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美濃金山城の登山ガイドです。

美濃金山城は、美濃守護代斎藤一族の系譜をひく斎藤正義が1537年に築城したとされています。当初は烏峰城という名でした。その後1565に織田信長の家臣であった森可成が城主となり、この時に金山城と改称しました。その後森家が代を重ねて森長可森蘭丸森忠政が城主となりましたが、江戸時代になり森忠政は転封となり、金山城は破城されました。

美濃金山城の主要な登山口は、常照寺のある角を南に曲がり、切通しの道を登った先です。この登山道は中部北陸自然歩道の一部です。ちなみに金山城のある山は古城山といいます。

美濃金山城登り口
美濃金山城登山口

登山口からしばらく登ると駐車場のある出丸址。西方向(明智方面)の視界が開けています。

金山城出丸址
金山城出丸址

出丸から先は、整備された山道になります。三の丸門跡を過ぎると、石垣の跡が。意図的に壊された形跡(破城の跡)があるそうです。

金山城三の丸の石垣
金山城三の丸の石垣

古城山払い下げ記念碑という石碑を通過して、桝形を通り、しばらく登ると美濃金山城本丸です。算木積みになった天守台の下の石垣の角が残っています。

金山城天守台西南隅石
金山城天守台西南隅石

そこから一登りすれば本丸跡です。本丸跡からは兼山の城下や木曽川、さらに北側の山々が眺められます。

金山城本丸からの眺望
金山城本丸からの眺望

本丸からは、登って来た道ではなく、美濃金山城の東側へと続く道をたどります。登ってきたのは大手道、こちらは金山城の搦手道です。気持ちの良い樹林の中、整備された道を下っていきます。

美濃金山城搦手道
美濃金山城搦手道

下りきったところには大きな石垣が。ここの石垣が金山城では最もよく残っているものだそうですが、米蔵の跡だと伝えられています。城内のほとんどの石垣は廃城の時に壊されていますが、ここは軍事施設ではなかったので残されたのでしょうか。

美濃金山城米蔵跡の石垣
美濃金山城米蔵跡の石垣