尾張三山 を訪ねるハイキング・コース ウォーキング・コース

梶原景時ゆかりの興禅寺、羽黒城から尾張三山(ハイキング・コース)

このコースは、源頼朝の重鎮であった梶原景時や、その子孫ゆかりの興禅寺羽黒城などを見た後、尾北自然歩道を歩いて、尾張三山(尾張富士・尾張白山・本宮山)を登るコースです。途中入鹿池も通り、名鉄楽田駅にゴールします。

尾張三山はいずれも古くから信仰の対象となっており、いずれも山頂に神社があります。それぞれに伝承などもあり、興味尽きない地域です。

尾北自然歩道は五條川沿いに桜並木があり、また入鹿池の湖岸にも桜が多いので、桜の時期に歩くのがお勧めです。また、本宮山ふもとの大縣神社には梅園がありますから、梅の開花時期もお勧めです。

地図は最後にあります(ここをクリック)。


大縣神社と梅園
大縣神社と梅園

このコースは、低山とはいえ三つの山を登って下りてを繰り返しますので、14㎞という距離の割にきつく、時間がかかります。

コースの見どころ

名鉄羽黒駅を出て、まずは西側の史跡を見学します。交通量の多い県道27号線を渡りますが、これはかつて犬山と名古屋を結んでいた、稲置街道です。

街道を越えて北西方向に少し進むと、興禅寺があります。この寺は、元々1174年に梶原景時が平忠盛(平清盛の父)の時代に尾張国府に着任した時に、光善寺として建立しました。後に1476年、景時の子孫、梶原景綱によって臨済宗の寺院、興禅寺として再建されました。興禅寺は1584年、小牧・長久手の戦いの前哨戦であり、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)方の森長可と、徳川家康方の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政らが戦った、羽黒合戦の折に焼失しました。関ヶ原合戦後に再建されています。

興禅寺には、現在の興禅寺の敷地に梶原家の屋敷があった当時からのものとされる、梶原景時夫婦らを供養する五輪塔が残されています。

梶原景時供養塔
梶原景時供養塔

興禅寺の近くにあるのが、羽黒城跡。元々ここには羽黒城古墳という前方後円墳があり、それを利用して土塁をめぐらした館が作られたとされています。館ができたのは1201年。梶原景親が築いたとされています。梶原景親は梶原景時の次男、梶原景高の子です。梶原景時は源頼朝の死後、北条氏との権力争いに敗れて鎌倉から逃れ、1200年に長男梶原影季、次男梶原景高を含む多くの家族と共に駿河の国で死んでいます。梶原景親はこの時まだ幼少で難を逃れ、乳母隅の方ゆかりの羽黒に家臣と共に移り住んだそうです。幼少の景親自身が館を建てたとは考えられませんから、家臣が景親のために館を建てたのが本当のところでしょうか。

その後梶原氏の子孫梶原景義は織田信長に従っていましたが、本能寺の変で信長と共に討死。梶原氏は断絶しました。

羽黒城は1584年の羽黒合戦で焼失。その後秀吉の命を受けた山内一豊が砦として使っていましたが、小牧・長久手の戦いが終わると共に廃城となったそうです。

もう一つ近くにある梶原氏関係の史跡が磨墨塚です。磨墨(するすみ)というのは馬の名前で、元々は源頼朝が所有していました。頼朝が梶原景時の長男、梶原影季に与えられたもので、影季は源義経が木曽義仲(源義仲)を討った1184年の宇治川の合戦の時に、磨墨に乗って出陣しています。

梶原景親が鎌倉から逃げ延びる時に磨墨を伴っていて、磨墨がこの地で死んだときに葬られたのが、磨墨塚とされています。

磨墨塚
磨墨塚

梶原氏関連の史跡を見学したら、いったん名鉄羽黒駅方面に戻ります。駅を越えて五條川沿いに出るとそこは尾北自然歩道。取材時は3月半ばで桜には早過ぎでしたが、五條川沿いには長い桜並木があり、桜の咲く季節に来れば楽しめます。

五條川沿いの尾北自然歩道
五條川沿いの尾北自然歩道

東へ向かって歩いていくと、尾北自然歩道を離れ、やがて最初の目的地である尾張富士がきれいに見えてきます。標高275mで決して高い山ではないですが、特徴的な形から、濃尾平野のいたるところから確認することができます。

尾張富士
尾張富士

尾張富士のふもとにあるのが729年創建の尾張富士大宮浅間神社です。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。織田信長が社殿を寄進したりしています。

尾張富士大宮浅間神社
尾張富士大宮浅間神社

ここは奇祭、石上げ祭で有名です。木花開耶姫が尾張富士(275m)が本宮山(293m)より低いことを嘆いたため、石を尾張富士の山頂まで運ぶという祭りが生まれたそうです。尾張富士へ上る道には、石を寄進した記念の石碑が林立していて、異様な雰囲気です。

尾張富士登山道
尾張富士登山道

尾張富士山頂の大宮浅間神社奥宮周辺も岩だらけ。

大宮浅間神社奥宮
大宮浅間神社奥宮

尾張富士からは入鹿池を目指します。入鹿池へと下る道は普通の登山道です。

尾張富士から入鹿池を目指す
尾張富士から入鹿池を目指す

やがて道は博物館明治村の近くの車道に出ます。登山は尾張富士だけで十分、という場合は、明治村に入って過ごす、というのも一興かと思います。

博物館明治村正門
博物館明治村正門

明治村の正門を通り過ぎ、しばらく歩くと日本最大級のため池である入鹿池に出ます。入鹿池は「六人衆」と呼ばれる地域住民が、犬山の木曽川扇状地など高台の土地を潤すために、1628年に尾張藩に願い出て、当時新田開発に熱心だった尾張藩主の徳川義直の命で工事が行われたもの。トップダウンではないところが、後の愛知用水にも通じますね。

入鹿池
入鹿池

入鹿池周辺には、貸しボートや釣り具などを扱うお店が多く、食事も提供しています。コース中他に飲食店はないので、この辺りでランチを取りたいもの。

入鹿池湖岸の店
入鹿池湖岸の店

入鹿池から尾張白山(260m)を目指します。集落を抜けるとやがて山道になります。入鹿池から尾張白山に登る道には道標がほぼ整備されていませんから、要注意です。

尾張白山は尾張富士や本宮山に隠れて、あまり目立たない山です。山頂には白山社が祀られており、名古屋方面の眺望が良い山頂です。

尾張白山からの眺望
尾張白山からの眺望

尾張白山からは途中まで来た道を引き返し、麓の集落から愛知用水を渡って本宮山を目指します。この道も道標は全くありません。

愛知用水
愛知用水

登山道の入り口も、道標はなく、注意が必要です。登山道自体はよく踏まれており、迷うことはありません。ただこの道はガイドブックなどに載っていないのかあまり知られていないらしく、山頂近くであった登山者の方もご存じなかったです。

愛知用水脇の本宮山登山道入り口
愛知用水脇の本宮山登山道入り口

樹林の中の急登をしばらく続けると、頂上間近で石仏群があります。岩場に不動明王像が並んでいます。修験道とも関係があるのでしょうか。

石仏群
石仏群

本宮山の山頂には大縣神社の奥宮があり、眺望が開けています。

本宮山から大縣神社までの下りは、最初は階段、その後は林道のような道です。登山客だけでなく、参拝客もちらほら登ってきますが、意外と遠いですし、けっこうしんどい道だと思います。

やがて梅が見えてくると(もちろん花の季節だけ)、そこは大縣神社の上にある梅園です。

大縣神社は尾張の二宮で、延喜式にも記載のある古社です。社殿は尾張造りと呼ばれるもので、現在の建物は尾張藩主2代目徳川光友が再建したものです。本殿は国の重要文化財ですが、奥にあって直接目にすることはできないようです。写真は本殿の前の拝殿です。

大縣神社拝殿
大縣神社拝殿

大縣神社を後に、名鉄楽田駅へと向かいます。途中にあったのが楽田城裏門旧跡の碑。楽田城は遺構はほぼ残っていませんが、記録に残る天守(のようなもの)があった城としては、日本で最も古いそうです。1500年代初頭に、尾張守護代の織田久長が築城したと伝わります。小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)方の堀秀政が守備し、後に秀吉自身も陣を置いたと言われています。

楽田城裏門旧跡
楽田城裏門旧跡

楽田城から名鉄楽田駅はすぐです。楽田駅は上りと下りで入り口が違うのでご注意。

集合場所

名鉄羽黒駅が集合場所、出発点になります。名鉄楽田駅をスタートして名鉄羽黒駅にゴールする逆ルートも可能です。

行程とコースタイム

このコースは名鉄羽黒駅から歩き始め、見学を含めて4時間ほどです。大洞弁財天の石段を除き、すべて舗装された道を歩きます。

昼食

入鹿池周辺でランチを取るのが良いと思います。取材の時はアイランドというお店で日替わりランチを取りました。そのほかにも、貸しボートなどと飲食店を兼用したお店が数軒ありますが、取材時は少し早めに入鹿池に着いたためか、コロナ禍のためか、ランチの営業をしていませんでした。アイランドは朝11時まではモーニングがあり、それ以降はランチがあります。

アイランド
アイランド

トイレ

各駅及び神社などにトイレがあります。

持ち物と服装

軽登山用の服装を勧めます。山道がかなりありますから、靴はハイキング・シューズが軽登山靴を。

ハイキング適期

年中訪れることができますが、夏の暑い時期は避けるほうが良いでしょう。梅か桜が咲いている時期がお勧めです

近隣の見どころ

入鹿池の脇には博物館明治村があります。三山を登らずに、いずれかの山と明治村見学とを組み合わせることも可能です。

体力に余裕があれば、犬山城下町を訪れることができます。

Post Author: ガイドマスター