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尾張五社には特別決まったものはないようです。

文献上では、江戸時代の尾張藩士・国学者の天野信景(さだかげ)が「尾張五社略記」において熱田神宮・尾張大國霊神社・津島神社・針綱神社・千代保稲荷神社を尾張五社として紹介しているそうです。ただ、「尾張五社略記」について調べようとしても、引用しているブログが引っかかるだけで、どこにも「尾張五社略記」の原典に何をどう書かれているか資料は見つかりません。誰かが最初に書いた記述がコピーされて広がっているようにしか見えません。「尾張五社略記」は、『国書総目録』という目録に名前が記載されていますので、実在しているようですが。

さらに、「尾張五社略記」に上記の五社が記載されているとしても、「尾張五社」というものが広く認識されていたわけではなく、天野信景が五社を紹介している、という以上の意味はないように思います。

他には尾張五社として尾張総社である尾張大國霊神社に一宮の真清田神社、二宮の大縣神社、三宮の熱田神宮、そして針綱神社とを入れるとする場合もあります。さらにはこの中の熱田神宮を別格として代わりに津島神社を入れるなど、複数の説があります。

要するに、天野信景が使った以外に、尾張五社に関しては定義も、いつ始まったのかも、明確な資料はどこにもない、という結論です。天野信景の名も、「尾張五社略記」という所の存在も、一般の人ならほぼ知らないことでしょう。ちなみに尾張五社と明確に名乗っているのは、犬山の針綱神社だけだそうです。

犬山の針綱神社
犬山の針綱神社