいる中山道も、うとう峠のあたりでは木曽川沿いが断崖になっているため道が作れず、この部分を山越
  • 善光寺岩屋善光堂
    善光寺岩屋善光堂は滋賀県のJR米原駅から徒歩20分ほどのところにある、岩脇山(いおぎやま)に作られた懸造りのお堂です。長浜観光協会のホームページには、以下のような説明があります。
  • 岩脇蒸気機関車避難壕
    岩脇蒸気機関車避難壕は滋賀県米原市の米原駅近く、岩脇山に残る、第二次世界大戦の戦争遺跡です。米原は東海道本線と北陸本線が分岐するところで、交通の要衝でした。米軍による日本本土に対する空爆が激しさを増す
  • 八講師城
    八講師城は、中山道の柏原宿の南側にある、霊仙山から繋がる尾根上にある城跡です。八講師は「はっこうし」と読むようです。かつて八講寺という寺があったという説もありますが、正確な語源はわかりません。
  • 高屋城
    高屋城は柏原の南側の尾根上、八講師城とは尾根続きの場所にある山城の跡です。高屋砦とも呼ばれ、築城の時期は八講師城よりも古い鎌倉時代とされていますが、詳細はわかっていないようです。
  • 梓河内
    梓河内は「あんさかわち」と読みますが、滋賀県米原市(旧坂田郡)、旧東山道・中山道沿いにある集落で、醒ヶ井と柏原の間にあります。壬申の乱で戦いが行われた地域にあり、梓川沿いに下流の梓地区と上流の河内地区
  • 照手姫笠掛地蔵
    照手姫傘掛け地蔵は中山道の柏原宿の東の外れ、今須宿側の道ばたにあります。地蔵尊が二体並んでいますが、右側の背の低いものが照手姫傘掛け地蔵だそうです。 照手姫傘掛け地蔵
  • 醒井養鱒場
  • 醒井宿
    醒井宿は滋賀県米原市にある中山道の宿場町です。柏原宿と番場宿の間にあります。宿場名や地名は醒井ですが、JR東海道線の駅名は醒ヶ井駅です。 宿場の中を街道沿いに地蔵川の清流
  • 醒井楼
    醒井養鱒場の周辺にはニジマスなどの川魚料理を出す飲食店が数軒あります。周囲に松尾寺や霊仙三蔵記念堂のある醒井楼はちょっと値段が高いですが、養殖されたニジマスなどのフルコース(懐石料理)が楽しめ
  • 霊仙三蔵記念堂
    霊仙三蔵記念堂は滋賀県米原市、醒井養鱒場の近くに立つお堂です。松尾寺や醒井楼を目印にすると良いでしょう。 霊仙は、日本人で唯一唐の皇帝から三蔵法師の称号を得た日本人です。
  • 龍潭寺
    彦根の東、佐和山の山麓にある龍潭寺(りょうたんじ)は、元々は遠江国井伊谷に開かれた臨済宗妙心寺派の寺院です。大河ドラマの主人公井伊直虎が出家した場所として有名になりました。彦根の龍潭寺は、井伊
  • 徳源院
    柏原清滝にある徳源院は弘安年間 (1278-88) に京極氏信が建立。この地にはまた京極氏の居館の柏原城もあったようです。京極氏代々の墓石が本堂の裏手に集められていることで有名です。なお徳源院
  • 清滝山
    清滝山は滋賀県米原市にあります。地図上で見るとJR東海道線が、柏原駅と醒ヶ井駅の間で大きく北側に張り出していて、近江長岡駅があるあたり、このJRの湾曲部分にある山です。標高は438.9mで、柏
  • 北畠具行卿墓
    北畠具行卿は、鎌倉時代後期の貴族で、後醍醐天皇の側近でした。後醍醐天皇が討幕のため起こした元弘の役は失敗し、後醍醐天皇は隠岐に島流しに。北畠具行卿は捉えられて、柏原周辺の豪族だった佐々木京極氏
  • 東山道
  • 観音山西国三十三所観音石仏
    観音山西国三十三所観音石仏は訪れる人もいない史跡で、多分、ここに並べられた石仏をぐるっと回ると、西国三十三所を巡礼したことになる、いわゆる写し霊場という仕組みかと思います。観音山がある場所は、
  • 定光寺
    定光寺は愛知県瀬戸市にある臨済宗妙心寺派の寺院です。創建は鎌倉時代の1336年に遡る古刹です。現在の本堂は南北朝時代1943年に建てられたもので国の重要文化財に指定されています。
  • 定光寺自然休養林
    定光寺自然休養林は、愛知県瀬戸市の北部にある丘陵地帯に設けられた森林公園で、全区域が愛知高原国定公園に指定されています。面積は723haと広大で、多くのハイキング・コースが設定されています。
  • 多度山
    多度山は三重県桑名市、養老山脈の南端に位置する山で標高は403mです。山といっても独立した峰があるわけではなく、養老山脈の端の眺望の良い一体が多度山と呼ばれています。頂上部にある多度山上公園まで林道で
  • 多度大社
    養老山脈の南端、多度山のふもとにある多度大社は、騎手が乗った馬が急な坂を駆け上がる、上げ馬神事で有名です。多度大社の起源は定かではありませんが、多度山中には磐座と思われる岩が多くみられるところ
  • 知多四国八十八ヶ所霊場
    知多四国八十八ヶ所霊場は、愛知県の知多半島にある。八十八ヶ所の寺院のほか、開山所と番外の寺院が10で、合計98札所から成っている。 伝えによれば、江戸時代中期の文化6年(
  • 野間大坊
    知多四国八十八ヶ所霊場では、野間大坊が第51番札所、大御堂寺が第50番札所となっています。この二つは真言宗豊山派に属する寺院で、同じ境内にあり、公式ホームページも一つです。併せて正式には鶴林山
  • 持宝院
    持宝院は名鉄内海駅に近い、真言宗豊山派(本山は奈良の長谷寺)に属する寺院。 知多四国第四十七番札所 持宝院本堂 知多四国第四十七番札所 持宝院庭園
  • 如意輪寺
    知多四国第四十六番札所の真言宗豊山派 井際山如意輪寺。なんとも明るい境内です。如意輪寺は通称中寺(なかでら)。本尊の如意輪観音は中寺の厄除け観音として知られているそうです。天文2年(1533)
  • 内田佐七家
  • 慈光寺
    知多半島内海の慈光寺は南知多三十三観音霊場の第二十九番札所です。慈光寺の墓地入り口には通称あごなし地蔵と呼ばれる地蔵があります。歯痛に効くと言われています。 木札には、尾
  • 猪鼻城跡
    猪鼻城という同名の城は日本に複数あるようですが、ここで紹介する猪鼻城は別名河内城、中山道沿い柏原宿と醒井宿との間にある梓河内(あんさかわち)集落の最奥部、尾根上にある猪鼻城です。猪鼻城の歴史に
  • 泉蔵院
    泉蔵院は内海の町の海岸近く、崖の上にある真言宗豊山派の寺院です。正式には屏風山泉蔵院。本尊は薬師如来と阿弥陀如来で、行基作という伝承があるようです。 知多四国第四十五番札
  • 南知多三十三観音霊場
    南知多三十三観音霊場は、昭和初期の1930年に始まった、西国三十三観音霊場の写し霊場のひとつ。札所は知多半島先端の、知多郡南知多町と美浜町に集中しています。 南知多三十三
  • 吉祥寺
    護国山 吉祥寺は曹洞宗の寺院です。知多四国八十八ヶ所霊場 四十九番札所で、1605年に開かれました。本尊は釈迦如来で、その他に行基作とされる秘仏の毘沙門天王像があります。 吉祥寺 知多四国霊場
  • 良参寺
    禅林山良参寺は知多半島の小野浦にある曹洞宗の寺院で知多四国八十八ヶ所霊場第48番札所。 知多四国八十八ヶ所霊場の他、知多直伝弘法 五十三番札所、知多百観音霊場 六十四番札
  • 瑞境寺
    祥雲山 瑞境寺は知多四国八十八ヶ所霊場第56番札所。 瑞境寺の創建は文禄元年(1592年)。現在の建物は宝暦七年(1757年)とされていますが、新しく見え
  • 密蔵院
    密蔵院の正式名は真言宗豊山派 鶴林山密蔵院。知多四国八十八ヶ所霊場第52番札所です。当初は大御堂寺(野間大坊)の一坊として建立され「宝乗坊」と名乗っていたのが、江戸時代に密蔵院となったそうです
  • 安養院
    鶴林山 安養院は真言宗豊山派の寺院で、知多四国八十八ヶ所霊場第五十三番札所。本尊は阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の三体です。 安養院はもともとは野間大坊の一院だったそう
  • おやすみ処まどか
  • 法山寺
    法山寺の正式名称は曇華山(どんげざん)法山寺。知多四国八十八ヶ所霊場第五十五番札所で、臨済宗天竜寺派に属するそうです。縁起に寄れば725年ごろに行基によって開かれたとか。本尊の御湯殿薬師如来も
  • 磔の松
    1160年に法山寺の湯殿で源義朝を討った長田忠致が、源頼朝によって磔の刑にされた場所です。 平家が滅び、源頼朝が権勢をふるうようになると、一時平家になびいた長田忠致父子は
  • 源義朝公墓所
    法山寺で入浴中に討たれた時、源義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と言い残したと伝えられます。このため義朝の墓には木刀が供えられています。ただしこの記述は『尾張名所図会』にだけあるそうで
  • 湯殿跡
    名鉄野間駅から10分ほど山手の方に歩いた先に法山寺があります。その先にあるのが1160年に源義朝が殺された湯殿の後とされる場所。源義朝は勧められて入浴した時に襲われ、殺害されたとされています。
  • 小川の関
    小川の関(こかわのせき)は旧東山道の関所。柏原宿から出て醒井宿方面に少し進んだあたりに案内板と石標がたっています。 「坂田郡志」に、稚淳毛両岐王(わかぬけのふたまたおう)の守
  • 柏原一里塚
  • 居醒の清水
    居醒の清水は醒井宿を流れる地蔵川源流の湧水の一つです。水源は他の湧水同様霊仙山とされています。加茂神社の直下から湧き出る名水で、「古事記」や「日本書紀」にも登場します。伊吹山の神との戦いで毒に
  • 醒井延命地蔵尊
    醒井宿内にある醒井延命地蔵尊(醒ヶ井地蔵尊)は鎌倉時代の石の地蔵尊で、270㎝の高さがあるそうです。地蔵堂の隙間から覗くだけでは、大きな地蔵であることくらいしか確認できませんが。「石像地蔵菩薩
  • 地蔵川
    中山道の醒井宿には地蔵川という清流が流れています。この川は南側にある霊仙山からの伏流水が一年を通して湧き出しており、水温も安定しています。水源には居醒の清水や十王水があります。水源が同じ醒井宿
  • 醒井宿資料館
  • 十王水
    十王水は中山道、醒井宿にある湧水です。平安中期に天台宗の僧浄蔵によりひらかれたとされています。そのため当初は浄蔵水と呼ばれていましたが、泉の近くに十王堂があったことから十王水と呼ばれるようにな
  • 西行水
    醒井宿にある西行水は西行が開いた水場、ということではないようです。西行が都から多分当時の東山道をたどって東国に向かう途中、立ち寄ってお茶を飲んだことから西行水と呼ばれるようになったようです。
  • 継鹿尾山
    継鹿尾山は愛知県犬山市にある低山。標高は273mです。山頂を東海自然歩道が通っています。さらに尾根伝いに鳩吹山方面へと続く登山道でもあります。 麓には紅葉で有名な寂光院が
  • 岡山烽火場
    岡山(丸山)烽火場(のろしば)はまた東軍の黒田長政・竹中重門の陣跡です。ここから東軍に対して開戦の烽火をあげたとされています。 岡山烽火場の解説 岡山烽火場
  • エコフィールド関ケ原
  • 笹尾山
    笹尾山は関ケ原を一望する、北国街道の北側にある低い山です。関ケ原合戦の折に、石田三成がここに陣を敷きました。それまでいた大垣城から石田三成が関ケ原になぜ移ったのかは謎ですね。
  • 島津義弘陣跡
    鹿児島からわざわざ関ケ原の合戦に参戦した島津義弘の陣跡。開戦地、激戦地のすぐ近くにあります。島津義弘も前日まで石田三成と共に大垣城にいました。 島津義弘陣跡
  • 小西行長陣跡
    関ケ原の合戦で小西行長が陣取ったのは、東山道と北国街道とに挟まれた北天満山の裾野。開戦の時には北天満山の頂上から西軍に向けたのろしを上げたそうです。 小西行長陣跡
  • 徳川家康最後陣跡
    当初、関ケ原の東側に陣を置いていた徳川家康ですが、戦況をよりよく把握するため?石田三成がいる笹尾山を臨めるこの地に陣を移したそうです。 徳川家康最後陣地
  • 東首塚
    関ケ原の合戦が東軍勝利で終わった後、徳川家康最後陣地の床几場で首実検が行われました。西軍の将の首は、東首塚と西首塚に分けて葬られました。東首塚には当時この地の領主であった竹中重門が、徳川家康の
  • 関ケ原宿
  • 関ケ原古戦場決戦地
    石田三成の陣があった笹尾山からさほど遠くないところに関ケ原古戦場決戦地はあります。近くには島津義弘陣跡もありますし、西軍はあまり敵に攻め込むことなく追い込まれたことがよくわかります。
  • 愛宕神社(養老)
    三重県桑名市、多度山のふもとにある愛宕神社(柚井愛宕神社)は、1616年に桑名藩主の松平氏が京都愛宕社の御霊を受けて、多度大社の第四別宮として寄進造営したのが始まりとされています。 多度駅から多
  • 岩村富田薬師堂
    岐阜県恵那市岩村町の富田地区にある薬師堂。1714年に建立された薬師堂の本尊の薬師如来は、眼病にご利益があると信仰を集めています。 [caption id="attachment_1876" a
  • 阿弥陀堂
  • 岩村城
    岩村城は岐阜県恵那市岩村にある山城。日本三大山城の一つとされる石垣が有名な城です。戦国時代に織田信長の叔母で、亡くなった城主、遠山景任の妻、おつやの方が実質的な助手を務め、女城主の城としても知
  • 岩村城城下町
  • 下田歌子勉学所
    岐阜県恵那市岩村(江戸時代は岩村藩)出身の下田歌子の元々の名前は平尾鉐というそうです。幕末近い1854年に岩村藩士の娘として生まれました。幼いころから勉学ができて神童と呼ばれたとか。
  • 大名墓地
    岐阜県恵那市岩村にある大名墓地(乗政寺山墓地)は、代々の岩村城主や、ゆかりの人の墓がある墓地です。岩村城の登城口近くにある岐阜県立恵那特別支援学校近くの山の斜面にあり、車道からは一段高くなった
  • 松浦軒
  • 永保寺
    虎渓山永保寺の正式名称は臨済宗南禅寺派虎渓山永保寺。景色が中国廬山の虎渓に似ているので虎渓山の山号が付けられたそうです。 岐阜県多治見市にある臨済宗の古刹で、その起源は鎌
  • 観音堂
  • 永保寺庭園
    永保寺庭園は岐阜県多治見市にある古刹虎渓山永保寺にある池泉回遊式と言われる庭園で、国指定の名勝です。永保寺を開いた夢窓疎石によって作られたとされています。ちなみに京都の西芳寺(苔寺として有名)
  • 多治見
  • 神言会多治見修道
    神言会(しんげんかい)多治見修道院(神言修道院)は岐阜県多治見市にあるカソリックの修道院です。神言会は名古屋の南山大学を作ったカソリックの会派だそうです。1930年(昭和5年)カトリック神言修
  • 本町オリベストリート
  • 虎渓公園
  • ながせ通り
  • 横河の古戦場跡
    古代不破道(のちの不破の関?)が置かれていた交通の要衝であった関ケ原周辺の地峡地帯は、壬申の乱の舞台としても有名です。壬申の乱は関ケ原の合戦のはるか昔で、日本書紀以外の記録も曖昧なため、記録上
  • 多和田城跡
    多和田城は、滋賀県米原市醒井の北、JR醒井駅から見える低い山の連なりであるかぶと山、別名兜黛山(とうたいさん)の山頂付近にある山城です。かぶと山は多和田の集落を取り囲むように北峰、中峰、南峰か
  • 壬申の乱
  • 横河の駅家跡
  • ストーンサークル
  • 多和田の風穴
  • 擴識学校の跡
  • 犬山城
    犬山城は愛知県犬山市、木曽川のほとりの小高い山の上に立つ平山城。別名白帝城。国宝に指定されていて、現存する日本最古の天守閣ともいわれています。 犬山城の歴史 1537年に織田信長の叔父、織
  • 犬山城下町
  • 有楽苑
    有楽苑は愛知県犬山市の犬山城近くにある日本庭園。庭園内に国宝茶室の如庵や、重要文化財の旧正伝院書院を有する、犬山に来たならぜひ訪れたい庭園です。重要文化財旧正伝院書院園内では、庭園を眺めながら
  • 如庵
  • 三光稲荷神社
    三光稲荷神社は愛知県犬山市、犬山城のある城山にあります。針綱神社の左側にある赤い鳥居が目印です。犬山城に登る石畳の道のすぐ脇にあり、犬山城に上るには三光稲荷神社を抜ける方が近道です。
  • 針綱神社
    針綱神社は愛知県犬山市、犬山城のある城山の麓にある神社で、からくり人形の付いた山車で有名な犬山祭りは、針綱神社の祭礼です。犬山城の守護神として考えられています。針綱神社の公式ホームページはこち
  • 犬山祭り
  • 岩井本店
  • さくら茶屋
  • あいや本店
    あいや本店は、1888年創業の愛知県西尾市にある茶舗です。株式会社あいやの自社工場で作った抹茶や、抹茶を使ったスイーツが楽しめます。西尾駅からは少し離れていますが、機会があれば訪ねてみたいとこ
  • 西尾城
  • 紅樹院
    紅樹院は当初天台宗の寺院として開山しましたが、大永年間(1521~28)に徳川家康の伯母於久の方(隨念院殿桂室泰栄大姉)を弔うために浄土宗に改宗したと伝えられます。 紅樹
  • 実相寺
    西尾市にある実相寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。西条城主であった吉良氏の菩提寺です。足利(吉良)満氏が1271に建立したと伝えられ、三河の安国寺として栄えました。その後、戦国時代には今川氏との繋
  • 犬山七福めぐり
    犬山七福めぐりは、犬山の観光振興を目的に設けられた霊場巡り。犬山駅や犬山遊園駅周辺の七ヶ所の寺社を周ると、それぞれの寺社で特別な犬山七福めぐり御朱印が貰えます。犬山七福めぐり専用の御朱印帳は犬山駅にあ
  • 犬山神社
    犬山神社は犬山城のある城山の麓、三光稲荷神社から道を渡ったところにあります。三光稲荷神社や隣接する針綱神社が人にあふれているのに対して、犬山神社はひっそりとしています。
  • 西の薬師
    柏原の西の薬師として知られる泉明院。伝教大師ゆかりの寺とされています。 西の薬師泉明院 山門と本堂 西の薬師泉明院 本堂 西の薬師泉明院 解説
  • 佛心水
    佛心水は中山道の醒井宿近く、一色地区にある井戸です。かつて旅人ののどを潤すために設けられたものだとか。醒井の数多い水源が近くの中山道沿いにありますから、なぜここに水場が必要だったのかはちょっと
  • 関ケ原古戦場開戦地
    関ケ原古戦場開戦地は現在では小西行長陣跡にちかい北天満山の麓にありますが、当初史跡の指定を受けた時には現在よりも300m南にあったそうです。300m南だと宇喜多秀家陣跡に近く、井伊直政が最初に宇喜多秀
  • 西美濃三十三霊場
    西美濃三十三霊場は江戸時代(文政4年)に一度開かれたものの、その後衰退してしまいました。地域おこしを目的に大垣市商工会議所が中心になり、昭和55年(1980年)に再興されたものです。
  • 西国三十三観音霊場
    西国三十三所(西国三十三観音霊場)は、当初養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人によって開かれました。なんでも病に倒れた時に死の淵を彷徨い、閻魔大王から三十三の宝印を授かったとか。その後
  • 王子神社と王子古墳
    柏原宿から西の薬師に向かう途中、名神高速道路わきにある王子神社の祭神は応仁天皇の皇子である稚淳毛両岐王(ワカヌケフタマ)皇子です(稚野毛二派皇子という表記もあり)。古墳に埋葬されているのも稚淳
  • 番場宿
  • 西尾市歴史公園
  • 尚古荘
  • 旧近衛邸
    西尾城跡の西尾市歴史公園内にあるのが旧近衛邸。数寄屋風造りの建物で、なぜこの地にと思ったら、昭和60年に京都から西尾市へ移築されたものだそうです。江戸末期に島津家によって建てられたもので、書院
  • 順海町通り
    愛知県西尾市は三河の小京都と呼ばれているそうですが、実際に訪れてみても、京都を感じるような場所はほとんど残っていません。その中で唯一「ここは」と思えたのがこの順海町通り。
  • 伏見宿
  • 猿啄城展望台
  • 不破の関
    不破の関は岐阜県関ケ原町にある、旧東山道沿いにあった関所です。壬申の乱の翌年673年に、天武天皇(壬申の乱当時は大海人皇子)の命で畿内への出入りを監視するために設けられた三関の一つ。あとの二つは東海道
  • 西首塚
    関ヶ原の合戦が東軍勝利で終わった後、徳川家康最後陣地の床几場で首実検が行われました。西軍の将の首は、東首塚と西首塚に分けて葬られました。当時この地の領主であった竹中重門が、徳川家康の命を受けて
  • 玉城(関ヶ原)
    玉城は、関ケ原を流れる藤古川上流部の玉地区にあります。どうやら玉地区にあるので玉城と呼ばれるようになったようで、最も近い集落も玉です。 玉城への登山道は、玉地区と、峠を越
  • 京極高知・藤堂高虎陣跡
    京極高知・藤堂高虎陣跡は、現在では関ケ原中学校の敷地内にあります。中学校の入り口の門から入るとすぐ右側にあり、公開されていますので自由に入って見学することができます。京極高知・藤堂高虎は福島正則に続く
  • 福島正則陣跡
    福島正則陣跡は、関ケ原合戦時のものと、それ以前、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して佐賀県の名護屋城周辺のものと、二つありますが、こちらは関ケ原合戦時に東軍として参戦した時の福島正則陣跡。
  • 兜掛石
    兜掛石と沓脱石は、岐阜県関ケ原の不破の関関庁跡にあります。不破の関が作られる前年、壬申の乱のおりに大海人皇子がここで兜を石にかけ、靴を脱いだと伝えられています。思ったより大きな石で、兜の中にすっぽりと
  • 大友皇子首塚
    壬申の乱で敗れた大友皇子は現在の滋賀県大津市の、瀬田あたりで自害したと伝えられますが、壬申の乱の激戦地であった岐阜県関ケ原には、大友皇子の首塚と伝えられる史跡があります。大友皇子の首は不破の関周辺にあ
  • 大谷吉継陣跡
    大谷吉嗣陣跡は、関ケ原の西端、山中地区にある若宮八幡宮の上の斜面にあります。当時は空堀を張り巡らせた強固な陣だったそうです。 大谷吉継の陣は、東軍に寝返る小早川秀秋が陣取
  • 大谷吉継の墓
    大谷吉継陣跡から少し登ったところに大谷吉継の墓があります。右側の五輪塔が大谷吉継の墓石で、左側は部下の武将、湯淺五助の墓です。 大谷吉継の墓 関ケ原
  • エコミュージアム関ヶ原
  • 不破関資料館
    不破関資料館は岐阜県関ケ原町の不破の関跡に建てられた小さなミュージアムです。不破の関跡から出土した土器などの遺物、壬申の乱に関する情報や、不破の関を再現したジオラマなどが展示されており、壬申の乱から不
  • 藤古川ダム
  • 松平忠吉・井伊直政陣跡
    松平忠吉・井伊直政陣跡は、関ケ原駅の近く、東首塚に隣接してあります。 松平忠吉は徳川家康の四男で、関ケ原合戦には舅で家康に付き従う井伊直政の後見を受けて、参戦しました。関
  • 今渡の渡し場跡
    かつての中山道には三つの難所があると言われていました。中山道については「木曽のかけはし太田の渡し碓氷峠がなくばよい」と歌われていたそうですが、この太田の渡しが今渡の渡しのことです。
  • 多鞠庵
  • いがわ小径
    いがわ小径は郡上八幡にある、水辺の小道。水の町郡上八幡を代表する景観です。 いがわ小径は「郡上八幡旧庁舎記念館」のすぐ近くにあり、長良川の支流吉田川の水が、島谷用水に取り込まれて流れています。か
  • 郡上八幡城
    郡上八幡城は「日本最古の木造再建城」をうたっています(郡上八幡城オフィシャルホームページから)。 本来の郡上八幡城の起源は、戦国時代の1559年遠藤盛数が吉田川対岸の赤谷
  • 郡上八幡旧庁舎記念館
  • やなか水のこみち
    やなか水のこみちは岐阜県郡上市八幡、郡上八幡にあるポケットパーク的な空間。水の流れに沿って玉石を敷いた歩道が設けられています。玉石の数は八幡にちなんで八万個だとか。いがわ小径と並び、水の町、郡
  • 宗祇水
    宗祇水は岐阜県郡上市八幡、郡上八幡にある湧水で、白雲水とも呼ばれています。環境省が選んだ名水百選の第一号として選ばれたほか、岐阜県の史跡にも指定されています。 宗祇水とい
  • 大乗寺
    大乗寺という名の寺は日本に数多くありますが、これは岐阜県郡上市八幡の大乗寺です。郡上八幡を流れる小駄良川沿いにあり、職人町の通りから橋の向こうに山門が見える寺が大乗寺です。
  • 東殿山城(赤谷山城)
  • 慈恩禅寺とてっ草園
    慈恩禅寺は岐阜県郡上市八幡町、いわゆる郡上八幡にある臨済宗妙心寺派の寺院です。正式には慈恩護国禅寺、それを縮めて慈恩禅寺と呼ばれているようです。江戸時代初期の1606年、郡上八幡城主の遠藤慶隆
  • 名水百選
    名水百選は1985年(昭和60年)環境省が「全国に多くの形態で存在する清澄な水について、その再発見に努め、広く国民にそれらを紹介し、啓蒙普及を図るとともに、このことを通じ国民の水質保全への認識を深め、
  • 宇喜多秀家陣跡
    宇喜多秀家陣跡は関ケ原西側にある南天満山にあります。西軍の主力部隊であった宇喜田秀家軍は約1万7千の兵を、この地にあった天満神社に布陣しました。ちなみに近くの北天満山には小西行長が布陣していま
  • 関の藤川
    関の藤川古今和歌集の中で「美濃の国 関の藤川 絶えずして 君につかへむ 万代まで」と読まれているほど、古くから知られている川で、現在の藤古川です。藤古川は関ケ原を北西から南東に向かって二分する
  • 若宮八幡神社(藤下)
    若宮八幡神社は、関ケ原の合戦において大谷吉継が陣を置いたところで、神社の上にある大谷吉継陣跡や、大谷吉継の墓に登る入り口にあたります。 若宮八幡という名のついた神社は日本
  • 仙琳寺
    彦根、佐和山の麓の東山地区にある仙琳寺は訪れる人もあまりない静かな寺…どころか、見た感じ廃寺寸前の印象です。彦根駅の方から米原方面に向かってJR線沿いに歩いて来ると、線路を跨ぐ歩行者用の跨線橋
  • 鳥居本宿
  • 成菩提院
    滋賀県米原市柏原、JR柏原駅の北にある成菩提院(じょうぼだいいん)は、正式には寂照山円乗寺定菩提院と言います。その起源は815年に最澄が天台宗の談議所を建てたことにあり、のちに延暦寺の別院とな
  • 養老の滝
    養老の滝は、日本で古来から有名な滝で、日本の滝百選にも選定されています。元号の養老(717年~724年)も、養老の滝のある養老から取られたものです。女帝である元正天皇が養老を訪れたのを機に改元され
  • 養老天命反転地
  • リバーポートパーク美濃加茂
    リバーポートパーク美濃加茂(ホームページはこちら)は、岐阜県美濃加茂市の木曽川べりにある中之島公園内に作られた美濃加茂市の施設です。 [caption id="attachment_1904"
  • 化石林公園
    化石林公園は岐阜県美濃加茂市の木曽川沿い、木曽川にかかる太田橋のたもとにある公園です。かつてこの地には中山道の今渡の渡しがあり、渡し場の後が今でも残っています。 今渡の渡
  • 桃太郎神社
    桃太郎神社は創建は不明ですが、現在の形では昭和5年(1930年)鎮座の比較的新しい神社です。元々、この地に桃太郎伝説があったそうで、桃太郎を古事記に登場する大神実命(オオカムヅミ)であるとして
  • 栗栖遊歩道
    栗栖遊歩道は、木曽川沿いの犬山市栗栖地区(桃太郎神社の奥)から東側の山、継鹿尾山から両見山、天神山のあたりに作られた複数のハイキング・コースのことです。桃太郎神社近くや栗栖地区内から尾根に向かって複数
  • 栗栖の渡し
    栗栖の渡しは、木曽川沿いの旧中山道の急な坂道を避けるために設けられた渡し場のようです。1686年に設けられた当初は、栗栖の最奥部に設けられ、尾張と美濃や飛騨を結ぶ物流の動脈として機能していました。大正
  • 青岸寺
    青岸寺はJR米原駅の東口を出てさらに東に進み、北国街道を越えてすぐの、太尾山城のある太尾山の山麓にあります。 青岸寺は曹洞宗の寺で、江戸時代初期の1650年頃に、かつて南
  • 太尾山城
    太尾山は滋賀県の米原市にあり、米原駅のすぐ東側に連なる低い山です。この山上に太尾山城の跡が残されています。 太尾山城は南北朝時代の頃に地元の豪族米原(よねはら)氏によって
  • 深坂道
    深坂道は滋賀県米原市、北国街道の米原宿にあった米原湊と、中山道の番場宿とを結ぶ、物流のルートです。江戸時代の初期、1611年に開通しました。 関ケ原の合戦後に彦根藩主となった井伊直政
  • 蓮華寺
    蓮華寺は滋賀県米原市、中山道番場宿にある古刹です。蓮華寺は聖徳太子が開いたという伝承のある古刹。1276年に落雷で焼失したものを、1284年に当時の鎌刃城主土肥元頼が一向上人を呼んで再建し、八
  • cafe du MBF(米原)
    café du MBFは滋賀県米原市の旧北国街道沿いにある古民家カフェ、イタリアンレストランです。MBFとは何かと思ったら、お店をプロデュースしている企業株式会社ベースワンの英語「Maibar
  • 米原湊
    米原湊はJR米原駅のあたりにありました。米原駅の東口を出たところに記念碑があります。 米原湊の記念碑 米原湊の説明版。 米原湊
  • 米原宿
  • 湯谷神社
    湯谷神社(ゆたにじんじゃ)は滋賀県米原市、JR米原駅の東の太尾山城への登り口になっている神社です。昔々、出雲の国の人が、旅の途中にここで温泉を見つけたのが始まりとか。今では温泉の痕跡はありませんか
  • 鎌刃城
  • 北条仲時の墓
    北条仲時は南北朝時代に北朝側に付いた六波羅探題です。1333年元弘の乱の折に、鎌倉幕府から寝返った足利尊氏に京を追われ、北朝方の光厳天皇、後伏見上皇、華園両上皇を伴って東山道を下り、番場宿まで
  • 陸波羅南北過去帳
    南北朝時代、六波羅探題であった北条仲時は1333年の元弘の乱の時に足利尊氏の寝返りにあい、東山道を通って鎌倉を目指すも番場宿にて敵に遭遇。進退窮まって432人の一族郎党と共に蓮華寺の一向堂前で
  • 番場城
  • 鳩吹山
  • 寺倉城
    滋賀県米原市の寺倉という集落の辺りには室町時代には寺倉氏という一族が支配していたそうで、現在寺倉集落内にある槻倉(きそう)神社が、寺倉氏の居城である寺倉城跡と言われています。現地には城を思わせ
  • 志段味古墳群
  • 東寺山古墳
    東寺山古墳(ひがしてらやまこふん)は名鉄広見線明智駅と中山道伏見宿の間にあり、一号墳、二号墳の二基の古墳があります。木曽川と可児川に挟まれた台地の南端に位置しており、東側の一号墳は前方後円墳で、西側の
  • 伏見子安観音
    伏見子安観音・女郎塚は、中山道の伏見宿の南、名鉄広見線明智駅との間にある臨済宗妙心寺派の洞興寺にあります。 かつての伏見宿には、「飯盛女」と呼ばれた女郎たちが多くいました
  • 津屋城跡
    養老鉄道美濃津屋駅を出てすぐの伊勢街道(美濃街道)を左に進んだ先にあるのが本慶寺。本慶寺は江戸初期に建てられたそうですが、戦国時代にここにあったのが津屋城です。現在は堀や土塁の一部が本慶寺境内
  • 清水池ハリヨ生息地
    清水池ハリヨ生息地は、養老鉄道美濃津屋駅から徒歩で10分くらいのところにある、天然記念物の魚、ハリヨの生息地です。ここには養老山系からの伏流水が湧水として出ており、ハリヨの飼育に良い環境となっ
  • 善師野宿
    善師野宿は江戸時代に名古屋城と尾張藩領の木曽を結ぶ木曽街道の宿となりました。それ以前は東山道が善師野を通っており、江戸初期にまだ犬山の内田の渡しが使われていた頃には、中山道が善師野を通って、伏
  • 内田の渡し
    内田の渡しは現在の犬山橋付近にあった中山道の渡しです。東山道もこの辺りで木曽川を渡っていたと考えられています。後に木曽川の渡しが現在の美濃太田市付近の土田の渡し、その後の今渡の渡しに移動すると
  • レストラン桃太郎
    レストラン桃太郎は、愛知県犬山市の桃太郎神社の正面に古くからあるレストラン兼土産物屋です。 レストラン桃太郎 きしめんや、味噌おでん、豆腐の味噌田楽
  • 不老滝
    不老滝(不老の滝)は愛知県犬山市、名鉄犬山遊園駅から木曽川沿いの道を上流に向かい、寂光院と桃太郎神社の間にある滝です。小さな滝ですが枯れたことがなく、打たれると長生きできるそうです。滝の上部は
  • 妙感寺古墳
    妙感寺古墳は妙感寺境内に位置する前方後円墳で、古墳時代前期5世紀前半に造られました。愛知県指定の文化財ですが、案内板もありません。長さ95m幅50メートルで愛知県では第五位の大きさだとか。未発
  • 妙感寺
    一翁山妙感寺は犬山駅の少し北にある1640年創建日蓮宗の古刹です。現在地に移ったのは1668年のことだとか。 妙感寺本堂 境内のヒガンザクラの古木が
  • 成田山大聖寺
    成田山名古屋別院大聖寺は、千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の別院です。千葉の成田山まで東海地方から参拝する人の便宜を図るため、昭和28年に建立されました。比較的新しい寺院といえます。
  • 東之宮古墳
    東之宮古墳は犬山城下町の東にある白山平山(143m)の山頂にある大型の前方後方墳です。愛知県では最も古い前方後方墳と言われています。全長約72メートル、高さは約9メートルあります。
  • 瑞泉寺
    瑞泉寺(ずいせんじ)は愛知県犬山市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、正式には青龍山瑞泉寺。瑞泉寺の創建は1415年で、1565年に織田信長が犬山城の織田信清を攻めた時に一度戦火で焼失しましたが、そ
  • 龍泉院
    龍泉院は愛知県犬山市にある寺院で、名鉄犬山遊園駅から歩いてすぐのところにあります。正式名は青龍山龍泉院。龍が二つ入っていますね。龍泉院は近くにある臨済宗妙心寺派の古刹、瑞泉寺の塔頭の一つです。
  • 龍済寺
    龍済寺(りょうさいじ)は愛知県犬山市、名鉄犬山遊園駅からすぐのところにあり、龍泉院と並んでいます。龍泉院同様に龍済寺も瑞泉寺の塔頭です。本尊は十一面観音菩薩です。 龍済寺
  • 先聖寺
    先聖寺は愛知県犬山市の犬山城城下町、稲置街道に面して建つ1676年開基の黄檗宗の寺院です。1959年の伊勢湾台風の時に本堂、鐘楼などほぼすべての建物が倒壊しており、現在の本堂はそれ以降に建て直
  • 臨渓院
    愛知県犬山市の青龍山臨渓院は、すぐ隣にある瑞泉寺の塔頭で、室町時代の1482年の創建です。1565年の織田信長の犬山攻めで瑞泉寺共々焼失し、その後江戸時代に入り、成瀬家二代目犬山城城主の成瀬正虎が
  • 土田宿
    土田宿(どたしゅく)はかつて東山道の時代からあったようで、戦国時代1582年には武田氏との戦いに向かう織田信長が宿泊、1600年には関ケ原の合戦に向かう徳川秀忠が宿泊しています。
  • 土田城
    土田城(どたじょう)は岐阜県可児市にあった山城。一説には織田信長の実母、土田御前の出生地とも言われています。ただし土田御前に関しては異説もあるようです。 土田城跡の碑
  • 白鬚神社
    岐阜県可児市の白髭神社は、940年、平貞盛がいとこである平将門の乱を平定する際に、近江の白鬚神社に戦勝祈願をしたところ御告げを受け、土田城近くの大脇に猿田彦大神を祀ったのが始まりと伝えられてい
  • 八幡古墳群
    八幡古墳群は岐阜県可児市土田にある古墳群です。かつては小型の古墳が120基以上あったそうですが、開発によって現在は八幡神社周辺の数基が残るのみです。八幡神社は土田八幡神社古墳の上に建てられてい
  • 桜井の泉
    桜井の泉は岐阜県可児市土田、旧東山道、江戸初期までの中山道に沿った場所にある泉です。街道沿いの涸れることない泉の周りに桜が咲いていたので桜井の泉と名付けられたとか。 桜井
  • 可児郡新四国八十八ヶ所
    可児郡新四国八十八ヶ所は1800年代に成立した現在の岐阜県可児市周辺の八十八ヶ所巡りです。可児郡は「かにごおり」と読むようです。可児市周辺に行くと、弘法堂が数多くありますが、どこも奇麗な旗が立
  • 禅徳寺
    愛知県犬山市善師野の禅徳寺は臨済宗妙心寺派の寺です。創建は1474年、室町時代ですが、かなり世の中が乱れていた頃ですね。旧木曽街道に面して入り口があります。 禅徳寺入り口
  • 切通しの馬頭観音
    愛知県犬山市の木曽街道、善師野宿と土田宿の間、土田と石原の集落の境に設けられた切通しに1813年に作られたのが、通称切通しの馬頭観音。道しるべになると共に、人馬の安全を祈願するためのものだそう
  • グラディート
    グラディートは岐阜県可児市、白鬚神社裏の県道沿いにあるイタリア料理店です。 イタリア料理店グラディート パスタランチセットがお手頃でお勧めです。
  • 東谷山フルーツパーク
    東谷山フルーツパークは、名古屋市の最高峰である東谷山の麓にある農業公園です。東谷山フルーツパークの公式ホームページはこちら。 広い敷地内に数多くの種類の果樹園が広がっています。
  • 勝手塚古墳
    勝手塚古墳 勝手塚古墳は名古屋市北部にある志段味古墳群に属する帆立貝式古墳です。墳長は53mで、5世紀末から6世紀初頭に作られたと考えられています。 史跡 
  • しだみ古墳群ミュージアム
    しだみ古墳群ミュージアムは名古屋市にある志段味古墳群の研究や紹介を行うために作られた博物館で、志段味古墳群の地域内にあります。多くの古墳に隣接した場所に設けられており、古墳を巡るツアーも実施さ
  • 西大久手古墳
  • 東大久手古墳
  • 大塚2号墳
  • 大塚3号墳
  • 大久手5号墳
  • 大久手3号墳
  • 大久手4号墳
  • 志段味大塚古墳
    志段味古墳群の中でも、東谷山から少し離れた庄内川の河岸段丘上にある大塚・大久手古墳群地区で最大の古墳が、エリアの東端にある志段味大塚古墳です。志段味大塚古墳は他の古墳とはけた違いに大きな帆立貝
  • 白鳥塚古墳
    白鳥塚古墳は全長115mもある、志段味古墳群最大の古墳で、前方後円墳です。愛知県内では熱田にある断夫山古墳、犬山にある青塚古墳に次ぎ、三番目の大きさです。下の写真では左側が前方部、右側が後円部
  • フルーツパークテラス
    フルーツパークテラスは名古屋市の東谷山フルーツパーク内にあるレストランです。定食類の他、フルーツを使ったスイーツなども提供しています。 一見しゃれた建物で、緑を眺めながら
  • 南社古墳
    南社古墳は、尾張戸神社古墳がある東谷山の中腹にある古墳で、志段味古墳群を形成する古墳の一つです。直径約30mの円墳で、4世紀中頃に作られたと推定されています。円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪が出
  • 中社古墳
    名古屋市の最高峰、東谷山の山頂には尾張戸神社古墳がありますが、そこから少し南に下がったところに、中社古墳があります。中社古墳は4世紀中頃の前方後円墳で63.5mあります。盛り土ではなく、東谷山
  • 東谷山白鳥古墳
    東谷山白鳥古墳は志段味古墳群の一角を形成する、東谷山の麓に分布する、約50基からなる群集墳の一つです。東谷山白鳥古墳は小ぶりの円墳で直径は約17mです。 東谷山白鳥古墳
  • 尾張戸神社古墳
    尾張戸神社古墳は、名古屋市の最高峰東谷山の山頂にある古墳です。志段味古墳群の中の一つとされ、国の史跡にも指定されています。直径約27mの円墳で、古墳の上に尾張部神社の本殿があります。
  • 清須宿
  • 総見院
    興聖山 総見院(總見院 そうけんいん)は、愛知県清須市にある臨済宗妙心寺派の寺院です。織田信長ゆかりの寺院として知られており、本能寺の変のあとで回収されたとされる信長の焼兜が保管されています。
  • 亀翁寺
  • せんき薬師
  • 六角堂
  • 尾張六地蔵
  • 性海寺
  • 八神街道
  • 尾張国分寺跡
  • 尾張国分寺
    稲沢市の矢合にある国分寺は尾張国分寺という名称ですが、聖武天皇の国分寺の直接の末裔ではありません。このお寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、明治19年(1886年)にそれまでの円興寺から尾張国分寺に改
  • 矢合観音
    矢合観音は愛知県稲沢市矢合にある観音様。 本尊「十一面観世音菩薩」を祀る矢合観音ですが、実は寺院ではありません。矢合城主であった橋本大膳がこの地に観音菩薩を祀り、その後橋本家が代々守って
  • 矢合城
    矢合城(やわせじょう)は現在の愛知県稲沢市矢合にあった平城です。やはり稲沢市にあった片原一色城の城主であった橋本道一の弟、橋本大膳が戦国時代末期に築城したとされています。二人の父は橋本一巴とい
  • 門前屋
    稲沢市の矢合観音の正面には、その名も門前屋という土産物屋兼食堂があります。門前屋のランチはなかなかお勧めでした。 矢合観音前の門前屋 門前屋の看板には肉うどんの文字が見
  • 安楽寺(船橋)
    稲沢市の矢合観音から北の方へ少し歩くと安楽寺があります。稲沢市内に安楽寺は二つありますが、こちらは通称、船橋の安楽寺。もう一つは奥田の安楽寺です。奥田の安楽寺にも重要文化財の仏像がありますからやや
  • 稲沢公園
  • 荻須記念美術館
  • まちベンチ美濃太田ラボ
    まちベンチ美濃太田ラボは、JR高山線の美濃太田駅近くに作られた地域おこし拠点。地元食材を活かしたソフトクリームの販売や、レンタサイクル(e bikeシェア「チャリカモ」)のサービスも提供しています
  • 円空仏
  • 本多忠勝陣跡
  • 島津豊久碑
  • 桂谷古墳群
    桂谷古墳群は岐阜県大垣市牧田地区の南宮山山麓にある古墳群で、より広くは牧田古墳群に属する桂谷支群とされています。 牧田の集落を通る旧伊勢街道(九里半街道)からは、名神高速
  • 久々美雄彦神社
  • 桜井白鳥神社
  • 上方白鳥神社
  • 牧田宿
  • 九里半街道
  • 木曽神社と宝聚院
  • 南宮山
  • 多芸七坊
    多芸(たぎ)七坊は、南宮山から養老山脈の山麓に奈良時代に作られた法相宗の寺院群です。北から南宮山山麓の別所寺、養老山脈山麓の竜泉寺、光堂寺、柏尾寺、養老寺、光明寺、藤内寺がありました。
  • 柏尾山柏尾寺
  • 金毘羅大権現常夜灯
    関ケ原から伊勢へと向かう伊勢街道は、江戸末期には琵琶湖までの物流に用いる九里半街道としても知られていました。牧田宿はその宿場町の一つで、中継地として栄えました。 牧田宿内には数多くの常夜灯が残さ
  • 蓑岩
    愛知県犬山市を通る旧木曽街道は、尾張藩が木曽を行き来するために使われた、名古屋と中山道を結ぶ道でした。その善師野宿から石拾い峠へと向かう途中に蓑岩という大きな一枚岩があります。 蓑岩
  • 土田の一里塚跡
    土田の一里塚跡は木曽川を渡る中山道の渡し場が江戸後期に今渡に移る以前、土田に渡し場があったころや、それ以前の旧中山道の名残です。江戸時代初期には犬山の内田の渡しが中山道の渡し場として使われてい
  • 若宮八幡神社(関ヶ原)
    関ヶ原宿を関ケ原駅から東に向かって歩くと、法忍寺の東にあるのが若宮八幡神社。応神天皇、神功皇后、仁徳天皇が祀られていて、関ケ原合戦で社殿が焼失した記録があります。創建の時期はわかりません。応神天皇
  • 法忍寺
  • 十九女池
  • 関ケ原たまり
  • 垂井宿
  • 南宮大社
    南宮大社は、岐阜県垂井町にある歴史ある神社で、美濃国一宮です。「(美濃の)国府の南に位置する宮」ということから、南宮と呼ばれるようになったとされています。鉱業の神で、鉱山を司どる神金山彦命が祭
  • 朝倉山真禅院
    朝倉山真禅院は寺伝では739年に行基が創建したと伝えられますが、古くから美濃一宮の南宮大社の神宮寺として、南宮大社の境内にありました。明治になって神仏分離、廃仏毀釈が起こり、真禅院も危機を迎え
  • 徳川家康最初陣跡
    関ケ原合戦の折、徳川家康が最初に布陣したのが徳川家康最初陣跡。関ケ原の東にある桃配山あたりです。桃配山は壬申の乱の折に大海人皇子が兵にヤマモモを配った場所と言われています。
  • 桃配山
  • 山内一豊陣跡
    山内一豊は岩倉織田氏の重臣であった山内盛豊の三男。現在の愛知県岩倉市あるいは、一宮市木曽川町の黒田城で生まれたとされている戦国時代の武将です。のち、豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いでは、秀吉
  • 班女の観音堂
  • 野上行宮跡
    野上行宮跡(のがみあんぐうあと)は、壬申の乱の折に大海人皇子が戦いのための本陣となる仮の宮を置いた場所で、岐阜県関ケ原町にあります。 中山道沿いの野上集落にある野上の七つ
  • 野上の七つ井戸
  • 垂井一里塚
  • しゃもじ塚
    岐阜県内の中山道、垂井宿と関ケ原宿の間に野上という集落があります。ここの街道沿いにある野上の七つ井戸には、井戸の説明のほかに「しゃもじ塚」への案内が。 しゃもじ塚への案内
  • 小林家住宅
  • 垂井の泉
    岐阜県垂井町にある垂井の泉は、美濃一宮である南宮大社の参道沿いにあり、かつてこの地にあった県指定天然記念物のケヤキの根本から湧出していました。残念ながらケヤキは枯れてしまい今はありません。垂井の泉
  • 垂井城
    垂井城は岐阜県垂井町に関ケ原合戦まであった城です。築城に関しては明確にはわかっていませんが、地元の長屋氏の手になると考えられています。1600年の関ケ原の合戦の前に豊臣家の家臣であった平塚為広が垂
  • 吉川広家陣跡
    吉川広家は毛利元就の孫にあたる、毛利一門の武将でした。吉川広家は主家の毛利秀元と共に西軍として南宮山麓に布陣するものの、早くから東軍の勝利を予想し、東軍と通じていました。そして毛利秀元の参戦を阻止
  • 春王丸・安王丸の墓
  • 池田輝政陣跡
  • 高澤観音
    岐阜県関市下之保の山中にある高澤観音は、正式名称を大日山日龍峯寺といい、​高澤観音として広く知られています。岐阜県で最古の寺院とも言われ、美濃西国三十三ヶ所一番札所の観音霊場になっています。本
  • 道の駅平成
  • 丸登屋
    丸登屋は岐阜県関市下之保にある鰻屋さん。津保川沿いを通る県道63号線の一本西側、旧道沿いにあるお店です。近くには道の駅平成や高澤観音があります。 丸登屋外観
  • 弘法様の目薬
  • 鬼岩公園
  • 御嵩宿
  • 細久手宿
  • 尾張大國霊神社(国府宮)
  • 美濃路稲葉宿本陣跡ひろば
  • 稲葉宿
    稲葉宿の地図 稲葉宿の地図 稲葉宿の町並み
  • 萩原宿
  • 中嶋宮
  • 禅源寺
  • 長隆寺
  • 岩田屋
  • 起宿
  • 一宮市尾西歴史民俗資料館
  • 湊屋文右衛門邸
  • 一宮市三岸節子記念美術館
  • 人柱観音
  • 宮河渡
  • 船橋河渡
  • 定渡船場
  • 旧林家住宅
  • 聖徳寺跡
  • 中嶋城
  • 駒塚道
  • 冨田一里塚
    冨田一里塚は美濃路の起宿と萩原宿の間にある一里塚の跡です。道の両側に塚が残っている珍しいケースです。美濃路で両側の塚が現存するのは冨田一里塚だけです。 冨田一里塚北側
  • 天神の渡し
  • 佐吾平遭難碑
  • 市川房江生家跡